お釈迦さまが説かれた底抜けに明るい”心の長者”とは(後)
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「無常の世」にあって、「真実の幸福」を求められたお釈迦さま
世に3種の長者ありと説かれ、中でも「心の長者」を勧められたお釈迦さまは約2600年前、インドのカピラ城主・浄飯王とマーヤー夫人の元、4月8日に太子として誕生され、シッタルタと名づけられた。
幼少から文武ともに優秀で、健康にも恵まれ、まさに「家の長者」「身の長者」の代表のような方であった。
ところが、そんな太子が成長するにつれ、深刻な物思いにふけられるようになっていく。
心配した王は、何とか明るい太子にしてやりたいと、19歳で国一番の美女といわれたヤショダラ姫と結婚させ、さらに、春夏秋冬の季節ごとに御殿を造らせ、500人の美女をはべらせたが、太子の暗い表情は、一向に変わらなかった。
この頃のシッタルタ太子の有名なエピソードが四門出遊である。
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心配する両親にも太子は、一向にその悩みを打ち明けようとされない。
ところがある日、意を決した太子は父王に手を突いて、
「城を出て、まことの幸福を求めさせてください」と頼まれた。
驚いた浄飯王、
「一体、何が不足でそんなことを言うのか。お前の望みは何でもかなえてやろう」
「それでは父上、申しましょう。私の願いは3つです」
「3つの願いとは何か」
不審そうに浄飯王が聞くと、シッタルタ太子は、キッパリとこう答えられた。
「私の願いの1つは、いつまでも今の若さで年老いないことです。望みの2つは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。3つ目の願いは、死なない身になることです」
それを聞いた浄飯王は、
「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない」とあきれ返って立ち去ったといわれます。
「健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、やがて全てに見捨てられる時が来る、どんな幸福も続かないではないか……この無常の世にあって、どうしたら本当の幸福になることができるのか」
そんな思いを日々深めておられた太子が、ついに夜中ひそかに城を抜け出し、山奥深く入られたのは、29歳2月8日のことでありました。
そして私たちの想像もできない厳しい修行を、6年間なされ、35歳の12月8日、ついに仏覚を成就なされたのです。
以来、80歳でお亡くなりになるまでの45年間、仏としてすべての人に、早く「心の長者」になれよと勧めていかれた教えが仏教です。
お釈迦さまの説かれた「心の長者」とは
仏教書で最大のベストセラー『歎異抄』
『歎異抄』は読めば読むほど「真実のにおいがする」と書いた有名な歴史小説家・司馬遼太郎も、その妙なる香りを感じ取ったのでしょう。
親鸞聖人の言葉が流れるような名文で記され、中でも重要な第1章には、お釈迦さまの説かれた「心の長者」とは「摂取不捨の利益」を獲た人だと、示されています。
仏教で「利益」とは、幸せのこと。
「摂取不捨」とは、ガチッと摂め取られて、捨てられないことですから「心の長者」になった人は、永遠に色あせることのない「絶対の幸福」になるのだ、と言われているのです。
私たちの人生も振り返ってみれば「一炊の夢」のごときはかないもの。
「夢」という字の「草かんむり」は、十を二つ書いて二十代の青年期。
その下の「四」が四十代で壮年期。
暮れゆく「夕」は老年期を表すそうです。
俳聖・松尾芭蕉は、岩手県平泉を訪ねたおり、
「夏草や 兵どもが 夢の跡」 と詠みました。
栄耀を誇った奥州藤原氏が、一たび頼朝と義経・弁慶の争乱に巻き込まれるや、一身を懸けて駆け抜け争い、築き上げて守らんとしたが、彼らの100年の栄華は、たちまち滅んでしまった。
今や茫々たる夏の野に、芭蕉は夢の浮世を見たのでありましょう。
どんな栄耀栄華も「ほんのささやかな、一瞬の幸せ」。
そんなシャボン玉のように、フワフワ浮いてパチンと消える幸せではなく、永遠不滅の幸福をお釈迦さまは求められたのです。
この世80~100年の肉体とは比較にならぬ永遠の生命が、どんな財宝も及ばぬ最高の宝を獲れば「心の長者」と生かされ、「ああ、私は大宇宙で最高の幸福ものだ」と喜べる「絶対の幸福」になれるのです。
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