仏教5つの「シン・常識」|仏教の素朴な疑問に答えます(後)
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シン・常識③ 地球の歴史上「仏さま」は、ただお一人
人類史上、この仏覚まで到達された方は、ただ一人、お釈迦さまです。
釈迦は2600年前、インドのカピラ城主、浄飯王の長男として生まれ、仏覚をさとるまでは「シッタルタ太子」と呼ばれていました。
生まれながら、社会的には最高の地位、名誉、財産を持ち、そのうえ親の愛情を受け、思うままの生活が約束されていました。
19歳で国内一の麗人といわれたヤショダラ姫と結婚し、翌年、男子ラーゴーラをもうけています。
さらに春夏秋冬の四季の御殿に住み、500人の美女たちと戯れる生活。
私たちが、その中の一つでも手に入ればと、日々求めているもの全てを持っておられたのです。
そのシッタルタ太子が、あらゆるものに恵まれながら、なお満たされぬ魂の叫びに驚き、29歳2月8日、それら一切の名誉、地位、財産、妻子を捨てて城を出て、入山学道の人となられました。
なぜ出家されたのか
何とか太子を連れ戻そうと、カピラ城から憍陳如(きょうちんにょ)ら5人の家来が後を追いました。
憍陳如は必死に訴えます。
「世に出家の動機には四通りあると聞いております。
長く病を患って思うように人生を楽しむことができないから。老人になって体の自由が利かず、将来の希望を失ってしまったから。
金や財を失って生活に困っているから。家族と死別して世をはかなむから。
しかし太子様の場合、四つとも当てはまりません。
年若く健康で、華やかな王宮で何不自由ない生活を送られ、家族にも恵まれておいでです。
なぜ若き楽しみを捨てて、遠きさとりを求められるのですか。
私たちには一向に分かりません。
太子様のお考えがどうしても分からないのです……!」
その時、太子は厳然と言われました。
「おまえたちには分からないのか。あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか。
この世の一切のものは常住しないのだ。
いずれの日にか衰え、いずれの日にか滅ぶのだ。
歓楽尽きて哀情多しといわれるではないか。
快楽のカゲにも、無常の響きが込もっている。
美女の奏する弦歌は、欲をもって人を惑わすのみだ。
人生は苦悩に満ちている。
猛き火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごときものではないか。
若きを愛すれど、やがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」
シッタルタ太子の「生老病死」の苦悩は、そのまま現代の私たちが直面している悩みではないでしょうか。
誰もが色どり豊かでありたい人生なのに「生老病死」の四苦の色に染められる。
人生の実相を洞察された太子は、常住不変の幸福とは何か。
いずこに存在するのか。
それこそが、すべての人の求めるものではないか、と勤苦すること6年、厳しい修行の末に、35歳の12月8日未明、
ついに仏覚を成就され、仏陀となられました。
かくて80歳2月15日にご入滅なさるまで、布教伝道なされたのです。
この45年間のお釈迦さまの説法の記録が「お経」です。
7千余巻という膨大な数に上り、総称して「一切経」といわれます。
このお経を読むことで、私たちも仏の教えに触れることができるのです。
シン・常識 ④親鸞聖人の教え(浄土真宗)は仏教以外にはありません
しかし、お経と言えば難しいものの代名詞。
読んでもチンプンカンプンな本を、よく「お経のようだ」といわれます。
7千余巻もの難解な経典を読んで、お釈迦さまが説かれた「しあわせの答え」を知るのは至難の業といってもいいでしょう。
どうすれば私たちは仏教を正しく知ることができるのでしょうか。
一つだけ方法が考えられます。
それは「トンネルを掘られた先達から教えてもらう」ことです。
難しい経済学や哲学の話でも、よく分かった人に説明してもらうと、短時間ですらすら理解できるもの。
学校の授業で分からなかった数学の難問も、予備校の名物講師に教わると目からウロコが落ちるように解けます。
険しい山を自分で越えることはできなくても、トンネルを掘ってくださった方があれば、スーッと通り抜けることができる。
何事も、その道のプロから聞くのが最良の選択でしょう。
仏教という壮大な山脈にトンネルを貫通させてくださった大先達が、実に親鸞聖人という方なのです。
「更に珍しき法をも弘めず」
親鸞聖人といえば約800年前、鎌倉時代に「浄土真宗」を開かれた方として有名です。
ある人気テレビ番組では「戦後出版された本の中で、いちばん多く語られた『歴史上の人物ベストワン』」と紹介されました。
それほど強い関心を持たれる親鸞聖人ですが、どんなことを教えられた方なのでしょうか。
それを知る手掛かりが、次のお言葉です。
更に親鸞、珍しき法をも弘めず、
釈迦如来の教法を我も信じ
人にも教え聞かしむるばかりなり
これは親鸞聖人常の仰せで、ご生涯を貫く基本姿勢を表されたものです。
現代語に訳せば、こうなるでしょう。
「親鸞は、今まで誰も説かなかった珍しい教えを広めたことなど全くない。
釈迦如来の教え(仏教)を、私も間違いないと知らされたから、皆さんにもお伝えしているだけなのだ」
この背景には当時、「親鸞は自分勝手な教えを広めている」という仏教界の批判があったことがうかがえます。
それに対する聖人の燃える信念の炸裂が「更に親鸞、珍しき法をも弘めず」の宣言なのです。
今日でも、親鸞聖人の教えとか、浄土真宗といいますと、何か独自の新しい教えを説かれたように思われがちですが、そうではなく、釈迦の説かれた仏教をそのまま伝えられた方が親鸞聖人だったのです。
シン・常識 ⑤お釈迦さまが説き明かされた「しあわせの答え」、それは「阿弥陀仏の本願」
「仏教とは何を教えられたものか」
この問いに、親鸞聖人はズバリ、
「お釈迦さまが、この世に現れた目的は、ただ弥陀の本願一つを説くためであった」と、こう一言で答えられています。
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」(正信偈)
「如来、世に興出したまう所以は、唯、弥陀の本願海を説かんとなり」
釈迦45年の教えと聞けば、いろいろなことを説かれたと普通は思うでしょう。
ところが聖人は「釈迦の教えは、ただ一つだ」とキッパリ仰っています。
それが「唯説」の2字。
こんな断言は、7千余巻の一切経を読破し、その内容を正確に把握しなければ、到底できることではありません。
いい加減な断定をすれば、あいつは無責任なヤツだと誰も相手にしないでしょう。
しかし聖人は、経典を幾度も読破し、確信をもって言い切られているのです。
では、釈迦がただ一つ説かれたと言われる「弥陀の本願」とは何でしょうか。
「弥陀」とは阿弥陀仏という仏さまのこと。
お釈迦さまはじめ、大宇宙に無数にまします仏方の先生(本師本仏)の仏です。
その阿弥陀仏が、すべての人を相手になされているお約束が「本願」です。
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この弥陀の本願こそ、お釈迦さま45年間の「しあわせの答え」であり、「どんな人も本当の幸福になれる道」なのです。
そして、それを明らかにされたのが親鸞聖人の教え、浄土真宗です。
親鸞聖人の教えを聞けば「苦しくてもなぜ生きるのか」、人生の疑問が氷解し、どんな人も、本当の幸せに向かって明るく強く生きることができるでしょう。
生老病死は変わらぬままで人生を黄金色に染めることができる「しあわせの答え」を、あなたもぜひ聞いていただきたいと思います。
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