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親鸞聖人と東海道の出会い

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カテゴリー:なるほど親鸞聖人 タグ: 更新日:2019/04/09
 

浄土真宗 親鸞聖人と東海道の出会い

箱根の山を越えられた親鸞聖人は、東海道を経て、懐かしき京の都へ向かわれました。その道中に、数々のドラマが残されています。

 

かつて共に法然上人から教えを受けた法友・熊谷蓮生房から仏法を伝えられた人々との出会い、親鸞聖人に法論を挑んできた僧侶たち、参詣者の胸から胸へ拡大していく法輪……。

その出会いは、やがて、蓮如上人を危機からお救いする源流となり発展していくのでした。

福井長者の仏縁

駿河国(静岡県)で、親鸞聖人を心待ちにしている夫婦がありました。彼らは、親鸞聖人の法友・熊谷蓮生房と縁があった人たちです、25年以上も前のことですが、どんな出会いだったのでしょうか……。

 

法然上人のお弟子であった蓮生房が、京都から故郷の関東へ向かった時のこと。小夜ノ中山の峠で盗賊に襲われました。かつて源氏の大将として名を馳せた蓮生房。腕に自信はありましたが、なぜか「失って惜しい物は何もない」と無抵抗を示したのです。賊は路銀や衣類、すべてを奪っていきました。

さて、どうするか。身ぐるみはがされた蓮生房は、大胆にも藤枝の宿で一番の富豪・福井憲順の屋敷の前に立って叫んだのです。
 

「私は、武蔵国の蓮生房と申す者。先ほど盗賊に路銀を全部与えてしもうた。再度、京都へ上る時にお返しするから、銭をお貸しくださらんか」

素っ裸の見知らぬ男の借用にだれが耳を貸そうか。憲順は当然断りました。すると蓮生房、

「わしは無一文だが、この世で最も素晴らしい宝を持っている。それを抵当にお預けするから、借金をお願いしたい。大事なものゆえ、貴殿の腹の中にお預かりいただきたい。さあ、口をお開けくだされ……」

蓮生房は合掌し、南無阿弥陀仏念仏を称えました。すると蓮生房の口より、まばゆい金色の阿弥陀如来の化仏が現れ、憲順の口の中に移ったといいます。

これは有り難い奇瑞、と喜んだ憲順は、蓮生房に路銀を貸しただけでなく、法衣を贈り、温かくもてなしました。

蓮生房が抵当に入れた「この世で最も素晴らしい宝」とは、阿弥陀仏の本願のことです。蓮生房は憲順に説法して、感激した憲順が蓮生房に心を開いたということでしょう。

色も形も無い教えをどう表すか。すべての人を絶対の幸福に助ける阿弥陀仏の本願は、資産家の憲順には、まさに「金色の阿弥陀如来像」を得たような喜びだったのでしょう。

 
翌春、蓮生房は、約束どおりお金を返しに来ました。彼は、福井憲順に、

「後生の一大事をゆめゆめ忘れてはなりませんぞ。善知識(仏教の先生)の教えを受けて、往生を願いなさい」

と言い残して京都へ帰っていきました。

 

憲順は、尊い教えだと思いながらも、自ら急いで求めようという気持ちになれず、長い年月が過ぎてしまいました。

ところが、親鸞聖人が関東から京都へお帰りになるという話が伝わってきたのです。これを縁に、かつて聞いた後生の一大事が思い起こされてきました。

老齢の身、「今死んだら……」と思うと、不安はつのるばかりです。道中で、夫婦そろって親鸞聖人をお待ちし、自宅で法話をお願いしたのです。

親鸞聖人は、南無阿弥陀仏の御名号の偉大な力を懇ろに諭されました。

“夫婦はこれを聴聞し、宿善開発し、たちどころに信心受得す”(二十四輩順拝図会)

福井長者夫婦は、親鸞聖人のお弟子となり、名を蓮順、蓮心と改め、全財産を投じて自宅を聞法道場に改造しました。これが藤枝市本町に残る蓮生寺です。

三河の柳堂でご説法

親鸞聖人が、京都へ向かって関東をたたれたことは、当時、ビッグニュースとして東海道を駆け抜けたのではないでしょうか。

 

親鸞聖人がお通りになることを知った三河国(愛知県)碧海郡の領主・安藤信平は、「この機会にぜひ、高名な聖人にお会いしたい」と城内の柳堂にお招きし、法話をお願いしました。ここでのご説法は、17日間に及んだといいます。

