だるまさんにはなんで手足が無いの?|「だるま」とは何か
選挙のときや受験のときに、願掛けとして「だるま」が使われているを見かけます。
この願掛けのだるまは初めは目が入っておらず、願い事をするときに片目を入れ、願いが叶った時にもう一方の片目を入れる、という習慣があります。
「だるま」という言葉は大事なこと以外にも身近なことで使われます。
冬の季節に雪が降ってくると、誰でも一度は作ったことがあるであろう「雪だるま」。
子供の頃、遊んだであろう「だるまさんがころんだ」。
「だるま落とし」というおもちゃもあります。
にらめっこでは「だるまさん、だるまさん、にらめっこしましょ」と言って始まります。
古くから親しまれていることに使われていますが、「だるま」の由来は仏教にあります。
だるまの由来
このだるまは、インドや中国で活躍した菩提達磨(ぼだいだるま)という仏教の僧侶を模した置物として作られています。
菩提達磨の出生については説があり、南天竺国の第三王子だったとかペルシャ人だったなどと歴史書での記述があいまいで正確なことはわかりませんが、5世紀後半から6世紀前半を生きた人です。
6世紀の初めにインドから中国に渡り、当時南北朝時代であった中国の南朝の梁(りょう)という国に赴き、その後北朝の魏(ぎ)に渡って魏の首都である洛陽にある嵩山少林寺(すうざんしょうりんじ)に滞在して仏教を伝えました。
この教えが後に禅宗という宗派となっています。
この嵩山少林寺にいた頃の様子から面壁九年の伝説が生まれました。
だるまは人が元となっているのに、転がってしまいそうな丸い形をしています。
それは、面壁九年と言われる九年間壁に向かって座禅をする修行をしたことによって手足が腐ってしまい、手足がなくなってしまったと言われています。
そのため、手足のない形状でだるまの置物が作られるようになりました。
修行の目的
仏教といえば山に入って肉を食べず、結婚もせずに悟りを求めて修行をするイメージを持つ人も多いと思います。
悟りとは、本当の幸福になれる真理を体得することです。
達磨(だるま)もその一人であり、前述の通り、大変厳しい修行をしていました。
このような仏教を聖道仏教(しょうどうぶっきょう)といい、厳しい修行ができる聖者のみが進むことができる道である教えということです。
聖道仏教について詳しくは→こちら
日本でも昔から多くの僧侶が山にこもって修行をしてきました。
このような厳しい修行をして、悟りを得られる人しか本当の幸せになれないと教えられるのが聖道仏教です。
一方、山にこもって厳しい修行ができない一般の人でも本当の幸せになれる道を教えた仏教を浄土仏教と言います。
その浄土仏教を日本で明らかにされたのが、浄土真宗をひらかれた親鸞聖人です。
ではどのように親鸞聖人は教えられたのでしょうか。
こちらで解説しています。
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