念仏称えたら死ねば極楽?この世から幸せになれるのが親鸞聖人の教え
「南無阿弥陀仏」と称えると、死んだら極楽に往ける、と教えられたのが親鸞聖人であり、浄土真宗の教えだと思われている方が多いようです。
ところが親鸞聖人は、南無阿弥陀仏には、この世から私達を幸せにする力があると教えられています。
南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし
流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ
(現世利益和讃)
(意訳)
「大功徳の南無阿弥陀仏を称えれば、苦しみの根源が断ち切られ、受けて当然な不幸や災難や若死からものがれて、この世から限りなき幸せになるのである」
これはどういうことでしょうか。
「流転輪廻のつみきえて」とは
人生は苦しみの花咲く木、とも言われます。
病気の苦しみ、肉親との死別、不慮の事故、家庭や職場での人間関係、借金の重荷、老後の不安など、挙げればキリがありませんが、生きていれば、様々な苦しみに襲われます。
そんな苦しみを解決しよう、あるいは少しでも和らげようと、悪戦苦闘しているのが私たちの毎日ではないでしょうか。
それは、苦しみという花を、一つ一つ切り落とそうとする努力に例えられます。
ところが、そうやって1つの苦しみを解決すると、花を摘んでも木がまた別の場所に花を咲かせるように、また別の苦しみが現れて、人生から苦しみが無くなった、ということはありません。
その苦しみから離れきれない姿を、仏教では「流転輪廻」(るてんりんね)と言われます。
親鸞聖人は、その「流転輪廻」には根本原因があると教えられました。
それを「流転輪廻のつみ」といわれ、苦しみの根本原因が断ち切られて、変わらぬ幸せになったことを、「流転輪廻のつみきえて」と言われています。
「定業中夭のぞこりぬ」とは
「定業」とは、受けて当然の不幸や災難を言い、「中夭」とは、若死にということです。
もちろん、不幸や災難が一切来なくなる、絶対に若死にしなくなる、というわけではありませんが、大難が小難になる、と説かれています。
親鸞聖人が活躍された鎌倉時代の平均寿命は、わずか24歳であったと言われています。
そんな時代にあって、90歳まで生きられた親鸞聖人は、大変な長寿です。
また、親鸞聖人の師匠の法然上人は80歳、親鸞聖人の教えを日本全国に伝えられた蓮如上人は85歳と、いずれも長生きされています。
「南無阿弥陀仏をとなうれば」とは
「南無阿弥陀仏をとなうれば この世の利益きわもなし 流転輪廻のつみきえて 定業中夭のぞこりぬ」のお言葉を聞きますと、ただ口で「南無阿弥陀仏」と称えるだけで、そんな幸せになれるのかと、疑問に思われる方が多いと思います。
口で「南無阿弥陀仏」と称えることを、「念仏」と言います。
親鸞聖人は、念仏を称える時の心に注目され、念仏を大きく2つに分けて教えられています。
「他力(たりき)の念仏」と「自力(じりき)の念仏」です。
この2つの念仏について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
親鸞聖人が、「南無阿弥陀仏を称えれば、この世から限りなき幸せになれるのである」と教えられる念仏は、「他力の念仏」です。
その「他力の念仏」を称える身になるにはどうしたらよいのか、早く「他力の念仏」を称える身になり、生きている時に、限りなき幸せになってもらいたい、これ一つ教えられたのが親鸞聖人です。
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