仏教5つの「シン・常識」|仏教の素朴な疑問に答えます(前)
仏とは?さとりとは?など仏教に関する素朴な疑問、解消します。
全国にある寺院の数は約7万7千。
実はコンビニ(約5万店)よりはるかに多いのです。
ある大学の調査では、仏教に「良いイメージを持っている」と回答した人が90%に上りました。
それほど仏教は、私たちの身近で親しみを感じる存在なのですが、その教えとなると、意外と聞いたことのない人が多いのではないでしょうか。
そもそも「仏」とは何でしょう。
また、仏教でよく言われる「さとり」とは。
そして、親鸞聖人と仏教とは、どんな関係なのでしょうか。
・仏教は歳を取ってから聞けばいいもの?
・仏とは何?
・地球の歴史上「仏さま」はどなた?
・親鸞聖人の教えと仏教の関係は?
・お釈迦さまが説き明かされた「しあわせの答え」とは?
そんな疑問にやさしくお答えします。
シン・常識① 仏教は”年取ってから聞けばいい”と思っているのは日本人だけ?
仏教といえば、日本では「年取ってから用事があるもの」と思われていますが、これはかなり人生を損する誤解といえるでしょう。
なぜなら仏教は、若い時に聞けば聞くほど、その人に豊かな果実をもたらしてくれるからです。
世界の著名人の言葉を聞いてみましょう。
仏教の教えに触れた、ドイツの哲学者ニーチェは「仏教はキリスト教に比べて、100倍くらい現実的だ」と驚き、「仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていい」と述べています。
二十世紀最大の天才科学者といわれるアインシュタインも、「現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは『仏教』です」と、仏教に大きな期待を寄せています。
また、世界文化史の大家、H・G・ウェルズ(イギリス)は、世界の偉人のトップにお釈迦さまを挙げ、
「私は公平にどの点からみても、世界で最大の偉人は仏陀釈迦牟尼仏である」
「仏教は世界史上知られる最も透徹した知性の偉業であるということに議論の余地はない」とまで絶賛しています。
実際、世界中の多くの若者が今、仏教に注目し、どんな教えか知りたいと求めています。
むしろ日本人のほうが、すぐそばにある宝に気がついていないのかもしれません。
シン・常識②「仏」とは さとりの名前。しかし誰でも仏のさとりに到達できるわけじゃない
仏教とは「仏の説かれた教え」です。
そこで「仏」とは何か。まず、それを知るところから始めましょう。
仏とは「さとり」の名前です。
一口にさとりといいましても、低いさとりから高いさとりまで、52の位があり、これを「さとりの52位」といわれます。
ちょうど相撲取りでも、下はフンドシ担ぎから上は大関、横綱までいろいろあるように、さとりにもピンからキリまで全部で52の位があり、それぞれ名前がついています。
その52のさとりの、最高の位を「仏覚(仏のさとり)」というのです。
これ以上のさとりはありませんから「無上覚」ともいわれます。
この最高無上の仏というさとりを開かれた方を「仏」とか「仏さま」といわれるのです。
「さとりって、何をさとるの?」という声が聞こえてきそうですが、答えは大宇宙の真理です。
真理といっても、科学的真理や数学的真理などではなく、ここでいわれるのは「すべての人が本当の幸福になれる真理」のことです。
21世紀の今日も、世界は不安や苦しみにあふれています。
歴史を振り返っても、かつて人間に苦悩のない時代や国があったでしょうか。
4年に一度、大統領選で「チェンジ」を掲げても、苦しみが色を変えるだけ、右肩の荷物を左肩に移すようなもので、「アー、ヤレヤレ、すっかり楽になった」と重荷を下ろせたことはありません。
不幸にも私たちは「人生は苦なり」のお釈迦さまの言葉を否定する人類史の記憶を持っていないのです。
それはなぜなのでしょうか。
人は皆、幸せを求めて生きています。
私たちが日々、仕事や勉強に頑張っているのも、人間関係に気を遣って神経を擦り減らしているのも、幸せになりたいからです。
政治、経済、科学、医学、倫理、道徳、あらゆる分野で真剣な研究がなされているのも「幸福」の2字に向かってでしょう。
それなのになぜ、私たちに真の幸せは訪れないのでしょうか。
物は溢れているのに生きづらさはなくならず、「幸せ?そんなの雲をつかむようなものでしょ」というささやきが、ちまたにあふれているのは、どうしてなのでしょう。
それは、苦しみの原因を正しく知らないからです。
なぜ幸せになれないのか。
人生の苦しみの根本原因を突き止め、本当の幸福になれる道をさとられた方が、「仏さま」なのです。
さとりを開くことを山登りに例えますと、1合目まで登ると、ある程度近い麓は見ることができます。
2合目まで登ると、もっと遠くまで見えるようになります。
2合目よりも3合目、3合目よりも4合目と、登れば登るほど見える景色は広がっていき、最後、頂上まで登り詰めた時、360度、辺り一面を見渡すことができるように、最高無上のさとりである「仏覚」まで到達した方だけが、大宇宙の真理全てを体得することができるのです。
さとりを開くのは大変です。
さとりは一段違っても、人間と犬や魚ほど境界が違うといわれます。
例えば、私たちが犬や魚にパソコンやスマホの説明をしても、彼らは理解できません。
あまりに境界が違うからです。
まして52段の仏の境界となれば、これはもう、気が遠くなるほどです。
古来、この仏覚を目指して多くの人が修行に取り組んできましたが、さとりを開くことは、どれほど難しいのでしょう。
禅宗の祖として有名な達磨大師は「面壁九年」といわれ、壁に向かって9年間座禅を続けたため、手足が腐って切断したと伝えられます。
それほどの修行をしても、達磨がさとれたのは30段ほどといわれますから、仏覚には遠く及びません。
世間では、死ぬことを「成仏」と言ったり、亡くなった人を「仏」と言ったりしていますが、仏の正しい意味を知れば、誰でも死ねば仏になれるはずがないとお分かりでしょう。
死者を仏というのは、全くの仏教に関する無知と誤解からくるものです。
残りの3つの疑問については後半でお話しします。
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