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親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。 初めて学ぶ方も、イラスト入りの解説で分かりやすく学ぶことができます。

親鸞聖人が教える
お盆に思い出す亡くなった人に今からできる恩返しとは(前)

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2024/10/15
 


夏の訪れとともに
お盆には故人をしのんで
墓参りに出掛ける人も多いでしょう。
ともに過ごした当たり前の毎日が、
実はかけがえのない時間だったと気づいた時には
もう二度と元には戻れない。
身近な家族との別れほど、生前の不孝が悔やまれ、
つらく、せつないものはありません。
亡き人を思い、今から私にできることは何でしょうか。
親鸞聖人の教えに学びましょう。

言えなかった「ごめんね、ありがとう」

親鸞聖人が九歳で仏門に入られたのは、四歳でお父様、八歳でお母様を亡くされた、悲しい別れがきっかけでした。
肉親や伴侶との死別をきっかけに仏法を聞き始められた方が少なくありません。

妻をなくした男性の話

「春先の京都旅行中、ふと妻が『指輪が重い』とつぶやくのです。その後、手を動かしにくい、体がだるいと訴えるようになりました」
神経内科で検査入院し、告げられた病名は『筋萎縮性側索硬化症(ALS)』。
筋肉に命令を出す運動神経が日一日と死滅し、最後は呼吸もできなくなる原因不明の病気だった。
「一日でも一時間でも長く生きてほしい、の願いもむなしく、翌年の九月、妻は私を置いて一人、旅立っていきました。七十二歳でした。あんなに優しかった妻がなぜ……」
妻が喜ぶことは何かな……?
どうすれば正しい供養ができるだろうか?
そればかりを考えるようになりました。

お母さんをなくした男性の話

「私の母は学校の教師でした。テストの採点など、仕事を家まで持ち込み、生きることに必死な母の姿を見て育った私は、親の気持ちも分からず、生きて苦しむなら死んだほうがましではないか、と考えていました」
その後、生きる明かりを得たが、数年後、母親からガンであることを打ち明けられる。
「医者は私に、母はもう長くないことを日常会話のような冷静さで話してくれました。
私の結婚を案じる母のため、入院先へ婚約者を連れていきました。母は彼女に、私の子供の頃のこと、私が死を考えていたことを知った時のショックを涙ながらに話し、彼女が帰ったあとも、『お母さんの姿を見て、気分を害していなかったかい』と心配してくれました。余命いくばくもない病苦と闘いながら、なお私の幸せを案じてくれる母。気づかなかった母の大恩を知らされ、その日から、私の毎日は一変しました」
仕事が終わると往復五時間の道程を、面会時間ギリギリに病院に駆け込む日々。
寝るのはいつも車の中だった。
「そんな私に気づいてか、母は見舞いに行くと『早く帰ったら』と言ってくれました。しかし私が帰ろうとすると『夜は怖くて一人で寝られない』と泣いていました。
私は仕事をしていられなくなり、付き添いで看病するようになりました。しかし無常は容赦なくやってきたのです。
「体を酷使してまで育ててくださったご恩、決して忘れません」

この世の最も深い悲しみ「愛別離苦」

会者定離
ありとはかねて聞きしかど
昨日今日とは思わざりけり
(親鸞聖人)

どんなに親しい人とも必ず別れの時がやってくると、かねてお聞かせいただいておりましたが、こんなにも早く、その時が来ようとは思っておりませんでした。あまりにも、早すぎます……
 
会うは別れの始めといいながら、大切な人を失って初めて知る、深い悲しみ。
お釈迦さまは、愛する人や物との別離の苦しみを「愛別離苦」と教えられました。

人間の八苦のなかに、愛別離苦これ最も切なり
(覚如上人)

愛情の幸福にすっかり身を委ねていればいるほど、別離の悲しみは、いつ癒えることがあるのかと思うほど深く、痛切です。
無常はいつも突然に、何の覚悟もできていないまま、愛する人を引き裂かずにはおきません。
親や伴侶が健在の時は、いるのが当たり前で、時に疎ましく思ったり、おろそかにしがちですが、失って初めてそのありがたみを知るのも、人の世の常でありましょう。

生み育ててくださった親の恩

「恩」という字は「原因を知る心」と書きます。
今の私の幸せがあるのは、どんな人や物のおかげなのか。
ふだんは意識していなくても、私たちは様々なご恩の中に生かされています。中でも身近で大きなものは、生み育ててくださった両親の恩でしょう。
 
お釈迦さまは、生まれ難い人間に、よくぞ生まれたものぞ、
「人身受け難し、今已に受く」
人間に生まれたことを喜びなさいと教えられています。
人間に生まれなければ、仏法を聞き、本当の幸せになることもできません。
だから人間に生まれたことは大変喜ぶべきことなのだと教導されているのです。

 
私が人間に生まれることができたのは、両親がいたから。
その両親にもそれぞれ両親があり、その両親にもまた両親があった。
そうしてたどっていくと、33代で現在の地球の人口80億を超えるといいます。
その中の一人欠けても、私はこの世に生を受けられなかった。さすれば、仏法は聞けなかった。
だから一人もおろそかにはできません。
仏教で親の恩、先祖の恩を説かれる理由がここにあります。
このような深いご恩に対して、私たちはどうすることが最もご恩返しになるのでしょうか。親鸞聖人からお聞きしましょう。
 
後半に続きます。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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