運慶の最高傑作のモデル「無著菩薩」と「世親菩薩」の兄弟愛
運慶(うんけい)といえば、日本史の授業で、東大寺南大門の金剛力士立像を造った人と習いました。
2017年に、上野の東京国立博物館で開かれた「運慶展」は、大変な人気だったそうです。
金剛力士立像を見ても思いますが、運慶の作品の魅力は、リアリティを徹底的に追求したことによる力強さではないかと思います。今にも動き出しそうな迫力があります。
実は、運慶の作品の中で、最高傑作と呼ばれるものに、国宝にも指定されている興福寺(こうふくじ)の「無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像」と「世親菩薩(せしんぼさつ)立像」があります。
「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」
「無著菩薩(むじゃくぼさつ)立像」と「世親菩薩(せしんぼさつ)立像」があります。
運慶の晩年に制作された興福寺北円堂(ほくえんどう)諸像の中の二体です。
運慶の指導の下、無著は六男の運助(うんじょ)、世親は五男の運賀(うんが)が担当していたことが分かっています。
無著像は194.7cm、世親像は191.6cm、ともに2メートルほどの大きさで同じような姿をしていますが、よく見ると、細かいところまで違いがあります。
両像ともに2段に組んだ洲浜座(すはまざ)に、本尊側の足をわずかに踏み出して立ちます。
無著像は老人の顔で右下を見、世親像は壮年の顔で左を向き、遠くを見ます。
運慶の指導のもとに無著像は運助、世親像は運賀が担当したことが知られます。
天平彫刻の写実性と、弘仁彫刻のたくましい量感とをあわせ持ち、強烈な自信にみちあふれる姿は、日本肖像彫刻の最高傑作にと言うにふさわしいものです。
(興福寺ホームページより)
「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」のモデルとなった無著菩薩(むじゃくぼさつ)と世親菩薩(せしんぼさつ)は、どんな方だったのか、紹介したいと思います。
無著菩薩と世親菩薩
知恵優れた兄弟
仏教を説かれたお釈迦さまがお亡くなりになってから約900年後、小釈迦(お釈迦さまについで仏教界で尊敬される)といわれた龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)が亡くなってからは約200年後に、現れたのが、無著菩薩と世親菩薩です。
ここでいう菩薩(ぼさつ)とは、インドの仏教の高僧の尊称の意味です。
無著と世親は、北インド、ケンダラ国のある高貴なバラモンの家に生を受け、知恵優れた兄弟でした。無著が兄、世親が弟です。
※世親菩薩は、天親菩薩(てんじんぼさつ)とも言われ、親鸞聖人は天親菩薩と書かれているところが多いので、これからは、天親菩薩としたいと思います。
無著菩薩は初め小乗仏教において出家しましたが、やがて教義に不満を感じ、大乗仏教に転向します。
そこに至って大いにさとるところがあり、以後、大乗仏教の優れた指導者として、仏法宣布に力を尽くしていきました。
一方、天親菩薩も二十歳のころ仏門に入り、小乗仏教を志しました。
生来賢明にして才智豊かな天親菩薩でしたので、たちまち小乗経典を読破し、常人の及ばぬ傑出した存在となっていきます。
小乗仏教に関する著述を五百部もまとめ、広くその偉才は知れわたりました。
兄弟の争い
やがて、大乗仏教を信奉する兄・無著菩薩と激しく対立するようになり、大乗仏教・小乗仏教、いずれが仏意を正しく伝えているか、議論を繰り返しました。
「天親よ、お前の学んでいる小乗仏教は、釈迦の本意ではないのだ。仏意は、大乗経典にのみ説かれている。
どうか知ってもらいたい」
力説する無著菩薩に、天親菩薩は反論します。
「兄上、あなたこそ大乗仏教など信じられるのですか。
大乗経典は、本当に釈迦が説かれたのか、甚だ疑問です。
それでどうして釈迦の真意を知りえましょうか」
幾度にもわたって、小乗仏教は誤りなり、否、大乗仏教こそ仏説に非ずと、兄弟間の論争は絶えなかったのです。
無著菩薩の心は痛みました。
「天親は、このまま大乗仏教を理解しないばかりか謗って、謗法の大罪を重ね続けるであろう。
実に悲しく哀れでならない。
謗法罪ほど恐ろしい罪はないのだ……」
どれだけ話しても分かってもらえない、それどころか兄の心の分からぬ天親菩薩は、あまりの兄の勧めに、
