幸せの花ひらく 「因果の法則」を身につける
特集 明日を変える心のタネまき
幸せの花ひらく 「因果の法則」を身につける
「実りある人生に」とは誰もが願うことですが、思うようにならないのも人生。
「七転び八起き」といわれても、なかなか結果が出ないと、「これも自分の運命か」「私なんか、どうせダメ」などとアキラメてしまうことも少なくないのではないでしょうか。
でも、お釈迦さまは「どんな人も、アキラメル必要はないのだよ。人間に生まれてよかった、という本当の幸福になれるのですよ」と教えられています。
そのために説かれたのが仏教であり、その根幹である運命の法則が「因果の道理」です。
これを知ることで、今から本当の幸福への道が開かれます。
未来は、自分の手でいくらでも変わるのです。
「アキラメル」本来は前向きな意味だった!?
アキラメルという言葉は今日、消極的な意味で使われていますが、元は仏教に由来することをご存じでしょうか。
仏教では「諦観」と書き、「アキラカニミル」と読みます。
「因果の道理」を明らかに見よ、ということです。
そうすれば、不幸や災難に遭っても、迷信におびえたり、占いや霊能者にすがったりするような生き方ではなく、反省すべきポイントをつかんで、改善、進歩する、すがすがしい道が必ず開けます。
「明らかに見る」が縮まって「アキラメル」となったのですが、本来、前向きな意味なのです。
その「因果の道理」とは、どんなことなのでしょうか。
運命の法則「因果の道理」は仏教の根幹
仏教を1本の木に例えると、因果の道理は、「根」であり、「幹」に当たります。
根がなければ木は枯れ、幹を切れば木は倒れます。
七千巻に上るお釈迦さまの一切経を貫いている教えが、因果の道理なのです。
「道理」とは変わらぬ真理
「道理」とは、三世十方を貫くもの。
「三世十方を貫く」とは、「三世」とは過去世、現在世、未来世のことで、「いつでも」ということ、「十方」とは東西南北上下四維で、「どこでも」ということです。
いつでも、どこでも変わらない真理を「道理」といわれます。
時代や場所によって異なるものは、道理とはいいません。
地球上だけでなく、たとえ宇宙に飛び出しても間違いないのが「道理」です。
因果の道理は「道理」ですから、いつの時代、どこの国の人にも当てはまります。
それは、現代日本の私たちも例外ではありません。
それはどんな法則なのでしょうか?
運命には原因がある
因果の道理の「因果」とは、「原因」と「結果」のことです。
因果の道理とは「全ての結果には必ず原因がある、原因なしに起きる結果は万に一つもない」ということです。
例えば飛行機が海に墜落したという結果にも、必ず原因があります。
原因なしに墜落することはありませんから、多額の費用がかかっても、機体を引き上げ、原因を調査します。
もちろん原因不明ということはあります。
飛行機が海底深く沈んでしまえば、墜落の原因を知ることはできないでしょうが、原因が分からないことと、原因が無いこととは全く異なります。
エンジンが故障したとか、乱気流に巻き込まれたとか、必ず何か原因があるのです。
この世のこと全て、どんな小さなことにも必ず原因があります。
中には、ほとんどの人が関心を持たない、どうでもいいこともありますが、私たちが最も知りたいのは、自分の将来の運命と、その原因でしょう。
それさえ分かれば、未来の運命をよいものにすることができるからです。
その運命の原因と結果の関係を教えられたのが、仏教の「ありがとう」なのです。
「行い」が「運命」を生み出す
私たちの運命と、その原因にどのような関係があるのか。仏教では、こう教えられています。
善因善果 悪因悪果 自因自果
「善因善果、悪因悪果」とは、
「善いタネをまけば、善い結果が現れる。悪いタネをまけば、悪い結果が現れる」
ということです。
植物で例えれば、ダイコンの種をまけばダイコンが、キュウリの種をまけばキュウリが出てくる。
ダイコンの種をまいてキュウリが生えることも、キュウリの種をまいてダイコンが出ることもない。
