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念仏称えていても助からない?|親鸞聖人の教えの肝要とは(前)

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2025/11/30
 


5月には親鸞聖人のご生誕を寿ぐ「降誕会」という法話会が開かれます。
親鸞聖人は私たちにとって最も大切な「人生の目的」を明らかになされた方です。
本当の自己を知ることは、最も幸せに近いのです。
 
聖人のお誕生がなければ知りえなかったその深法を正しく聞くための降誕会であり、正しく聞くことが聖人のご恩に報いる道なのです。
 
親鸞さまの教えを正確に日本の津々浦々にまで弘められた室町時代の蓮如上人の「聖人一流章」から学びましょう。
 
浄土真宗の門徒が朝晩仏前で行う勤行は親鸞聖人の『正信偈』と蓮如上人の『御文章(御文)』を拝読するご縁です。
その勤行で多くの人が親しんでいる「聖人一流章」は簡潔端的に聖人一代の教えをまとめられたものです

親鸞聖人の教えの肝要は何か

まずは全文を拝読しましょう。
 
○聖人一流の章

聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候。
その故はもろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば不可思議の願力として仏の方より往生は治定せしめたまう。
その位を「一念発起・入正定之聚」とも釈しその上の称名念仏は如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と心得べきなり。(蓮如上人・御文章五帖目十通)

親鸞聖人の教えばかりを、蓮如上人の布教精神

この短い文章に、親鸞聖人90年の教えが余すところなく表されていると聞けば驚かれるでしょう。
 
冒頭の「聖人一流の御勧化の趣は」と仰る「聖人」とは親鸞聖人のこと。
蓮如上人はご自身の考えを全く交えず、常に親鸞聖人のみ教えばかりを説いていかれました。
 
『御文章』八十通のどこを拝読しても「蓮如はこう思う」の主張はありません。

「祖師聖人御相伝一流の肝要は」(御文章二帖目三通)
「当流親鸞聖人の勧めまします所の一義の意というは」(御文章二帖目十通)
「当流一義の意をくわしく沙汰すべし」(御文章三帖目三通)

枚挙にいとまなくどれも「聖人一流章」と同様に「親鸞聖人のみ教えはこうですよ」と語りかけられています。
 
これが文学や哲学科学などの学問ならば、研究者が自説や新説を表明するのが常識であり、それがその学問の発展といえましょう。
 
しかし仏法は2600年前に人類最高の偉人であるお釈迦さまが、万人の幸せの真理を体得され、それを説かれた教えですから
 
〝どう伝えるか〟の悩みはあっても
〝何を説くか〟はハッキリしています。
 
ゆえに親鸞聖人は
「更に親鸞珍しき法をも弘めず、如来の教法をわれも信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と仰せになり、
 
蓮如上人も「聖人一流のご勧化」一つを貫かれているのです。
 
ところが昨今の浄土真宗では、親鸞聖人や蓮如上人のような教導はほとんど聞かれないようです。
 
「私の考え」や「個人の体験話」では「釈迦如来の教法」にはなりませんから、注意しなければなりません。

聖人の教えは「信心為本」“信心一つで助かる〟

では親鸞聖人は生涯何を教えられたのでしょう。
蓮如上人はその教えの肝要を
 

聖人一流の御勧化の趣は信心をもって本とせられ候

親鸞聖人の教えは〝信心一つで助かる〟というご教示である
 
と「聖人一流章」の冒頭にズバリ教えておられます。
 
これを「信心為本(しんじんいほん)」といいます。

「間違った常識」

「親鸞聖人といえば念仏。念仏といえば親鸞聖人」と広く思われています。
「念仏称えていれば誰でも極楽へ往ける教えと学校で習った」と言われる方も多いでしょう。
 
しかしこれは間違った常識です
 
ここで蓮如上人は「聖人一流の教えは念仏をもって本とする」とは書かれていません。
 
親鸞聖人の教えの極めて大事なところですからよく知っていただきたいと思います。
 
「信心」と「念仏」に関する聞き誤りは親鸞聖人の時代にも多くありました。
 
そのことは聖人34歳、法然上人のお弟子であった時になされた「信行両座の諍論」からも明らかです。
 
この争いは『御伝鈔』というお聖教に書き残されています。
それをアニメーション映画にした『世界の光・親鸞聖人』第2巻にはこう描かれています。

信行両座の諍論

法然門下の380人余りのお友達の前で親鸞聖人はこうおっしゃる。
 
親鸞聖人
「皆さん今日お集まりいただいたのは、
 皆さんにぜひお尋ねしたいことがありまして、
 行不退の座敷と、
 信不退の座敷と、
 2つの座敷に分けました。
 いずれの座敷なりと、皆さんの信念に従ってお入りいただきたいのです」
 
新弟子
「あのー今何を言われたんでしょうか?」
 
兄弟子
「おまえ分からんのか!」
 
新弟子
「すみません。ご縁が浅いものですから…」
 
兄弟子
「つまりな阿弥陀如来の本願に救われるには念仏でと思う者は行の座敷へ、
 行というのは念仏のことじゃ。
 信心一つと思う者は信の座敷へ入れということじゃ」
 
新弟子
「お念仏称えて助かるのではありませんか?」
 
兄弟子
「そうだ。念仏為本。
 お念仏が大事じゃと
 いつも聞かせていただいているとおりじゃ。
 それが今更何だ。俺から行くぞ」
 
法然上人のお弟子は続々と「行の座」へと入っていく。
 
 
行の座→念仏称えれば弥陀に救われる、と思う人の入る座
信の座→信心一つで弥陀に救われる、と思う人の入る座
 
法然上人のお弟子380余人のほとんどが「行の座」を選びました。
「信の座」へ入られたのは信空上人、聖覚法印、熊谷蓮生房、そして親鸞聖人の4名のみ。
 
最後、お師匠さまの法然上人は2つの座敷を交互に見られ、こう言われました。
 
「それではこの法然も『信の座』に入れていただこう」
 
行の座の弟子たちは驚きの声をあげました。
 
そのときのことを『御伝鈔』にはこう記されています。

「源空(法然上人)も信不退の座につらなり侍るべし」と。
そのとき門葉あるいは屈敬の気をあらわし、あるいは鬱悔の色をふくめり

念仏称えていれば誰でも彼でも弥陀に救われるのではない。
弥陀の救いは信心一つなのです。

蓮如上人時代にも「念仏」の聞き誤りがあった

蓮如上人は『御文章』に繰り返し「念仏さえ称えていれば助かるように思うのは間違いである」と次のように教えておられます。

「世間に沙汰するところの念仏というはただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば助かる様に皆人の思えり。それは覚束なきことなり」
(御文章三帖目二通)
 
「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人はおおようなり。それは極楽には往生せず」
(御文章三帖目三通)
 
「ただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば極楽に往生すべきように思いはんべり。
それは大に覚束なきことなり」
(御文章三帖目五通)

世間の人はただ口で「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏さえ称えていれば助かるようにみんな思っている。それは間違いである
 
500年前、蓮如上人の時代も多くの人が間違っていたことがよく分かります。
 
後半に続きます。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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