「兄上、あなたは大乗仏教を信じていたらよいではないですか。
私には私の信ずるものがあるのです。
そんなに人の嫌がるものを押しつけようとするのは、邪魔な私にこの家から出て行ってほしいからでしょう。
ならば望み通り、私は出て行きます」
と、制止も聞かずにいずこへか旅立ってしまったのでした。
無著菩薩の心配はいよいよ増し、弟を思う懊悩の日々を重ねるようになりました。
兄・無著の最後の一手
天親菩薩はある町で宿を得て、兄の束縛から離れた解放感を楽しんでいました。
やがて幾月か経たころ、無著菩薩より一通の手紙が届きます。
「天親よ、風の便りにお前が元気だと聞いて嬉しく思い、この手紙を書いている。
実は私は、重い病にかかり、余命いくばくもなかろう。
お前には大層嫌われてしまったが、最後に一目会いたい。
兄を哀れと思うなら、帰ってはきてくれぬか」
兄危篤の知らせを受けた天親菩薩は驚き、早速に旅支度をして郷里に向かいました。
ところが、長旅の果てにようやく家に着いてみると、意外にも無著菩薩が、大衆を前に元気に説法しているではないか。
騙されたと思った天親菩薩の怒りは激しく、説法が終わるや、
「兄上、あなたは仏法者でありながら、平気でウソをつくのですか。
不治の病とはいかなることか」
と詰問したのです。
「天親よ、病とは、心の病気のことなのだ。それもお前が原因なのだよ」
「それは如何なる訳ですか」
「天親よ、私はお前のことが心配でならないのだ。
大乗無上の法を謗る罪は恐ろしい。
その報いはお前が受けねばならないのだよ。
それを知りながら、何もしてやれぬことが苦しいのだ」
無著菩薩は自らの苦衷を訴えました。
あまりにも真摯な兄の姿に、天親菩薩はようやく、
「ならば、一度聞かせてください」
と言いました。
生まれ変わる天親菩薩
無著菩薩は歓喜し、大乗の無上甚深の妙法を懇々と説いたのです。
その情熱溢れる無著菩薩の説法に、ついに天親菩薩は、
「ああ、なんということか。
私が間違っておりました。
かくも深遠な尊法とは知らず、大乗仏教を謗ってきた罪のなんと恐ろしいことか」
言ったが早いか台所へ走り、刃物で自らの舌を断ち切らんとしました。
「何をするか天親!」
「謗法罪を重ねてきたこの舌を、切ってお詫びするのです」
「馬鹿者!舌を切ったくらいで、今までの罪が消えると思うのか。
その慚愧がまことならば、今度はその舌で、大乗無上の法を褒め讃え、広めるのだ」
兄・無著菩薩の必死の説得に天親菩薩は、ついに大乗仏教の信奉者となり、後世まで名を残す著名な高僧となりました。
天親菩薩を大変尊敬される親鸞聖人
浄土真宗をひらかれた親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、天親菩薩を特に尊敬され、七高僧の1人に選ばれています。
七高僧とは、インド、中国、日本の高僧の中から、親鸞聖人が特に選ばれた7人の高僧のことです。
親鸞聖人は、七高僧の中で1人でも欠けていたら、親鸞のところまで、正しい仏教は伝えられなかっただろうと仰っています。
インド
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)、天親菩薩(てんじんぼさつ)
中国
曇鸞大師(どんらんだいし)、道綽禅師(どうしゃくぜんじ)、善導大師(ぜんどうだいし)
日本
源信僧都(げんしんそうず)、法然上人(ほうねんしょうにん)
実は、親鸞というお名前は、天親菩薩の「親」の字と、曇鸞大師の「鸞」の字をとって、名前とされています。
いかに親鸞聖人が天親菩薩を尊敬されていたか、おわかりになると思います。
天親菩薩造論説
(天親菩薩は論を造りて説かく)
天親菩薩が、浄土論という本を書かれて、仏教を伝えられたことを紹介され、天親菩薩の功績を書かれています。
まとめ
兄・無著菩薩がいなければ、親鸞聖人が尊敬されるような天親菩薩が現れることはなく、日本に、正しい仏教が伝えられることはなかったでしょう。
その無著菩薩と天親菩薩(世親菩薩)の功績を、運慶は、最高傑作を造って、後世の私たちに訴えかけているのかもしれません。
(関連)
小乗仏教とは何か、大乗仏教とは何か、そもそも仏教を説かれたお釈迦さまはどんな方なのでしょうか。
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