初めて聴聞する真実の仏法でありましたが、安藤信平は、即座に決心しました。

「これこそ、生涯懸けて悔いなき道だ。人生の目的をハッキリ知らされたぞ!」

城主の位を弟に譲り、親鸞聖人のお弟子になって、名を念信房と改めました。
柳堂は、現在、妙源寺の境内にあります。「親鸞聖人説法旧趾」と大きな石碑が立っています。

三河門徒の気概

親鸞聖人の、柳堂でのご説法中にハプニングが起きました。参詣者の多さをねたんだ天台宗の僧侶3人が、親鸞聖人を論破しようと乗り込んできたのです。地元の上宮寺、勝鬘寺、本証寺の住職でありました。

親鸞聖人は、ことごとく彼らの非難を打ち砕かれ、お釈迦様の出世本懐は、阿弥陀仏の本願一つであることを明らかにされました。

誤りを知らされた3人は、そろって親鸞聖人のお弟子となり、寺ごと浄土真宗に改宗しています。これを三河三ヵ寺といい、強信な三河門徒を形成していくのでした。

三河は、蓮如上人の時代に真宗一色に塗り変えられました。その中心が、上宮寺でした。上宮寺の末寺は三河64ヵ寺、尾張41ヵ寺あったといいますから、絶大な勢力を振るっていたことが分かります。

 

寛正6年(1465年)、比叡山延暦寺の僧兵が、蓮如上人のお命を狙って本願寺を襲撃しました。この時、上宮寺の住職・佐々木如光は三河の門徒を引き連れてはせ参じ、比叡山との交渉を一手に引き受けています。比叡山は金を要求しました。如光は、「金で済むなら、三河から取り寄せよう」と悪僧たちに宣言。一晩で、山門に金を山と積ませ、比叡山を黙らせたといいます。

 

事件解決後、蓮如上人は三河を巡教され、上宮寺にしばらく滞在されています。
これから約百年後のこと。
織田信長が桶狭間で今川義元を破って以来、家康は今川の拘束から離れ、着々と三河の支配を固めていました。永禄6年(1563)、家康の家臣が上宮寺から兵糧として米を略奪しました。これを機に、家康の苛酷な支配に対する真宗門徒の不満が爆発。一向一揆が起きたのです。

三河三ヵ寺を中心とする真宗門徒は一万余の勢力に及び、半年にわたって家康を苦しめました。一時は、岡崎城に攻め込むほどの勢いであったといいます。窮地に追い込まれた家康は、勝算なしと判断し、和議をもって臨んでいます。

その条件は、

1、寺・道場・門徒は元のままとする
2、真宗側についた武士の領地は没収しない
3、一揆の首謀者は殺さない

でありました。真宗側にとって有利なものです。

ところが、一揆の勢力が各地へ引き揚げたと同時に、腹黒い家康は約束を破って、寺院をことごとく破壊し、真宗禁止令を出したのです。卑劣な弾圧でした。三河に真宗寺院が復活したのは、それから二十年後のことでした。

河野九門徒と瀬部七ヵ寺

仏法は、一人の胸から胸へ確実に広まっていきます。三河の柳堂で親鸞聖人のご説法を聴聞した人の中に、尾張国羽栗郡本庄郷の人がいました。
 

「こんな素晴らしいみ教え、私の故郷にもお伝えください」

との願いに、親鸞聖人は快く応えられ、帰洛の途中に立ち寄られました。現在の、岐阜県羽島郡笠松町円城寺の辺りだといわれています。

 
この地の参詣者の中で、新たに9人が親鸞聖人のお弟子になっています。親鸞聖人は一人一人に直筆の御名号を書き与えられました。彼らは、それぞれ一寺を建立し、親鸞聖人の教えを伝えたので「河野九門徒」と呼ばれています。

さらに京へ向かって歩みを進められましたが、木曽川の氾濫で、しばらく、現在の愛知県一宮市瀬部に滞在されました。その間も地元の人々に、ご説法なされ、7人がお弟子になっています。その中には、武士も商人もいました。彼らも、それぞれ聞法道場を築き、親鸞聖人の教えを伝えました。これを「瀬部七ヵ寺」といいます。

親鸞聖人のご出発にあたり、この7人のお弟子は、木曽川の激流へ入って瀬踏みをし、無事、親鸞聖人を対岸へご案内したと伝えられています。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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