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人身受け難しと説かれたお釈迦さま|人が生きる意味とは(前)

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2024/12/16
 


二月は、仏教を説かれたお釈迦さまがお亡くなりになった月。
二千六百余の星霜を経て、釈迦四十五年間の仏教は一層、私たちを引き付けます。
「仏教とは、すべての人の出世の本懐(人生の目的)である」
親鸞聖人は、一言で喝破なされています。
生きる目的をどのように教えられているのでしょうか。

祝福された産声がやがてウラミの声に変わるのはなぜ?

「産声を聞いた時、
赤ちゃんが生まれた喜びで
体中が熱くなり、
涙があふれて止まりませんでした」
ある母親の言葉です。
 
誰もが祝福されてこの世に生を受けました。
人間に生まれたことを、みんなが「おめでとう」と歓迎したのです。
ところが歓迎された当の“主人公”は、成長するにつれて、人生の荒波にもまれ、
「何で生まれてきたのだろう」と生まれたことを後悔し、
「なぜ俺を生んだ!」と、親を恨む人さえあります。
 
人生を「ハズレくじ」のように思っているのでしょう。
本当は、誰もが、人間に生まれたことを心の底から喜びたいはず。
 
太宰治は小説『斜陽』の中で、登場人物にこう言わせています。
「幸福の足音が、廊下に聞えるのを今か今かと胸のつぶれる思いで待って、からっぽ。
ああ、人間の生活って、あんまりみじめ。生れて来ないほうがよかったとみんなが考えているこの現実。そうして毎日、朝から晩まで、はかなく何かを待っている。
みじめすぎます。生れて来てよかったと、ああ、いのちを、人間を、世の中を、よろこんでみとうございます」
 
なぜ生まれ難い人間に生まれたことを喜べないのか。
それは「人生の目的」を知らないからだ、と仏教で教えられます。
何のために生まれてきたのか。
何のために生きているのか。
なぜ苦しくても生きねばならないのか。
この人生の根本問題に真正面から答えたのが仏教なのです。

人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、
この身を度せん(お釈迦さま)

生まれ難い人間に生まれることができてよかった。
聞き難い仏法をよくぞ聞くことができた。
何が何でも今生で救われねば、いずれの生で救われようか。
永遠のチャンスは今しかないのだ。
 
今回は、このお言葉を通して学びましょう。

人間にはどれほど生まれ難いか?

「人身受け難し、今已に受く」
「人身」とは私たち人間のこと。
「人身受け難し」とは、「人間には生まれ難い」という意味です。
 
人間に生まれることはどれほど難しいか、他の生き物と比較してみましょう。
マンボウが一度に産む卵の数は三億個といわれます。
これだけで日本の人口の二倍以上。
 
『蟻の自然誌』(*バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン共著)によるとアリの数は、約一京(一兆の一万倍)で、すべてのアリの重さを計算すると、全人類の総重量に匹敵するそうです。
昆虫の総数になると百京にも上るといわれます。
 
人間は、爆発的に増えたといっても七十億ですから、かりに人口を百億にしても、昆虫の数(百京)は、その一億倍になります。
単純計算すると、人間に生まれる確率は昆虫の一億分の一です。
もちろん昆虫以外にもたくさんの動物がいます。
海洋生物学者ボリス・ワーム氏らの研究では名前がついているだけで百二十万種といわれ、未発見のものを含めると、八百七十万種に上るという説もあります。
 
全生命の総数ともなると、もはや計り知れません。
もし、自分が、あのアリの行列の一匹、ハエ、蚊だったら……。
そう思うと、人間に生まれることが、いかに困難か、お分かりでしょう。

お釈迦さまの説かれた「盲亀浮木の譬え」

人間界に生を受けることがいかに有り難いか、お釈迦さまは、譬えで教えておられます。
 
ある時、お釈迦さまが阿難というお弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「大変喜んでおります」
と阿難尊者が答えると、お釈迦さまは盲亀浮木の譬えをお話しなさっています。
 
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
 
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「絶対にないと言い切れるか」
お釈迦さまが念を押される。
「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
と阿難が答えると、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と教えられています。
「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
 
人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、お釈迦さまは教導されているのです。
また、『涅槃経』には、

人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。三途に堕つるものは、十方の土のごとし
*三途……三悪道(地獄界、餓鬼界、畜生界の苦しみの世界)のこと。
*十方……大宇宙のこと

人間に生まれるものは、爪の上の砂のように少なく、三悪道に堕ちる者は、大宇宙の砂の数ほど多い。
とも説かれています。

六道

仏教では、迷い、苦しみの世界を六つに分けて六道(六界)と教えられます。
苦悩の激しさから順に、
 
(1) 地獄界…… 最も苦しみの激しい世界
(2) 餓鬼界…… 食べ物も飲み物も皆、炎となって飲食できず、飢えと渇きで苦しむ世界
(3) 畜生界…… 犬や猫、動物の世界。弱肉強食の境界で、常に不安におびえる世界
(4) 修羅界…… 争いが絶えず苦しむ、闘争の世界
(5) 人間界…… 苦楽相半ばする我々の生きる世界
(6) 天上界…… 六道の中では楽しみが多いが、迷界であり、悲しみもあり寿命もある
 
の六つの世界です。
苦しみのひどい地獄、餓鬼、畜生界を「三悪道」といい、修羅、人間、天上界を「三善道」といいます。
「善」といっても「三悪道と比べればマシ」という意味であり、六道はいずれも迷い苦しみの世界であることをよく知ってください。

人生の目的を達成してこそ……

ところが、これほど生まれ難い人間に生まれながら、喜んでいるどころか、
「なんで生まれてきたのかなあ」
「人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに」
と恨んでいる人さえあります。
それは、何のために人間に生まれ、生きているのか、人と生まれし本懐は何か。
人生の目的が分からないからです。

 
「人間に生まれたのはこれ一つのためであった」と人生の目的を達成させていただいた時にこそ、
「人身受け難し、今已に受く」。
「人間に生まれてよかった!」
という生命の大歓喜が起きるのです。

では、仏教で生きる目的をどのように教えられているのでしょう。
 
後半で明らかにしたいと思います。 

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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