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「南無阿弥陀仏」って何だろう?|念仏についての6つの疑問(前)

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2024/10/21
 


親鸞聖人といえば「念仏」(南無阿弥陀仏と称えること)を連想する人が多いでしょう。
「お念仏の声を子や孫に」
「お念仏の喜び」などのフレーズが、まるで浄土真宗であるかのように語られているからです。
これでは誰もが
「念仏称えたら極楽へ往ける」と誤解するのも、当然かもしれません。
 
では、そもそも念仏って、何なのでしょうか?
厄除け? それとも何かのマジナイ?
普段から何気なく称えておられる方も多いでしょうが、一体どんなことなのか、まずは各自の思いをお聞きしました。
 
 

「南無阿弥陀仏」とは何だと思いますか?

 
阿弥陀仏に助けていただくために称えるもの:38%
 
阿弥陀仏に助けられたお礼:32%
 
亡くなった方への供養:14%
 
魔よけ、災難よけなど、まじないの言葉:11%
 
その他:5%
 
特に意味はない:0%
 

・自分の願いをかなえてもらえるように、とか、自分に嫌なことが起こらないように祈る時、称えていました。
 
・「南無阿弥陀仏」とは、亡くなられた方への供養、亡くなられた方への栄養と思っていました。
 
・御仏壇にお参りする時は「南無阿弥陀仏」と称え、残っている家族の健康も願っていました。
 
・称えれば災いから逃れられるのかなぁ、と、気休めのまじないのように思っていました。
 
・よく心霊番組で、悪霊ばらいにお経を称えている光景が映し出されていたので、その影響を受けていました。
 
・墓の近くを通った時や夜中に怖くなった時に、「なむあみだぶつ」と称えていました。
 
・救われたお礼と聞いて、「救われてる実感がないのになぜお礼するの?」と思いましたが、言葉が先で、実体は後からついてくるということなのかと、今は思っています。
 
「あぁ、私もそう思ってた」と共感されたり、あれっと思われたり、いろいろでしょうが、では親鸞聖人は、「念仏」についてどのように教えておられるのでしょうか。

■Q1 念仏とは何ですか?

「念仏」とは、「口で南無阿弥陀仏と称えること」です。
「口声(くしょう)の念仏」とも、「称名念仏」ともいわれます。
 
「念仏さえ称えていれば、誰でも極楽へ往ける」
というのは大きな誤りで
、五百年前の蓮如上人の時代にも同じ誤解が蔓延していたのでしょう、こう糾(ただ)されています。
 

まず世間にいま流布して旨と勧むるところの念仏と申すは、ただ何の分別もなく南無阿弥陀仏とばかり称うれば皆助かるべきように思えり、それはおおきに覚束なきことなり (御文章三帖)

このような『御文章』(蓮如上人が書かれたお手紙。お文ともいう)は枚挙にいとまがありません。
蓮如上人はここで、「『南無阿弥陀仏』とは何のことか分からず、ただ称えている」のを「何の分別もなく」と誡められ、それでは助かりませんよ、早く「南無阿弥陀仏のいわれ」を知りなさいと勧めておられるのです。
 
そこで「南無阿弥陀仏」とはどんなことか。
親鸞聖人、蓮如上人のご教示を頂きましょう。

■Q2「南無阿弥陀仏」って何ですか?

「南無阿弥陀仏」とは何か、蓮如上人は平易に明らかにされています。
 

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること、更にその極まりなきものなり(御文章五帖)

「南無阿弥陀仏といえば、わずか六字であるから、そんな凄い力があるとは誰も思えないだろう。だが実は、南無阿弥陀仏の六字の中には、我々を最高無上の幸せにする限りなき広大な働きがあるのだ」
 
「南無阿弥陀仏」を「六字の名号」と言われます。
この六字の中に、とてつもない働きがあることを蓮如上人は、「無上」「甚深」「広大なること極まりなし」と、表現を変え言葉を尽くして絶讃されているのです。
あまりにも凄すぎてピンとこない人もあるかもしれませんので、具体的に比較して考えてみましょう。
 
日本には現在、個人金融資産は千四百兆円もあります。
さて、かりにこれが全部自分の物になったら、どうでしょう。
 
まずはローン完済してスッキリ重荷を下ろしたい。
それから我慢していた海外旅行へ。
豪華客船で世界一周。しかも高級スイートルームで。
それでもせいぜい数千万ですから、さらに料亭通いでもしますか。
銀座で毎晩、百万円散財し、田園調布に豪邸、軽井沢に別荘。
ヨーロッパ旅行に親族三百人を連れて何億円も大人買い、アラブの石油王をマネてみても、まだまだ大丈夫。
 
考えていると少し気が遠くなってきますが、「南無阿弥陀仏」の真価は、そんな金額に換えられるようなものじゃない、と蓮如上人はここで仰っているのです。
「無上甚深の功徳」ですから、世界中のお金も貴金属もダイヤも、全部かき集めたよりも桁違いに凄い値が、この六字の名号の中にあるのだ、ということですが、そう聞いて、「なるほど、よく分かりました」と素直にうなずけるでしょうか。
そんなバカな、たった六つの字に、何で?と訝(いぶか)る私たちの心を見透かされて蓮如上人は、

