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親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。 初めて学ぶ方も、イラスト入りの解説で分かりやすく学ぶことができます。

「お寺」って何?昔の「お寺」は喜びと安らぎの宝箱でした

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カテゴリー:なるほど親鸞聖人 タグ: 更新日:2019/04/09
 

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最近、テレビや雑誌で、後継者のないお寺や相次ぐ廃寺の様子が、よく取り上げられています。
2017年8月に放映されたNHKの『ナビゲーション』という番組でも、富山県のお寺が消えていく現状が紹介されていました。

「これも時代の流れ」と人はいいますが、それが原因なのでしょうか。

永年、日本人の心の支柱となってきたお寺が消滅していくのはなぜか、その真因に迫ってみましょう。

かつて「お寺」は人々の中心だった

犬も歩けば棒に当たる。

町を歩けばコンビニエンスストア。

皆さんは、コンビニとお寺、どちらが多いと思われますか。

平成29年5月の調査では、全国のコンビニエンスストアは5万5千店舗あるのに対して、仏教寺院はなんと、7万7千カ寺余り(文化庁 平成28年版『宗教年鑑』)。

食品・日用雑貨などの必需品がそろい、銀行への入金・引き出し・公共料金の支払いまでできるコンビニは、まさにその便利さから、現在も増え続けています。

ところが、そのコンビニよりお寺のほうが約2万2千も多いのです。

近年はお寺を新しく建てることはあまりありませんので、ほとんどが昔建てられたものです。

昔は人口が少なかったにもかかわらず、こんなにたくさんの寺院が建てられたのは、それだけ必要とされていたからでしょう。

どんな役割がお寺にあったのでしょうか。

昔は寺子屋といわれてお寺が学校代わりになり、僧侶が先生として子供たちに読み書きそろばんなどを教えていたこともあります。

それだけ僧侶は町や村の人たちの信頼もあり、学問、人徳を備えた人も多かった。

半世紀ほど前までは、村人が寺にやってきて、悩み相談にのってもらう姿が多く見られました。

また、北海道や海外へ開拓移民として渡った人たちは、苦しい日々に心の安らぎを求めてお寺を建て、布教使の派遣を本山に要請したことが記録に残っています。

仏の教えを聞き学び、それによって人々の心が安らぎ救われる、それが本来のお寺の役割でした。

現在の「お寺」は?

「読経」は何のため?

昔は近所の人の心の拠り所だったお寺ですが、現在のお寺はどうでしょうか。

こんな話があります。

昭和40年代にお寺に生まれたSさんは、葬儀や法事ばかりを見て育ち、お経を読むのが寺の仕事と思っていました。

成長するにつれ、お経を読むのは何のためか、どんな意味があるのだろうと思うようになりました。

将来は寺院を継ぐ身だからとお経を学ぼうとしましたが、漢字ばかりで分からない。

説法や仏教の講義を聞いても理解ができませんでした。

お釈迦さまが説かれたお経には、何が教えられているのか。

祖父も父親も、お寺に時々来る布教使に尋ねても、「お経は説明して簡単に分かるものではない、若い時は分からなくて当然だ」と言う。

説明して分からないなら、なぜ読経するのか。

モヤモヤは深まるばかりだったといいます。

「寺に生まれても、仏教が分からないのだから、在家で育った人はなおさら分からないのではと思います。寺の存在意義は、何かと思いました」

「本堂の大柱にもたれ、夫と2人黙って座っていました」

Nさんは年を重ねるにつれ、人生何をすべきなのかと夫と2人、大きなお寺を訪ねました。

「お寺には混沌とした人生に明かりをともす教えがあるのではないか。私たちが知らない仏の智恵を学びたい」と、出かけたのです。

お寺の門をくぐり、建物を見ただけでも慌ただしい日常から離れ、心が落ち着きました。

しかし教えを説く人は1カ月後まで来ないから、話は聞けないとのこと。

「がっかりしました。せめて本堂に入れてくださいとお願いして仏壇に合掌したあと、大きな柱にもたれ、伽藍を眺めながら、2人黙って座っていました」

魚屋に魚がない?

魚屋という看板を掲げた店に魚が1匹もなかったら、その店はどうなるでしょう。
お客さんは落胆するばかりか、腹を立てて帰るでしょう。
結果、当然ながら店は倒産です。

お寺は、仏教という看板を掲げていますから、仏教を知りたい人が来るところです。

その仏教には、荒波の絶えない人生の海を明るく楽しく極楽浄土まで渡す大きな船の存在が教えられています。

だから仏教の看板を掲げながら、お寺でその大船の厳存がハッキリ教えられていなければ、人が来なくなるのは当然すぎるほど当然です。

世の中が大変わりしたから、お寺に来る人が少なくなったと時代のせいにするのは間違っています。

戦後、雨後のタケノコのごとく次々現れた新興宗教に集まったのは、元はお寺の門信徒たちでした。

みんな生きることに苦しんでいるのです。

そのつらい人生を何とか明るく楽しく生きたいと救いを求めているのです。

そのニーズに応じて教えを説き、人々の心に生きる喜びを与えるのが、お寺の役割であったはずです。

「なぜ生きる」の答えを示された親鸞聖人

約800年前、親鸞聖人は、

「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、釈迦如来の教法をわれも信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」