まいた種と同じものしか生えてはこないのです。
だから、まいたものを知れば何が出てくるか分かるし、出てきたものを見れば、まいた種も分かります。
ここでお釈迦さまが「因」といわれているのは、私たちの「行い」のこと。
「果」とは「運命」のことですから、善い行いは善い運命(幸福)を、悪い行いは悪い運命(不幸)を生み出す。
善いことをして悪い運命が引き起こることもなければ、悪いことをしたのに、善い運命が現れることもない。
ですから苦しみを逃れるには、悪い行いをやめ、幸せになるには、善い行いをすればいいのです。
成功も失敗もすべて「自業自得」
最後の「自因自果」とは、「まかぬ種は生えぬ。刈り取らねばならぬ一切は、自分のまいたものばかり」ということです。
いつまでも寝ていたいのに、起きて仕事に出掛けるのは、自分が働けばそれだけ収入が得られるし、サボればクビになるからでしょう。
自分が一生懸命勉強すれば、自分の成績が上がるのであって、友達が勉強しても自分の成績は上がりません。
毎日、添加物の多い物やお菓子ばかり食べていれば、体を壊すのは本人で、他人が病気になることはない。
まいたタネは必ず自分に現れます。
これを「自業自得」ともいいます。
世間では「それは自業自得だ」といえば、悪い結果にばかり使われますが、本来は、そうではありません。
善いことにも悪いことにも「自業自得」といえるのです。
善いのも悪いのも、自分に現れる運命は全て自業自得です。
100パーセント自分の行為が生み出したものであり、それは万に一つも例外はないのだと、お釈迦さまは教えられています。
ですから、もし悪い結果が起きたなら、そこにはそれ相応のタネまきがあったからです。
悪いことを人のせいにしていても何も変わりませんが、悪い結果を引き起こした自分の行いを反省して、それを改善すれば、必ず結果はよくなるのです。
仏教というと、雨にも負けず、風にも負けず、何か悪いことが起きても、何も反応せずに静かに笑っているイメージがあります。
不幸や災難をひたすら耐え忍ぶのみの、アキラメ主義のように誤解されがちですが、「アキラメル」とは、本来、仏教から出た言葉。
初めに述べたように「諦観」と書いてアキラカニミルと読み、“因果の道理を明らかに見よ”ということです。
自業自得の因果の道理を諦観すれば、自分の悪い行いを反省し改善しますから、無限に進歩向上できるのです。
心で思うことも「行い」!?
運命は自分の行いが生み出すもの、とお話ししました。
「行い」と聞くと一般に、身体を動かしたり、口で言うことと思いますが、それだけでなく、心で思うことも行いだと、仏教では教えられます。
身体の行いを「身業」、口の行いを「口業」、そして心の行いを「意業」といい、これを「三業」といわれます。
中でも特に心の行い(意業)を重視します。
なぜなら、言ったり、やったり、口や身体を動かしているのは心だからです。
心掛けを変えると身体や口の行いが変わるのは、心が「元」だからです。
心掛けをほんの少し変え、実行することで毎日が変わっていくのです。
心が変われば、人生が変わる
私たちの日常生活の中でも、これは実感できることでしょう。
アメリカ出身の心理学者で、哲学者でもあるウィリアム・ジェームズは次の言葉を残しています。
「心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる」
心掛けの変化は、必ず行動に表れ、善い行動の積み重ねは、やがて習慣化し、人格となってにじみ出てくるもの。人格が変われば、その人の人生は全く新しいものに生まれ変わることでしょう。
「ネタミ」と「感謝」 心のタネまきの差で運命は大違い
心掛けの大切さは、スポーツ界の話題の中にも見ることができます。
2017年、カヌーの日本選手権で優勝した選手が、ドーピング検査で陽性反応が出て資格停止処分を受ける問題が起きた。
ところがその後、処分を受けた選手の飲み物の中に、他の選手が禁止薬物を混入させていたことが発覚。
