食後の「ごちそうさまでした」の深い意味
食事を食べる時、食前には「いただきます」、食後には「ごちそうさまでした」と言います。
「いただきます」は、いろいろな説があります。
・肉や魚を食べる時、「命をいただく」という意味
・食事を食べるまでいろいろな人のご苦労があったから、その人たちへの感謝の気持ち
いずれも感謝の心は共通しているようです。
では、「ごちそうさまでした」はどうなのでしょうか。
「ごちそうさまでした」について、少し掘り下げてみたいと思います。
「ごちそうさま」は漢字で書くと「御馳走様」
「ごちそうさま」は漢字で書くと「御馳走様」です。
御馳走とは、客のために奔走して材料を集め、食事を出してもてなすこと。
その労に対する感謝の言葉として「御馳走様でした(ごちそうさまでした)」というようになりました。
「御馳走」は「馳走」に丁寧語の「御」の字がついて「御馳走」です。
「馳走」は「馳」は「馳(は)せる」、「走」も「走る」で、ともに走ることです。
どうして走ることと食事がつながったのでしょうか。
実は「馳走」は仏教から出た言葉なのです。確かに欧米では「ごちそうさまでした」のような言葉はないそうです。
こちらの動画でも解説しています。
「韋駄天(いだてん)」が走る
仏教では「韋駄天」が出てきます。韋駄天とは何者か。
仏教では、仏教および仏教徒を守護する神が教えられています。
その中に韋駄天がいます。
昔、足の速い人がいると「韋駄天のようだ」、また「韋駄天走り」と言われました。
なぜ足の速い人を「韋駄天」というのでしょうか。
お釈迦さまが亡くなられた後、仏舎利(ぶっしゃり)を盗んだ者がいて、韋駄天が盗人を追いかけて取り戻したという俗話から、「韋駄天」とは足が速いと言われるようになったそうです。
その韋駄天がお釈迦さまの為に駆け回って食材を集めてきたという話があります。
仏教の本来の「馳走」とは
仏教では、この韋駄天の話から、食事だけではなく、他の人の為に奔走して、功徳を施して救う、苦しんでいる人を助けることを「馳走」と言います。
お釈迦さまは35歳の時に仏のさとりをひらかれて80歳でお亡くなりになるまでの45年間、インドを「馳走」されました。
親鸞聖人は29歳の時に阿弥陀仏の本願に救いとられ、本当の幸せになられてから、90歳でお亡くなりになるまで、京都、新潟、関東を「馳走」されました。
そのような「馳走」される仏教の先生がおられたからこそ、2600年の時代と国を超えて、今日、日本に仏教が伝えられています。
2600年たっても、なくならず、伝え続けられているのは、教えの内容が、時代や国を超えて、すべての人の苦しみを解決し、幸せになれる道を教えられているからですが、どんな素晴らしいものがあっても、伝える人がいなければ、誰も知ることはなく、やがてはなくなってしまいます。
「馳走」なので、走りのリレーで例えてみますと、お釈迦様から渡された仏教というバトンが、インドから中国、中国から日本へとつながり、今日、私のところまで届けられたのです。まさに「馳走」のおかげです。
そう思いますと「ごちそうさまでした」は、食事の感謝の言葉でありますが、私が仏教と巡り合った感謝の言葉ともいえるかもしれません。
仏教を聞くことができたことに感謝して「ごちそうさまでした」
こちらの動画でも解説しています。
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