物見遊山とはどういう意味?|元々は仏教の言葉です
10月26日にテレビ朝日系列で毎週平日放送中の「グッドモーニング」の中の「ことば検定」で林修先生が「物見遊山」について解説していました。
(問題)物見遊山、遊山の意味は?
鷹狩
修行
味噌作りに失敗
答えは「修行」です。
物見遊山というと気晴らしに出かけるときに「物見遊山に行ってくる」と言いますが、なぜそれが修行と関係あるのでしょうか。
物見遊山の語源
「物見遊山」の意味は
「物見」→観光
「遊山」→山遊び
なので遊びで観光に行くことを言います。
「物見遊山」を日常で使う場合には
「東京に物見遊山に行った」
「気持ちが塞いでいてとても物見遊山する気分にはならなかった」
などただ出かける意味で使われることもありますが、物見遊山気分というと真剣でない気持ちを表すようにマイナスの意味を持ち、
「今回は物見遊山に行くわけじゃないぞ」
と遊び気分をたしなめるような使い方もあります。
この「物見遊山」とは元々仏教の言葉です。
ここでいう「山」とは仏教の寺がある山のことです。
仏教では宗派の大元となる寺を「本山」「総本山」と言ったり、新たな宗派を立ち上げることを「開山」と言います。
ここで「山」とは寺のことを指しています。
「遊山」というのは、禅宗の僧侶が1つの山で修行を終えた後に別の山に移って修行を続ける旅のことです。修行者は別の山に移る旅の途中で自然を楽しみながら自由に散策したそうです。
それが江戸時代頃に一般の人たちの間でも「物見遊山」と使われるようになり、本来の意味から変わっていきました。
修行の目的
なぜ仏教では山にこもり修行をするのでしょうか。
一度、山にこもると、普通の生活にも戻れません。私たちは、家族とすごしたり、友達と遊んだり、趣味に打ち込んだり、おいしいものを食べたりする時間を大切にしていますが、山にこもると、そのようなことが一切、できなくなります。一体、何のために山にこもって修行をするのでしょか。
浄土真宗を弘められた親鸞聖人は9歳で僧侶になられ、比叡山に入られ、20年間比叡山で修行をなされました。
親鸞聖人は4歳でお父様を、8歳でお母様を亡くされ、「次に死ぬのは自分の番だ。一体死ねばどうなるのだろう」と自身に迫る後生を凝視し、この解決を求めて、仏門に入られました。
比叡山の僧侶になられるとき。
比叡山の座主(ざす)である慈鎮和尚(じちんかしょう)の元へ行きましたが、「わかった。では明日にしよう」と、翌日になりました。
そのとき、親鸞聖人は
「明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に荒らしの 吹かぬものかは」
と一首の歌を詠まれ、慈鎮和尚に差し出しておられます。
「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日といわず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」
この歌から、慈鎮和尚は己の考えの誤りに気づき、すぐに儀式を行い、親鸞聖人は比叡山の僧侶となられました。
比叡山にこもり、修行に励む目的は、必ず自分は死んでいかなければならない。その不安な心の解決を求めてでした。それを教えられたのが仏教です。
比叡山に入られた後の親鸞聖人について、こちらの記事で紹介しています。
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