今度は、この選手が8年間の資格停止処分を受けることになりました。
「東京オリンピックに出場できないかもしれないという焦り」から、ライバルを引きずり下ろしたいという、ネタミ、ソネミの心のタネまきが結局、自らの不幸な結果を生んでしまいました。
一方、2017年2月に行われた平昌オリンピックのスピードスケートで、金・銀のメダルを分かち合った小平奈緒選手(日本)とイ・サンファ選手(韓国)は、猛烈なライバル意識を持ちながらも、互いに尊敬し合っていた。
小平選手は「サンファはいつも親切です。3年前、ソウルのワールドカップで私が初優勝した時、悔しいはずなのに、飛行機の出発が迫る中、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれ、お金も出してくれた。それがすごくうれしかった」と言い、
イ・サンファ選手も「彼女とレースをして悪い気持ちになったことは一度もない。彼女のライバルであることを誇りに思う」と話しています。
ライバルを「邪魔者」と見てネタむか、「向上させてくれる恩人」と見て感謝の心で努力するか。
心のタネまきによって、その人に現れる結果、いわゆる「運命」も180度変わってしまうのです。
家庭や職場から変えよう
何事も実行なしでは、結果は現れません。
では、私たちは、どんなことから始めたらいいのでしょうか。
まず、身近なことから着手してみてはどうでしょう。
例えば、家族に対して。
家族と永年一緒にいると、「〇〇してくれて当たり前」となり、これが家庭不和の元でもあります。
「夫は給料を運んで当たり前」「妻は食事を作って当たり前」……。
でも、そんな時、「〇〇してくれてありがとう」と、心のタネまきを変えてみてはどうでしょう。
日常のささいな出来事にも喜びを感じられるようになります。
職場でも、部下には「〇〇の仕事をしてくれてありがとう」。
上司には「忙しい中、〇〇してくださってありがとうございます」などと心のタネまきを変えると、人間関係もスムーズになり、仕事も順調に進むようになっていきます。
「面と向かっては、伝えにくい」という人は、「間接的に伝える」という方法もあります。
会社の食堂や休憩室などで同僚と会話をしている時、「〇〇さんは、厳しいことも言うけれど、仕事をきっちりする人だよね」などと、その場にいない人を大いに褒めるのです。
うわさ話は回り回って必ずその人の耳に。
相手からの印象はグッとよくなります。ただし、心から褒めることが大切です。
小さなタネと軽く見てはいけません。
1粒のモミダネから出る芽は1本でも、枝分かれしてやがて何百もの実をつけます。
実行が未来を大きく変えるのです。
誰も見ていないタネまきでも運命は変わるの?
さて、ここまでの話を読んで、こんな疑問を持つ人もあるのではないでしょうか。
「確かに、心のタネまきは大切だろう。でも、誰も見ていないところでコツコツとタネまきしていても、結果は来るのだろうか?」
「正直者は馬鹿を見る、とも言うし」……。
確かに、人知れずタネまきを続けることは容易ではありません。
だから何事も続かず、挫折する人が多いのでしょう。
「どうせ私なんか、何をやっても……」とアキラメてしまうのです。
では、お釈迦さまは、私たちのこんな疑問に、どう答えられているのでしょうか。
行いは消えない
「私たちの行い〈業〉は、決して消えることはないよ。残って未来の運命を生み出していくのだ。だから、他人が見ていようと見ていまいと、善いタネまきを続けていくことが大切なのだよ」
と教えられているのです。
あれを見よ みやまの桜 咲きにけり 真心つくせ 人しらずとも
という古歌もあります。
因果の道理を「明らかに見る」ことで、アキラメの人生に別れを告げ、元気な「アキラメない心」を手に入れることができるのです。
因果の道理について、もっと深く知りたい方は、以下をごらんください。
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