浄土や極楽は本当にあるのか、温泉はあるのか|仏教で教えられる極楽浄土
仏教といえば、地獄、極楽が教えられていて、生きているときに良いことをした人は死んだら極楽へ、悪いことをした人は死んだら地獄へ堕ちる。そう教えているのが仏教だと、漠然と思っている人もいるのではないでしょうか。
極楽には温泉があると何となく聞いたことがあるからか、風呂で気持ちがいいときに「あ~、ごくらく、ごくらく」と言う人もあり、スーパー銭湯の名前に「極楽」が使われていても、違和感を感じる人はいないようです。
「極楽湯」とか「極楽の湯」という銭湯や温泉の名前を聞いたことがある人も多いでしょう。
なぜ極楽には温泉があると思われているのでしょうか。
浄土とは何か、極楽とは何か、わかりやすく説明したいと思います。
浄土とは
浄土とは、清浄(しょうじょう)な国土を略して浄土といいます。
それに対して、私たちが生きている世界を、娑婆(しゃば)とも、穢土(えど)ともいいます。
娑婆について、お知りになりたい方はこちらへ
→ 「娑婆の空気はうまい」の「娑婆」は仏教から出た言葉
穢土とは、穢(けが)れた世界のことです。
私たち人間は、仏教では煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)といわれます。
凡夫とは人間、具足(ぐそく)とは塊ということですから、私たち人間は煩悩の塊であるということです。
煩悩とは欲や怒り、ねたみそねみの心で、私たちを煩わせ悩ませるものです。
仏教では、煩悩はけがれていると教えられていますので、煩悩の塊である私たちが生きている世界を、けがれた世界、穢土といわれます。
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→ 除夜の鐘(じょやのかね)はなぜ108回つくのでしょうか
反対に浄土とは仏さまの世界をいいます。
仏教では一口に仏さまと言ってもたくさんいらっしゃると説かれているので、仏さまの世界である浄土もいろいろあると教えられています。
一番知られているのは阿弥陀仏の浄土で、阿弥陀仏の浄土を特に極楽浄土といいます。
他には薬師如来(仏も如来も同じ意味です)の浄瑠璃浄土(じょうるりじょうど)などが有名です。
日本では平安時代後期以降、阿弥陀仏の極楽浄土が多くの人の信仰の対象となりましたので、浄土といえば阿弥陀仏の極楽浄土と思われるようになりました。
そのため「浄土」も「極楽」も同じ意味で使われています。
世界遺産である宇治の平等院鳳凰堂を建てたのは藤原頼通(ふじわらのよりみち)ですが、阿弥陀仏の極楽浄土をこの世に表そうと造られた建物です。
父の藤原道長の臨終、五色の糸(ごしきのいと)といって、青・黄・赤・白・黒の5種の色をした糸を、阿弥陀仏の像の手から自分の手に掛け渡して、この糸によって極楽浄土に導かれようと必死に念仏を称える姿を見たことに影響していると言われています。
極楽とは
阿弥陀仏の浄土を極楽といいます。極楽とは、極めて楽しい世界ということです。
阿弥陀仏の極楽浄土については、お釈迦さまは阿弥陀経(あみだきょう)に詳しく教えられています。
その国の衆生(しゅじょう)は、衆(もろもろ)の苦有ること無く、ただ諸(もろもろ)の楽のみを受く。故(かるがゆえ)に極楽と名く」(阿弥陀経)
(意訳)
阿弥陀仏の極楽浄土に生まれた人には、一切苦しみはなく、ただ色々の楽しみだけがある。だから極楽というのである。
続いて、その楽しさを次のように言われています。
「極楽には至る所に『七宝(しっぽう)の池』がある。池には八功徳水(はっくどくすい)が満々と湛えられ、池の底には金の砂が敷き詰められている。」
八功徳水とは、八つの功徳を備えている水で、甘い、冷たい、やわらかい、軽い、清らか、くさくない、飲む時に喉を傷めない、飲んでお腹をこわさない、など八つの特徴のある水で、お釈迦さまが仏教を説かれた当時、良い水の一般的特質を八つにまとめたものです。
ここから、極楽には気持ちの良い温泉があると思われるようになりました。
他にも極楽がいかに楽しい世界か、言葉を尽くして説かれています。
仏教では極楽のことを別の言葉でも表現されています。
「報土」
阿弥陀仏の誓願に報いて(誓願通りに)建立された世界、ということ。
「大涅槃」
「大般涅槃」ともいわれ、弥陀同体の仏のさとりのこと。「阿弥陀如来の浄土」でのみ開くことができるさとりなので、弥陀の浄土のこともいわれる。
「安養界」
安養は阿弥陀仏のこと。その阿弥陀仏のまします世界。
他にも「無量光明土」「蓮華蔵世界」「寂静無為楽」「楽邦」「浄邦」「実報土」などが極楽浄土を表す言葉です。
極楽はおとぎ話ではないのですか
そんな極楽があると聞かされても現代人には「そんなの信じられない」と思う人も多いでしょう。
仏の境界である極楽は、人間界と大変異なるので、お釈迦様は、時には「説くべからず」とおっしゃり、随分表現に悩まれたようです。
犬や猫にパソコンの技術を説明するより、困難だったことでしょう。
しかし、説いても分からぬからと説かずにいては、人々に知らせることはできません。
そこで、お釈迦様は人間界で見聞しているもので、浄土の楽を例えられたのです。
これを、「余方因順(よほういんじゅん)」といいます。
「余方」とは、仏が説かれる相手の世界、「因順」とは、それに順って、との意です。人間には、金銀財宝で例えられましたが、猫が相手ならば、「猫の参るお浄土は、宮殿楼閣みなカツオ、猫もあきれてニャムアミダ」となるでしょう。
(仏説阿弥陀経とは より)
極楽の素晴らしさを人間に分からせるために「極楽はこんなに素晴らしいところだぞ」と私たちに想像しやすい表現で説かれたのがお経に説かれる極楽の様子です。
極楽浄土について書かれている文章をそのまま鵜呑みにしては、お釈迦様が教えられたことを正しく理解することはできないようです。
極楽へ往ける人は
ではどんな人でも死ねば極楽へ往けるのでしょうか。
念仏を称えたら誰でも彼でも死んだら極楽へ往けると思っている人もありますが、お釈迦様はそのようには教えられていません。
お釈迦様の教えを日本で明らかにされた親鸞聖人は、生きている時に阿弥陀仏に救われて、本当の幸せになった人は、死ねば必ず極楽浄土へ往くことができると教えられています。
阿弥陀仏に救われた幸せとはどんな幸せなのか、どうすれば阿弥陀仏に救われるのか、親鸞聖人は詳しく教えられています。
親鸞聖人の主著、教行信証(きょうぎょうしんしょう)の冒頭には、阿弥陀仏に救われた人は、この世、難度の海を明るく楽しく渡り、必ず極楽浄土へ往くことができると書かれています。
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