「他力本願」は人任せ?|世間の誤解を解く因果の道理の教え
最近、スポーツが熱いです。
東京オリンピックが迫り、選手たちの意欲も日に日に高まってきているようです。
選手が活躍しているニュースを聞くのは、こちらとしても嬉しいものです。
世界大会となると、出られる選手はほんの一握り。
選手たちは、わずかな切符をかけて熾烈な争いを繰り広げていくのですが、時には思うように力が発揮できないことがあります。
ベストは尽くせなかったけれど、どうしても本戦に出場したい。
そんなときに出てくるのがこういう言葉です。
「他力本願だけど、他の選手が失敗してくれれば…」
このように、「他力本願」はよく聞く言葉です。
しかし、「人任せ」や「他人依存」など、あまりいい意味では使われないようですね。
だから、「他力本願でいてはだめだ」と言われるのでしょう。
他力本願の誤解を解く因果の道理
この「他力本願」という言葉は、もともと仏教に語源があります。
本来の意味は一般的に使われている意味と全く違うものです。
すっかり誤解された意味で定着してしまいましたが、仏教をよく知ると、その誤解も解けるのではないでしょうか。
それというのも、仏教の根底にあるのは「因果の道理」の教えだからです。
「因果の道理」とは文字通り、原因と結果の関係を教えられたもので、原因なしに起きる結果はないし、結果には必ず原因があるということです。
それはいつの時代も、どんな国でも成り立つことなので、「道理」と言われています。
原因と結果の関係は科学や医学、政治、経済、法律など、様々な分野で出てきますが、私たちの人生とも深い関係があります。
私たちは何よりも自分の運命を気にしています。
どうしたら幸せになれるのか、どうしたら不幸や災難を避けることができるのか。
皆が気にしていることですが、いまいちはっきりしていないのが正直なところではないでしょうか。
その幸不幸の原因と結果の関係を教えられたのが、仏教の「因果の道理」なのです。
そして、お釈迦さまは原因と結果の関係を「善因善果 悪因悪果 自因自果」と説かれました。
「よい行いをすればよい結果、悪い行いをすれば悪い結果、私に起きるすべての運命の原因は私自身の行いにある」ということです。
これに一切例外はないと教えられています。
自分の運命は自分の行いが決める、と言われているのですね。
だから、因果の道理が根底にある仏教から、人任せにしたり、他人に依存することを勧める言葉が出てくるはずがないのです。
人任せにしても、よい結果はその人自身のものになるだけ。
よい結果がほしいと思ったら、自分自身が最後まで頑張らなければいけないことが分かります。
他力本願の本来の意味とは
では、他力本願の本来の意味とは何でしょうか。
他力本願とは阿弥陀仏の本願力のことで、私たちを本当の幸せにするお力のことです。
私たちが幸せになるのに重要なカギを握るのが「他力本願」ですから、 お釈迦さまは、七千冊余りのお経で、この阿弥陀仏の本願のことを説かれました。
仏教を聞くということは、この阿弥陀仏の本願を聞くということです。
阿弥陀仏の本願とはどういうことか。
因果の道理とはどういう関係があるのか。
浄土真宗を全国に広められ、「中興の祖」と仰がれる蓮如上人は「仏教は聴聞に極まる」と言われ、重ねて聞いていけば必ず分かる時がくると仰っています。
とても深く、大事なことなので、是非続けて学んでいただければと思います。
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