「上品」「下品」は仏教から来た言葉?|どんな人が上品な人か
TBSテレビ系列で放送されている「この差って何ですか?」という番組内で「上品に見える人と下品に見える人の差」について調査するコーナーがありました。
どのような人が上品な人かを「経営コンサルタント」「僧侶」「辞典編集者」などの有識者に取材をした結果、上品に見える人と下品に見える人の差は「自分の欲を抑えることができるかどうか」とまとめられていました。
「こんな人が下品な人」の例では
・バイキングに行ってグラタンの上の部分だけこそぎ取る
・レストランでジュースサーバーから自分で持ってきたペットボトルにジュースを入れる
などが上がり、一方上品に見えるようにするには
・何か聞かれたときに話始めにちょっとの間を開ける
・なるべく大仰な動きをせず、少しの動きで済ます
・服装には同系色の服を使う
などが紹介されていました。
その取材を受けた有識者の中の僧侶の話で「上品」「下品」は元々仏教から来た「九品(くぼん)」という教えから来た言葉だと説明していました。
仏教に教えられる「九品」とはどのようなことなのでしょうか。
九品とは
九品とは人を9段階で分けたものです。
・上品上生(じょうぼんじょうしょう)
・上品中生(じょうぼんちゅうしょう)
・上品下生(じょうぼんげしょう)
・中品上生(ちゅうぼんじょうしょう)
・中品中生(ちゅうぼんちゅうしょう)
・中品下生(ちゅうぼんげしょう)
・下品上生(げぼんじょうしょう)
・下品中生(げぼんちゅうしょう)
・下品下生(げぼんげしょう)
の9段階で、下の方ほどお粗末な人で、上の方ほど立派な人です。
お経には具体的に「こういう人が上品上生」「こういう人が下品下生」と説かれていますが、仏教の専門的な話になるためここでは省きます。
仏教を説かれたお釈迦さまが人をこのように分けられたのは、より上を目指させるためです。
番組中では「下品の人は我利我利の人」「上品の人は他人のためにしてあげる人」と説明されていましたが、仏教では「我利我利ではいけない。自利利他に励みなさい」と教えられます。
我利我利と自利利他
我利我利とは、「我」は自分、「利」は利益のことですから、自分の利益ばかり考えて他人のことは考えない人のことです。
仏教では私たちは一人一人108の煩悩を持っていると教えられます。
煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませるものでその中でも特に私たちを苦しませる心が欲の心です。仏教では貪欲(とんよく)と言います。
貪欲とは、金が欲しい、物が欲しい、異性に良く思われたい、褒められたい、認められたい、楽がしたいという心で、根底には「何でも自分の思いどおりにしたい」という自己中心的な思いがあります。これが「我利我利」の心です。
この我利我利の心によって他人を押しのけてまで自分の欲を満たそうとし、それが満たされなければ、邪魔をした相手を怒ったり恨んだりしてまた悪い行いをしてしまい、やがては悪い行いに対する悪い報いを自分が受けねばなりません。
これでは他人も自分も不幸になってしまいます。
だからお釈迦さまは「我利我利ではいけない。自利利他の善い行いに努めなさい」とたくさんの善を教えられています。
そのたくさんの善を6つにまとめられた六度万行という教えについて、こちらの記事で紹介しています。
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