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たくさんの仏教宗派がある中でなぜ「親鸞聖人の教え」なのでしょう?(後)

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カテゴリー:なるほど親鸞聖人 タグ: 更新日:2023/07/03
 


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生きるのは、暇つぶし?無駄な抵抗?

苦難、困難の波を何度も乗り越えて私たちは生きていくのですが、やがて行き着く先はどこでしょうか。
必ず力尽きる死が待っています。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
と言った人がありますが、苦しい思いをしてまで、暇つぶしをする必要はないでしょう。
 
それどころか死ぬのは誰でも嫌ですから、体によい食べ物、適度な運動を、と健康に気遣い、少しでも死を遠ざけようと日々努力しています。
しかし、完全に死を回避することはできません。
コンビニに押し入り人質を取って立て籠もる強盗に、説得を試みる警察官、「おまえはもう包囲されている。無駄な抵抗はやめろ!」
果たして無駄な抵抗をしているのは、この強盗だけでしょうか。
 
相次ぐ災害に、「自分の命は自分で守ろう」と声高に言われます。
災害への備えはもちろん大事ですが、自分の命を完全に守り切れる人があるでしょうか。
誰もが「絶対に負ける戦い」をしているのです。
 
「死にたくない」と抵抗を続けて、あがき、もがいた揚げ句にこの世を去っていくのですから。
人生は旅、すべての人は過去から未来へ行く「旅人」だと歌われています。
旅人はジッとしておらず、この人生も通過点に過ぎない。
死は次の旅への出発だから、死ぬことを「旅立つ」という。
では死んでどこへ旅立つのか?行く先はハッキリしているのでしょうか。
エレベーターも、いつまでも乗ってはおれません。必ず降りねばならない時が来ます。
降りた先はどんな世界か。知らずにエレベーターに乗ってはいないでしょうか。
 
親鸞聖人は未来の「行く先」が、現在ただ今ハッキリするぞ、と明らかに教えられているのです。

絶対の幸福に向かって輝く日々に

親鸞聖人は、今死んでも浄土往生間違いなしの「往生一定」になることがこの世に生まれた目的なのだよ、と教示されています。
これこそ「なぜ生きる」の答えなのです。
 
「往生」とは、「往」はユク。地獄や餓鬼界にゆくのでない。本師本仏である阿弥陀仏の極楽浄土へ往くことです。
「生」はウマレル。ですから、阿弥陀仏の極楽浄土へ往って、弥陀同体の仏に生まれることを「往生」といいます。世間で、困った時や死んだ時に「往生した」などと言うのは、全く間違っています。
 
「一定」とは、ハッキリすること。平生ただ今、いつ死んでも極楽参り間違いないとハッキリしたことを「往生一定」というのです。
 
そんな身に、どうしてこの世でなれるのか。
それはひとえに阿弥陀仏の本願力によってであると、親鸞聖人は和讃で教えられています。

生死の苦海ほとりなし
ひさしく沈めるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける(高僧和讃)

苦しみの波の絶えない海に、永らくさまよい続けてきた私たちを、阿弥陀仏の本願の大船だけが、乗せて必ず浄土まで渡してくだされるのである
 
阿弥陀仏の本願の「本願」は「誓願」ともいい、大宇宙最高の仏である阿弥陀仏のなされているお約束のことです。
阿弥陀仏は、
すべての人を必ず往生一定(絶対の幸福)に救う。もしできなかったら仏のさとりを捨てる
と誓われています。
 
煩悩具足の私たちを、そのまま弥陀の大船に乗せて助ける、との命懸けてのお約束です。
この弥陀のお力によって「弥陀弘誓の船」に乗せられ、絶対の幸福に生かされた乗船者は、来世は往生即成仏(浄土に往くと同時に弥陀同体の仏になる)の身となります。
 
仏教にはいろいろの宗派がありますが、全ての仏教に共通の目的は仏に成ること。
しかし、極楽浄土に往って直ちに弥陀同体の仏になれる、と平生ただ今ハッキリする教えは親鸞聖人の教えだけなのです。
これを「現生正定聚」といわれます。
「正定聚」とは、正しく仏になると定まった人たち。現在生きている時に、正定聚になれるのです。これを「平生業成」ともいいます。
この親鸞聖人のみ教えを、蓮如上人は有名な「聖人一流章(御文章五帖目十通)」にこう仰っています。

不可思議の願力として、仏の方より往生は治定せしめたまう

阿弥陀仏の不可思議の本願力によって、弥陀弘誓の船に乗せていただき、往生一定(往生は治定)の身にならせていただける。
「人生の目的を達成したぞ。たとえ体が動かなくなっても、これ一つ果たすために生まれてきたのだ。平生の一念に絶対の幸福になれたぞ」
そんな生命の大歓喜を味わうことができるのです。
そして、蓮如上人は、その身に救われたならば、お礼の念仏を称えずにおれなくなる、と同じ「聖人一流章」に、

その上の称名念仏は、如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と、心得べきなり

と仰っています。
往生一定、絶対の幸福に助けていただいて称える念仏は、お礼(御恩報尽)であるとの教えです
生きては正定聚の絶対の幸福、死しては往生即成仏で弥陀同体のさとり。
この世も未来も完全に救い切ってくださるのが、本師本仏の阿弥陀仏の本願なのです。

それには、
仏法は聴聞に極まる
聞く一念になれるのですから、真剣に弥陀の本願を聞き求め、光に向かって一日一日進みましょう。
無駄な抵抗どころではない。必ずや、光明輝く人生が開かれるのです。

まとめ

●「なぜ生きる」親鸞聖人のお答えは、「阿弥陀仏の本願力によって、往生一定、絶対の幸福になること」。
●極楽浄土に往って直ちに弥陀同体の仏になれる、と生きている今ハッキリする教えは、親鸞聖人の教え以外にない。
●往生一定になるには「聴聞に極まる」と教えられている。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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