「盲亀の浮木」とはどんな意味?目の見えない亀と穴の空いた木の話
5月23日は世界亀の日です。
それにちなんでテレビ朝日系列で毎週平日放送中の「グッドモーニング」の中の「ことば検定」で林修先生が「盲亀の浮木」という言葉について解説していました。
「盲亀の浮木」という言葉の意味は?
- 年長者の経験は貴重
- 滅多に巡り会えない
- 将来の夢は大金持ち
答えは、2の「滅多に巡り会えない」です。
鶴は千年、亀は万年と言われるように長寿の象徴である亀にまつわる言葉なので1番を選びそうですが、そうではありません。
ちなみに3番の「将来の夢は大金持ち」は「盲亀の浮木」と「儲けよう僕」をかけたダジャレです。
ではなぜ「盲亀の浮木」が「滅多に巡り合えない」になるのでしょうか。
盲亀浮木のたとえ
「盲亀の浮木」とは譬喩経(ひゆきょう)というお経に出てくる言葉です。
譬喩経にはお釈迦様が人間に生まれることがいかに難しいことかをたとえ話で教えられています。
盲亀浮木のたとえ話
ある時、お釈迦様が阿難(あなん)というお弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「大変喜んでおります」
と阿難尊者が答えると、お釈迦さまは盲亀浮木の譬えをお話しなさっています。
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「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ。百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
聞かれた阿難は驚いて、
「お釈迦さま、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「絶対にないと言い切れるか」。
お釈迦さまが念を押される。
「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
と阿難が答えると、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴に首を入れることが有るよりも、難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と教えられています。
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「有り難い」とは「有ることが難しい」ということで、めったにないことをいいます。
そのため「盲亀の浮木」の意味は「滅多にない」という意味になるのです。
人身受け難し
またお釈迦様はこのようにも言われています。
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん
「人身」とは私たち人間のこと。
「人身受け難し」とは、「人間には生まれ難い」という意味です。
人間に生まれることはどれほど難しいか、他の生き物と比較してみましょう。
海洋生物学者ボリス・ワーム氏らの研究によると、マンボウが一度に産む卵の数は三億個といわれます。
また『蟻の自然誌』(バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン共著)によるとアリの数は、約一京匹(京は一兆の一万倍の単位)で、すべてのアリの重さを計算すると、全人類の総重量に匹敵するそうです。
昆虫の総数になると百京にも上るといわれます。人間は、爆発的に増えたといっても七十億ですから、かりに人口を百億にしても、昆虫の数(百京)は、その一億倍になります。単純計算すると、人間に生まれる確率は昆虫の一億分の一です。
もちろん昆虫以外にもたくさんの動物がいます。名前がついているだけで百二十万種といわれ、未発見のものを含めると、八百七十万種に上るという説もあります。
全生命の総数ともなると、もはや計り知れません。
もし、自分が、あのアリの行列の一匹、ハエ、蚊だったら……。
そう思うと人間に生まれることの難しさが知らされるかもしれませんね。
このように人間に生まれることは大変有難いことであることを「盲亀の浮木」と教えられているのです。
お釈迦様は「人身受け難し、今已に受く」の後に「仏法聞き難し、今已に聞く」と言われています。
これについても林修先生は優曇華(うどんげ)の花を通して教えていました。
優曇華についてはこちらをご覧ください。
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