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煩悩を浄化する?アニメ「なむあみだ仏っ!」|煩悩は浄化できるのか

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2019/05/05
 


『なむあみだ仏っ!-蓮台 UTENA-』というアニメが2019年4月に始まりました。
元は「煩悩浄化バトルRPG『なむあみだ仏っ!』」というゲームだったものをアニメ化したものです。
 
タイトルの「なむあみだ仏っ!」は南無阿弥陀仏から取ったもので、仏、菩薩、諸神を擬人化したキャラクターが登場するアニメです。
 
原作ゲームのイントロダクションを公式サイトから引用します。

生きとし生けるすべてのものが、決して逃れられない生老病死の苦しみ。
それを救う方法は……『悟り』
戦いの末、悟りを手に入れた王子は釈迦如来となって、世界を救った。
そして長い時が流れ……今、末法の世。
かつて釈迦の悟りを妨害した煩悩の化身・マーラは、釈迦への復讐を果たすべく悪魔との契約を交わし、煩悩によって衆生(人間)を支配しようと動き出す。
一方衆生を守るためマーラに立ち向かうのは、釈迦を中心とした仏組織「十三仏」と仏教の二大護法善神「帝釈天」と「梵天」。
衆生を巡る、マーラと仏たちの戦いが今始まる!

アニメではより帝釈天と梵天の人間関係を強調して描いているようです。
 
正しい仏教の教えと完全に乖離しているかと思いきや、仏、菩薩、神の順に偉いところや、仏様は何を食べても食物のその最上の味を味わえるという「味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)」という特徴がある(そのため釈迦如来の作る料理はとてもまずいという設定)ことなど、細かいところで合っているところもあります。
 
如来、仏、菩薩の違いを知りたい方はこちらをご覧ください

如来と菩薩はどちらが偉いの?如来と仏はどう違うの?


 
彼らは煩悩を浄化することを目的としているのですが、そもそも煩悩とは何のことで、煩悩は浄化できるのでしょうか。

煩悩とは何か

煩悩とは、私たちを煩わせ、悩ませるもので、全部で108あります。
大みそかの夜に除夜の鐘を108回撞くのはここから来ています。
新年は煩悩に煩わされないようにしようと願いを込めて鐘を撞いているのです。
 
その108の煩悩の中でも、特に私たちを苦しめるものに、貪欲瞋恚愚痴の三つがあり、猛毒のように恐ろしいので、「三毒の煩悩」ともいわれます。
 
貪欲とは欲の心。無ければ無いで欲しい、有れば有るでもっと欲しい、と際限なく求める心です。
願望を実現すれば満たされるように思いますが、その満足感は一時的で、欲望はますます肥大し、「もっと、もっと」と底無しに欲しがります。
 
その欲が妨げられると出てくるのが「瞋恚」。怒りの心です。
「怒りは無謀に始まり後悔に終わる」と言われますが、怒りの炎でこれまで築き上げた立場も人間関係も焼き尽くし、“何であんなことをやってしまったんだろう”と後悔することは大なり小なり、皆さんにもあると思います。
 
「愚痴」とは、妬み、そねみ、恨み、憎しみの心をいいます。
他人の幸福が面白くない。反対に、他人の不幸を喜ぶ。そんな醜い心です。
これらの煩悩によってできているのが人間だから、人間のことを煩悩具足の凡夫と言われます。
 
「なむあみだ仏っ!」の中で人に取りつく煩悩を発見した梵天と帝釈天が「あっ煩悩だ!浄化せねば!」といきり立ったとき、阿弥陀如来が「まあ待て、煩悩は人間誰しも持っているものだ」と言っていましたが、持っているどころではなく煩悩でできているのが人間と教えられています。

煩悩は浄化できるのか

では煩悩は浄化できるのでしょうか。
 
ここで浄化とはどういうことか調べてみますと
 
よごれや悪を取り除いて、清浄・清潔にすること。
 
と辞書にあります。
ですから煩悩を浄化するとは煩悩を取り除いて心をきれいな状態にすることになります。
 
先ほど書いたように、煩悩とは欲や怒りや恨み妬みの心です。
この心をなくすことはできません。
アニメ「なむあみだ仏っ!」の中では梵天や帝釈天が人間の煩悩を消し去っていますが、そもそも他人の力で誰かの煩悩をどうにかできるものではありません。
 
「いや修行によって、煩悩を減らしたり、無くしたりできるようになるのでは?」
と思われるかもしれませんが、それは誤解です。
煩悩ででき上がっている人間から煩悩が減ったり無くなったりすれば、人間ではなくなってしまいます。
 
欲の心がまったくなくなってしまえば、何かを食べたいとも思わず、飲みたいとも思わず、寝たいとも思いません。生きていくことができなくなります。
 
親鸞聖人は、煩悩は死ぬまで減りもしなければ無くなりもしないことを、次のように教えられています。

「凡夫」というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく、瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず
(一念多念証文)

人間は、欲や怒り、妬み・そねみなどの煩悩の塊である。これらは死ぬまで、静まりもしなければ減りもしない。もちろん、断ち切れるものでは絶対にない。
 
という意味です。

阿弥陀如来の本願

では私たちは煩悩によって悩み苦しんで死んでいくしかないのでしょうか。
 
そんな人間の姿を見て阿弥陀如来(アニメのほうではなく経典に説かれる阿弥陀如来です)は、煩悩具足の者を目当てに、「必ず絶対の幸福に救う」という本願(=約束)をされました。
この弥陀の救いを

煩悩を断ぜずして涅槃を得

親鸞聖人は『正信偈』に書かれています。
「煩悩を断ぜずして」とは、「煩悩は少しも変わらないままで」ということ。
「涅槃を得」とは、「弥陀の浄土へ往って、仏になれる身(往生一定の絶対の幸福)」になれるということです。
煩悩具足の凡夫こそが、阿弥陀如来の正客なのです。
 
阿弥陀如来の本願についてはこちらの記事をご覧ください。

「他力本願」の誤解と本当の意味|「他人まかせ」は正しい意味か

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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