慈悲に大も小もあるのか|仏教で教えられる大慈悲と小慈悲
あなたは「慈悲深い人」と言うとどのような人を思い浮かべるでしょうか。
- 面倒見がよい人
- 優しい人
- 怒らない人
- いつも笑顔の人
- 生き物を大切にする人
- 困っている人を助ける人
- 他人のために行動する人
このような人は、「慈悲深い人」と言われることが多いようです。
ではなぜこのような人を「慈悲深い」と言うのでしょうか。
「慈悲」とは何でしょうか。
慈悲とは
慈悲とは、仏教から出た言葉です。
親鸞聖人が尊敬されている、中国の曇鸞大師(どんらんだいし)という方は「慈悲」についてこのように言われています。
「苦を抜くを慈と曰う、楽を与うるを悲と曰う」(浄土論註)
「慈悲」とは「慈しみ憐れみ悲しむ」と書きますが、意味は、抜苦与楽(ばっくよらく)ということで、苦しみを抜き、楽しみ幸せを与えるということです。
誰かが困っていたら助けて、苦しみを抜いてやりたい。
人の幸せのために行動して、相手の喜ぶ顔を見たい。
このような心が抜苦与楽であり、慈悲といわれるものです。
人間の慈悲の限界
人間の慈悲の中で、最も純粋なのは母親の子供に対する慈悲の心でしょう。
子が病に伏して苦しんでいるのを見ると、母親は自分のことは一切、目もくれず、食べやすいおかゆを作ったり、熱が出れば氷枕を準備したり、看病につきっきりになったりします。
苦しむ子供の声が聞こえれば、たとえそれが深夜であっても一心に看病します。
元気になれば、子供の喜ぶことならと思って、好きなものを買い与えたり、出先で珍しいお土産のお菓子をいただいた時は持って帰って、子供に食べさせたりします。
仏教ではそんな人間の慈悲を小慈悲と言われます。悲しいことですが、それはすべての人に平等にかかるものではなく、限られた相手だけにかかる小さい慈悲であるからです。
自分の子供と同じように、他人の子供に接することはできません。
また、時には良かれと思ってしたことがかえって不幸を招いてしまうこともあるからです。
親の溺愛といわれますが、子供かわいいの気持ちから、一切怒らず、過保護に育てた結果、社会に出ても自立心が弱く、社会の荒波に順応できなくなってしまうことがあります。
人間の慈悲の中でも純粋といわれる母親の慈悲でありましても、限界があります。
仏さまの慈悲
一方、仏さまの慈悲は大慈悲と言われ、どんな人にも平等に差別なくかかる慈悲であると教えられます。
また未来を見通す智恵に裏付けられた慈悲ですから、相手をかえって不幸にしてしまうこともありません。
中でも本師本仏、あらゆる仏さまの先生と崇拝される阿弥陀仏の慈悲は、すべての人を相手に、絶対の幸福に救うと約束されています。
この阿弥陀仏のお約束のことを他力本願とも言います。
こちらで詳しく解説しています。
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