何が起きるか分からないこの世で幸せになる『歎異抄』に込められたメッセージ(前編)
普段私たちが見ようとしない諸行無常の現実をたじろがずに直視し、その無常の世に絶対の幸福があることを高らかに宣言されたのが、お釈迦さまです。
『歎異抄』が時代を超えて、多くの日本人の心を打つ理由はいくつもありますが、一つには現実から決して逃げない、仏教のたくましい精神が根底に流れているからではないでしょうか。
『歎異抄』の言の葉には「真実のにおいがする」と作家・司馬遼太郎は述べています。
都合の悪いことは、目を背けたり、美化するのが世の常、しかし『歎異抄』にはそんなごまかしが一切ないことを感じ取ったのでしょう。
太平洋戦争の末期、学徒出陣の号令で、戦地に赴いた多くの青年が『歎異抄』を肌身離さず読みふけったと言われます。
死と隣り合わせの戦場で、塹壕に息を潜め、生の意味を問う若者には、どんな美辞麗句も魂の支えにはならなかった。
彼らが求めたのは生死の不安を乗り越える真実の言葉だったに違いありません。
『歎異抄』の渾身のメッセージに耳を傾けてみましょう。
火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに
ただ念仏のみぞまことにておわします。(『歎異抄』後序)
「火宅無常の世界」って何?
火宅無常の世界とは、私たちが生きている、この世のこと。
「この世のすべてはそらごとであり、たわごとであり、まことは一つもない」という親鸞聖人の断定に、まず驚かされます。
政治・経済・科学・医学、毎日ニュースで取り上げられ、新聞やネットで論じられていること、朝から晩まで私たちが幸せ求めて必死に取り組んでいることを「そらごと」「たわごと」「まことがない」なんて「とんでもない!反社会的、反道徳的な暴言だ」と憤慨する人もいるでしょう。
人間のあらゆる営みを否定するような、衝撃的なこの発言は、何を意味しているのでしょうか。
なぜこの世を「火宅無常の世界」と親鸞聖人は仰ったのか。
「どんな幸せも続かない」という「諸行無常」の仏説(釈迦の教え)を親鸞聖人は「火宅無常」と言われているのです。
「火宅」とは、ひさしに火のついた家。
そんな家に住まいをしていたら、何をしていても、心からの安心満足はない。
「一刻も早く、消し止めなければ」と、いても立ってもいられない心になります。
家が全焼した人だけが苦しむのではありません。
今は燃えていなくても、これから燃え落ちることがはっきりしているから不安に襲われるのです。
同じように、病気で苦しんでいる人、災害に泣いている人、恋人に裏切られ、伴侶に死別して悲嘆の人、そんな「無常」がわが身に襲いかかってきた後で苦しむのではありません。
今は縁がないだけで、やがて、必ず無常に直面することは、すべての人の避けられない運命なのです。
それは臨終になればすべての人が直面する大事なのだと、天下人秀吉も、こう詠んでいます。
おごらざる者もまた 久しからず
露とおち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢
彼の辞世には、太閤の威厳はみじんも見られません。
「散る桜 残る桜も 散る桜」
戦場に赴いた兵士が口ずさんだ句です。
過酷な運命に直面して、先に死ぬか、後で死ぬか、咲いた花なら散るのが定め。
俺は皆より少し早く散るだけだ、と自らを納得させようとしたのでしょうか。
「笑う人も 後から転ぶ 雪の道」
テレビや新聞で報道される、想定外の喪失に直面した人だけが、悲しみに沈むのではありません。
見ている人もやがて必ずぶち当たる、幸せ崩壊の現実です。
持てる者も、持たざる者も、賢愚美醜を問わず、人間すべてに平等にやってくるのが「諸行無常」の真実なのです。
満開の桜が、どうして喜べないの
私たちは、このことにうすうす気づいていますから、幸せのまっただ中にあってでも、それを心から楽しめないのではないでしょうか。
「若かったあの頃 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった」(神田川)
何も怖くない、好きな人と一緒にいる絶頂の幸せに感じる怖さ。
愛する夫に抱かれて、「私、怖いくらい幸せよ」と新妻がささやく。
人は、山の頂に登ることはできても、そこに長く住むことはできないことを予感しているのでしょう。
「この世のどんな幸せも続かない。やがて消えてしまうのだよ」と仰ったのが「火宅無常の世界は万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし」のお言葉なのです。
では、どうしたらこの不安を解決して、絶対の幸福になれるのか。
親鸞聖人がその道を示されたのが、次のお言葉です。
ただ念仏のみぞまことにておわします
後編で解説をしたいと思います。
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