「有頂天」か「有頂点」か|大きな失敗を未然に防ぐ大事な心がけ
大学の合格発表の日、自分の合格を知って喜びはしゃいでいる人を見て、「大学に合格して(うちょうてん)になっている」と言います。(うちょうてん)とは、何かうまくいったときに、喜びに夢中になっていることを言います。では、(うちょうてん)を漢字で書こうとすると、「有頂天」か「有頂点」、どちらだったか、迷う人は、少なくないようです。
この「うちょうてん」という言葉は、仏教由来の言葉です。その由来を知れば、二度と「有頂天」か「有頂点」、迷うことはなくなるでしょう。
仏教で教えられる三界(さんがい)
私たちの迷いの世界を三つに分けて三界(さんがい)と仏教でいいます。三界とは、欲界(よくかい)、色界(しきかい)、無色界(むしきかい)の三つの世界のことです。一番下が欲界、その上が色界、さらにその上が無色界となっています。
三界は、経典に、たくさん出ていますが、以下は、有名なお言葉です。
「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」
天の上にも天の下にも 唯(ただ)、我(われ)独り尊し
三界は皆苦なり 吾(われ)当(まさ)に此(ここ)を安(やす)んずべし
「三界は火宅(かたく)の如し 安きこと無し」※火宅とは、火のついた家ということで、家に火がつくと、不安で、他のことは手につかなくなるところから、不安を表します。
「三界に家なし三界に本当の安心はない
仏教といえば、六道輪廻(ろくどうりんね)を思い出す方もあると思います。六道輪廻とは、仏教の生命観で、地獄界や人間界などの六つの世界(六道)を、車の輪が廻る(まわる)がごとく、生まれ変わり死に変わりをはてしなく繰り返すことをいいます。
六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界です。六道を五趣(ごしゅ)ともいいます。五趣とは、五つの世界ということで、修羅をのぞいて、地獄、餓鬼、畜生、人間、天上のことを言います。
三界に対応させると、地獄、餓鬼、畜生、人間、天上の一部が欲界、天上をさらに分けて、色界、無色界となります。
迷いの世界(苦しみ悩みの絶えない世界)を、六道とも五趣とも三界ともいうのです。
三界の最高位が「有頂天」
三界の最高位にある非想非非想処天(ひそうひひそうしょてん)のことを、仏教で、有頂天といいます。三界は、有(う)ともよばれるので、その頂上にあるこの天が、有頂天とよばれます。
ですから、「有頂点」ではなく、「有頂天」というのです。三界(有)の頂上(頂)にある天ということです。
では、その有頂天が、どうして「何かうまくいったときに、喜びに夢中になっている」という意味で使われるようになったのでしょうか。
「天」は、その世界という意味だけでなく、そこに住する者という意味もあります。それで、「有頂天になる」「有頂天に登りつめる」という表現があります。そこから、「有頂天になる」は、絶頂を極める意味が生じて、何かを達成して喜びに夢中になっているという意味で使われるようになりました。
「有頂天」を「有頂点」と読んで戒めとしましょう
「有頂天」を「有頂点」、頂点に有るとも読んでみましょう。
「人は山の頂上に登ることはできても、長くとどまることはできない」といわれます。何かを達成して喜びに夢中になっていても、それは、ずっと続くものではありません。頂上に登っても、やがては下りるときが来るように、いつまでも頂点にいることはできません。
しかし、その現実を見ようとせず、我を忘れ、いつまでも頂点にいることができるように自惚れてしまうと、足元をすくわれて、失敗しやすいことは、歴史が証明しています。
「あの人は今、有頂天になっている」という言葉には、今はおおはしゃぎしているけど、後で何か失敗するよと示唆しているように感じます。
何かを達成して浮かれているときは「今、有頂天になっている」、「有頂天」を「有頂点」と読んで、今は頂点だから、後は落ちるだけだ、気をつけようと、戒めることで、大きな失敗を回避できるようになるでしょう。
気を付けていきたいものです。
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