「南無阿弥陀仏」と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに

「南無阿弥陀仏といえば、わずか六字であるから、そんな凄い力があるとは誰も思えないだろう」
 
とズバリ指摘されているのです。
 
だがそれは、猫に小判、豚に真珠、あなたに「南無阿弥陀仏」の真値を知る智恵がないからだ、実は「南無阿弥陀仏」の六字は、大宇宙の万善万行の結晶なのだと、讃嘆されているのです。
 
親鸞聖人は、朝晩拝読する『正信偈』に「功徳の大宝海」と褒め称えておられます。
両聖人とも、釈迦が教えておられることを、「その通りであった」と知らされてのことです。

 
お釈迦さまが仏の大雄弁をもって「南無阿弥陀仏」の功徳一つを説かれたのが7千冊以上のお経ですが、それでも晩年に、

若し広説せば百千万劫にも窮め尽すこと能わじ(大無量寿経)

「『南無阿弥陀仏』の功徳は、何億年かかって説いても説き尽くせない。八十年の生涯では、大海の一滴も説けなかった」
と仰っています。
不可称・不可説・不可思議、言うことも、説くことも、想像もできない功徳と言われて当然でしょう。

■Q3そんな「南無阿弥陀仏」を、どなたが、何のために、創られたのですか?

それほど功徳のある「南無阿弥陀仏」の名号を、では一体どなたが、何のために、創られたのでしょうか。
 
それについて釈迦や親鸞聖人は、
「阿弥陀仏という仏が、苦しみ悩む私たちに与えて助けるために、創ってくだされたのだよ」
と仰っています。
 
幸せ求めて生きているのに、なれずにいる私たちを見捨てておけずに、立ち上がってくださったのが、阿弥陀仏という仏さまなのです。
 
地震や津波がまた来ないか。
株は暴落しないか。
就職できるのか。
会社が倒産するのでは。
将来、年金はちゃんともらえるだろうか。
未来が不安で皆苦しんでいます。
これらの大事は、放っておけぬと私たちは必死です。
 
しかし、最も大きなものが「死後、どうなるかハッキリしない」不安ですから、仏教ではこれを「後生の一大事」といわれます。
後生とは死後、来世のことです。
 
嫌じゃ嫌じゃといいながら、墓場へ向かって、皆行進している。
一日生きたとは、一日死に近づいたこと。
意識しようとしまいと、それが真実なのです。
死は百パーセント確実な未来であり、今晩かもしれぬ大事です。
災害や事故で、一瞬で命が失われていく。
生と死は、つねに隣り合わせ。今生と後生は、一息一息触れ合っています。
その後生が暗い「無明の闇」が、今の生を暗くしているのです。
 
阿弥陀仏は、この「無明の闇」こそ私たちの苦しみの根元と見抜かれて、
「無明の闇を破り、必ず浄土へ往ける大安心の身に救ってみせる」
と、命を懸けて誓約されています。
これが有名な「阿弥陀仏の本願」であり、この誓願を実現するために、阿弥陀仏が創られた大功徳の結晶が「南無阿弥陀仏」なのです。
いわば、私たちが「無明の闇」という恐ろしい心の病で苦しんでいるのを、阿弥陀仏という医師が「何とか治してやりたい、必ず助ける」と誓われた、その熱願から創られた妙薬といえましょう。
 
だから、この六字の名号には、すべての人を真実の幸福に救い摂る、広大無辺の力があるのだと親鸞聖人は、こう道破されています。

無碍光如来の名号と
かの光明智相とは
無明長夜の闇を破し
衆生の志願をみてたまう(高僧和讃)

「阿弥陀仏の創られた名号(南無阿弥陀仏)には、果てしなき過去から我々を苦しめてきた無明の闇を破り(破闇)、どんな人をも永遠の幸福にする(満願)働きがある」
 
本師本仏の阿弥陀仏が、私一人を絶対の幸福に救うために、五劫の思惟(五劫という長い間、阿弥陀仏は熟慮に熟慮を重ねて本願を誓われたこと)の末に本願を建てられ、その願を果たすために気の遠くなる期間ご修行をされた、その大変なご苦労によって成就なされたのが「南無阿弥陀仏」の六字の名号であり、これら経緯の一切を「名号(南無阿弥陀仏)のいわれ」というのです。
 
そう聞いても、分析して価値を認めようとする科学万能主義では、荒唐無稽でしかないかも知れませんが、十九世紀のイギリスの大化学者ファラデーは学生たちにこう説いたといいます。
「母親の涙も、化学的に分析すれば、少量の塩分と水分にすぎない。
しかし、その涙の中には化学も分析し得ない深い愛情がこもっていることを知らねばならぬ。」
 
名号はわずか「南無阿弥陀仏」の六字だけれども、「すべての人を絶対の幸福にしてやろう」という阿弥陀仏の大慈悲心(仏心)の顕現なのです。
 
後半に続きます。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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