袖振り合うも多生の縁|好きな人に会うと胸がドキドキする理由
テレビ朝日系列で放送中の番組に「じゃぱにい寺」という番組があります。
先日その放送中に子どもの質問をお坊さんに答えてもらうコーナーがありました。
その中で質問をお坊さんに答えてもらうコーナーがありました。
そこである子どもが
「好きな人に会うとなんで胸がドキドキするの?」
と質問し、それに対してお坊さんは
「『袖振り合うも多生の縁』という言葉がありますが、前世からの約束だよ!と心が合図を送るから」
と答えていました。
番組の字幕では
「袖振り合うも他生の縁」
となっていましたが、「他生」は前世と来世のことなので、回答したお坊さんが言いたかった本来の意味とは少し違います。
これ以外にも「袖振り合うも多少の縁」と間違われることも多い言葉です。
「袖振り合うも多生の縁」とはどのような意味でしょうか。
「袖振り合うも多生の縁」とは
「袖振り合うも多生の縁」とはどういう意味でしょうか。
この言葉は「振り合う」以外にも「擦り合う」「触れ合う」などと言い換えて使われることもありますが、意味は同じです。
袖が振り合うということは、私たちが街中を歩いているとき、たくさんの人とすれ違うと思います。
人が多ければ服の袖どうしが当たることもあるでしょう。
その人とすれ違うのは一生で一度、ほんの一瞬の出来事であったとしても、あなたとその人がすれ違ったのは過去世からの因縁によるものだという言葉です。
そんなささいなことでも過去世からの因縁があるのですから、学校や職場で会ったり近所に住んでいる人はより深い縁があり、ましてや家族ともなればどれほど深い因縁があったか知れません。
仏教の生命観
「袖振り合うも多生の縁」の「多生」とは何でしょうか。
私たちは、生まれてから死ぬまでの、百年足らずの「一生」しか知りません。
しかし仏教では、私たちが人間に生まれるまで、幾たびも生まれ変わり死に変わりを繰り返してきた過去があったと説かれています。
これを「過去世」とか「前世」といわれます。
私たちは一生や二生ではなく、過去に何度も何度も生まれては死にを繰り返してきましたから「多生」といいます。
「多生の縁」とは、過去に幾度も繰り返した生死の中で何度も会っては別れ、会っては別れてきた因縁があるから「袖振り合うも多生の縁」で、今生でもまた会うことができた。
そして多生は過去、現在で止まりません。
過去世で別れて今生で出会ったように、今生で別れてもまた来世どこかで会えるのでしょう。
だから多生は、果てしない過去から永遠の未来にわたる限りなく遠い期間のことです。
回答したお坊さんが言うように「今周りにいる人たちも過去世において友人知人家族だったことがあったのだろう」と思いますと、周りの人に対してより大切に接することができるのではないでしょうか。
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