と仰り、

釈迦の教法(お釈迦さまの教え)で、親鸞は本当の幸せになれた。だから、皆さんにも同じ幸せになってもらいたい、とお伝えしているだけなのですよ」

釈迦の説かれた仏教を90年の生涯、教え続けられました。

その親鸞聖人の教えをそのまま伝えられた方が、室町時代の蓮如上人です。

全国で大ヒット映画『なぜ生きる──蓮如上人と吉崎炎上』の中で、蓮如上人はこう仰っています。

親鸞聖人の教えは唯一つ。なぜ生きる、『なぜ生きる』の答えでした。
私たちは、何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか。
苦しくても、なぜ生きねばならぬのでしょうか。
誰しもが、知りたいことでしょう。
それに答えられたのが親鸞聖人なのです。

やがて必ず死なねばならないのに、なぜ苦しくても生きねばならないのでしょうか。
おかしな話ではありませんか。
この私たちの、最も知りたい疑問に答えられたのが、親鸞聖人なのですよ。
親鸞聖人はね、どんなに苦しくても、生きねばならぬのは、私たちには、とっても大事な目的があるからだと、懇ろに教えられています。

「なぜ生きる」の答え・人生の目的とは、どんなことがあっても、決して色あせたり崩れたりすることのない「絶対の幸福」になることだと教えられました。

 

「なぜ生きる」求めて門徒が集う『とどろき』読書会

消えていくお寺が増える一方で、お寺の本来の姿を取り戻そうと、『とどろき』読書会、『とどろき』などをテキストとした法話会を開くお寺が注目を集めています。

そこには、「なぜ生きる」の答えを求めて、人々が仏法を聞きに集まるという生き生きとした光景がありました。

「ありがたい仏教のお話が聞けてうれしい」

9月のお彼岸の日、関西地方のある寺院を訪ねると、『とどろき』をテキストにした法話会が開かれ、門徒さんたち約50名が参詣されていました。

この日のテーマは、9月号の特集彼岸 3つの謎を解く」でした。

彼岸とは阿弥陀仏極楽浄土のこと、その浄土に生まれるにはどうすればよいのかについて、講師から理路整然とした話がありました。
参詣者からは

「浄土に生まれるには、生きている時に仏教を聞かなくてはならないことが分かりました」(60代男性)

「『とどろき』の記事が参考になるので、とても分かりやすくお聞きできました」(70代女性)

「月刊誌がテキストなので、毎月の法話が楽しみになりました」(50代男性)

などの声が聞かれました。

また、寺の役割について

「最近は、お寺といえば、葬式や法事ばかりですが、本当は、仏教の有り難いお話を聞く場所だったはずですね。昔のように、にぎやかなお寺になってほしいです」(70代女性)

という感想もありました。

このお寺の住職は、寺の現状を次のように語っていました。

親鸞聖人の教えを知らないと、人間として生まれてきたことにならないのです。
あまりにもったいない。
ところが今は、寺でも仏教が聞けなくなっています。
これには僧侶の勉強不足があると思います。
それで寺から人々が離れていって、慌てていますが、自業自得なのです。
京都の寺も観光寺院になっています。

さらに、本来のお寺の在り方について

今日は、彼岸のお話でしたが、人間として生まれた目的は『彼岸』にあります。
まず、そのことをよく知っている先生から聞かなければなりません。
その先生が、親鸞聖人です。
ですから、寺では、親鸞聖人の教えを聞くことが大事なのです。
それが聴聞です。
教えがきちんと相続されていれば、どんな山奥の寺でも、廃れていくということはないのです。

とも話しておられました。

お寺での法話に参詣される門徒さんたち

「本当の幸せになるための寺参りなんですね」

関東地方でも、『とどろき』をテキストに彼岸の法話がなされたお寺の住職の声を聞きました。

毎年、彼岸の法話をしますが、先祖供養のためだと思って来られる方が多いです。

そうではない、自分が本当の幸せになるために、教えを聞くのが寺参りなんですよ、と『とどろき』を開いて話をしています。

人間は、自分の思いに合わないと、仏教がなかなか心に入りません。

お釈迦さま親鸞聖人の教えを、正しく聞くことはまことに難しいものだと、つくづく思います。

よくよく聞きなさいよ、『仏法は聴聞に極まる』と教えられるお言葉が身にしみます。

 

寺の間取り「内陣」「外陣」とは

お寺の本堂は、御本尊が安置されている「内陣」と、人々が座って教えを聞く「外陣」に分かれています。
内陣・外陣という名称は、「陣」という戦いに使われる漢字が当てられています。

お寺と戦いとは、どんな関係があるのでしょうか。

内陣からは、絶対の幸福にしてやりたいという仏教の真実が、外陣で聞法する人の心に打ち込まれます。

ところが私たちは、欲を満たすことで頭が一杯で、素直に仏教を聞けず、疑ってはねつけてしまいます。

そんな私たちの心と仏教の教えとの戦場となるのがお寺です。

真剣に仏教を聞かせていただくために建てられたのがお寺ですから、寺の本堂には、内陣・外陣があるのです。

『とどろき』を通して、仏教を知っていただきたいと思います。

まとめ

お寺の本来の役割は仏教に説かれている、崩れない色あせない幸せになれる道を説くことにあります。

しかし今日ではお寺に行っても教えが聞けることはほとんどありません。

それどころかお寺のお坊さんが、仏教のことがわからないまま読経をしているところもあります。

お寺に来る人は仏教を聞きたいから来るのに、それを伝えなければお寺には誰も来なくなってしまいます。

なかなか仏教が聞けない中、『とどろき』を通して門徒の皆さんに仏教親鸞聖人の教えを説かれているお寺があります。

ぜひ皆さんにも、『とどろき』を通して正しい親鸞聖人の教えを聞いていただきたいと思います。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間100回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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