聖徳太子は日本のお釈迦様であると親鸞聖人は評価されている
聖徳太子と親鸞聖人の関係
歴史の教科書にも登場する聖徳太子。今でこそ1万円札は福沢諭吉ですが、その前は、聖徳太子でした。
ここでは、聖徳太子はどんな人か、ではなく、聖徳太子と親鸞聖人の関係について、紹介したいと思います。
親鸞聖人は聖徳太子の夢を見られたことがある
親鸞聖人は9歳の時に比叡山に入られ、仏道修行に打ち込まれました。10年間、全身全霊修行なされましたが、これ以上どうすることもできないと、修行に行きづまられました。
幼い頃、お母さまから「夢に如意輪観音があらわれて、五葉の松を母に授けて私の出生を予告した」と聞かれたことを思い出し、観音と関係深い聖徳太子のお導きにあおうと思われて、聖徳太子ゆかりの磯長(しなが)の御廟へ参詣されました。
磯長(しなが)は、現在の大阪府南河内郡太子町にありますから、京都と滋賀の県境に比叡山はありますので、大変な距離です。
磯長の御廟に着かれた親鸞聖人は、3日間、一心不乱に出離の道を祈り念じ続けました。そして、ついに失神してしまったのです。その時に、聖徳太子の夢を見たと記録されています。
午前2時頃、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光輝いていて親鸞聖人は驚きました。その時、聖徳太子が仰ったお言葉も記されています。ここでは、その内容までは触れないでおきたいと思います。
親鸞聖人 仏教の歴史をひもとかれる
その後、親鸞聖人は29歳まで比叡山で修行を続けられましたが、とても修行を成就することはできないと下山されました。京都の町をさまよい歩いていたときに、友人の聖覚法印(せいかくほういん)を通して法然上人に出会うことができました。
法然上人から浄土仏教を聞かれ、親鸞聖人はたちまち、本当の幸せになられ、法然上人のお弟子になりました。
20年間、比叡山で苦労なされた親鸞聖人にとって、「法然上人から聞かせて頂くことがなければ、親鸞は、今、こんな幸せな身になれなかった」と法然上人との出会いはかけがいのないものでした。
さらに、仏教を説かれたお釈迦様は、遠い昔のインドの方。インドで説かれた仏教がどうして日本の自分のところまで届けられたのか、届ける人がいなければ、自分は幸せになれなかったと、親鸞聖人は思いをめぐらされました。
仏教の歴史をひもといてみると、今から2600年前にインドでお釈迦様によって説かれた仏教は、中国に伝えられます。そして中国から朝鮮半島を通って、日本に伝えられたのは6世紀頃と言われます。
当時の日本は、物部(もののべ)氏と蘇我(そが)氏が権力争いをしていました。仏教についても、物部氏は排仏派、蘇我氏は崇仏派と、意見が分かれていました。聖徳太子は、仏教を中心にした国作りをしたいという理念を実現するため、崇仏派の蘇我氏に味方し、蘇我氏は、物部氏との権力争いに打ち勝つことができました。
十七条憲法には仏教が出てくる
聖徳太子の有名な十七条憲法の第二条には、このようにあります。
篤く三宝(さんぼう)を敬え。三宝とは仏・法・僧となり、則(すなわ)ち、四生(ししょう)の終帰(しゅうき)、万国の極宗(ごくしゅう)なり。何(いず)れの世、何(いず)れの人かこの法を貴ばざる。
三宝とは、この世には、三つの宝があるということです。その宝とは、仏様であり、仏様の説かれた教え(法)であり、その法を正しく伝える人(僧)のことです。一言でいうと、仏教です。仏教は、すべての人を幸せにする教えだからであると書かれています。
その後、日本は、仏教中心の国作りが進められ、日本の文化と仏教は、切っても切れない深い関係をもつようになります。
もし聖徳太子がいなければ、聖徳太子が仏教中心の国作りをしようと思わなければ、日本に仏教は伝わらなかったかもしれません。
日本の仏教が伝わらなかったら、法然上人が現れることもなかった、法然上人から仏教を聞かせて頂くこともなかった、今、こんな幸せな身になることもなかったと思いをめぐらせた親鸞聖人は、聖徳太子に深い御恩を感じられたのでした。
聖徳太子は日本のお釈迦様である
親鸞聖人の正像末和讃(しょうぞうまつわさん)に、このようなお言葉があります。
和国の教主 聖徳皇 広大恩徳 謝しがたし
(わこくのきょうしゅ しょうとくおう こうだいおんどく しゃしがたし)
聖徳皇(しょうとくおう)とは、聖徳太子のことです。
和国の教主とは、和国とは日本、教主とは教えの主ということで、仏教を説かれたのはお釈迦様でしたから、仏教の教えの主とは、お釈迦様のことです。
聖徳太子は、和国の教主、日本のお釈迦様であると言われています。
聖徳太子がいなければ、日本に仏教は伝わらなかったであろうから、日本のお釈迦様のような存在であると、親鸞聖人は評価されています。
聖徳太子の御恩は、広大恩徳、広くて大きな御恩であり、その御恩に、どれだけ感謝しても、感謝しすぎることはないと、褒めたたえられています。
親鸞聖人の教えを学びますと、それまで歴史上の人物として見ていた聖徳太子が、大変身近な存在として、私たちに近づいてくると感じると思います。
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