親鸞聖人の長子・善鸞の邪義と日蓮の出現4
命懸けにやってきた関東の人たちを前に、この阿弥陀仏の本願への疑心を手に取るように察知なされた親鸞聖人は厳しく仰います。
念仏よりほかに往生の道をも存知し、また法文等をも知りたるらんと、心にくく思し召しておわしましてはんべらば、大きなる誤りなり。
(意訳)
もし親鸞が、阿弥陀仏の本願のほかに、往生の方法や秘密の法文などを知っていながら、隠し立てでもしているのではなかろうかとお疑いなら、とんでもない誤りである。
関東の人たちは、心中全て見抜かれていたことを知らされ、いかに親鸞聖人を悲しみのドン底に突き落としたことかと、身震いするのでした。
20年間命懸けで教えてきたのに、「他に隠している教えがあるのでは」と疑われた親鸞聖人のやり場のない怒り、落胆、悲しみはいかばかりであったでしょう。
それは『歎異抄』第2章の次のお言葉からも知られます。
もししからば、南都・北嶺にもゆゆしき学匠たち多くおわせられて候なれば、かの人々にもあいたてまつりて、往生の要よくよく聞かるべきなり。
(意訳)
往生極楽の道は阿弥陀仏の本願一つ、と伝えてきたこの親鸞をそれほど信じられぬのならば、奈良(南都)や比叡(北嶺)に行かれるがよい。あそこには、ど偉い学者がたくさんいなさるからなぁ。その人たちに後生助かる道を、よくよくお聞きなさるがよかろう。
ここで“南都北嶺のご立派な学者に聞かれるがよい”とは、何という皮肉でしょう。
幼くして両親をなくされた親鸞聖人は、次は自分が死ぬ番だと、9歳で比叡山に入られ天台宗の修行をなされました。後生の一大事の解決を求めて、全身全霊修行に打ち込まれたのです。しかし、全国の高僧たちが集まっていたという奈良や比叡にも、後生助かる道を教える本当の仏教の先生はなく、20年間、苦悩の日々を送られました。
それだけではありません。親鸞聖人がようやく巡り会われたまことの仏教の師・法然上人を弾圧し、住蓮房・安楽房たち法友を死罪にしたのは、他ならぬこれら奈良や比叡の者たちだったのです。
親鸞聖人が、法然上人のお弟子であった頃、庶民や武士、公家や貴族、聖道諸宗(天台宗、真言宗、禅宗など)の学者までが法然上人の教えに参集しました。急速な浄土宗の発展に恐れをなした聖道諸宗は一丸となって、権力者と結託し、朝廷へ讒訴、仏教史上かつてない「承元の法難」となったのです。
このような聖道諸宗の者たちを「ゆゆしき学匠(立派な学者)」と、親鸞聖人は痛烈に皮肉られているのです。
親鸞聖人の怒りに、心底震え上がった関東の人たちではありましたが、同時に迷いから目が覚めたすがすがしさに、親鸞聖人の御元へ来たことを心から喜んだのでした。
親鸞聖人から直にお聞きしたい、その思いが、阿弥陀仏の本願への疑いと知った驚きは、青天の霹靂だったことでしょう。その彼らに、「親鸞におきては」と、ご自身のお名前を出され〝他人のことは知らぬが、この親鸞はこうだ〟との直言です。
親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」と、よき人の仰せを被りて信ずるほかに、別の子細なきなり。
(意訳)
親鸞は、法然上人のご教化により、阿弥陀仏の本願不思議を不思議と知らされ、念仏申さんと思い立つ心のおきた一念に、往生極楽の身に、救い摂られたのだ。いつも、話しているとおりである。
阿弥陀仏の本願念仏一つが、すべての人の真に救われる、往生極楽の道であり、その他に道なしと教えられたのが親鸞聖人でした。
念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。
(意訳)
念仏が、極楽往きのタネか地獄へ堕ちる業〈行い〉か、全く知るところでない。
このお言葉を
「念仏は浄土に生まれる因やら、地獄に堕つる業やら、親鸞もまるで分かっていなかったのだ」
「命懸けで来た人たちに、これでは無責任ではないか」
と親鸞聖人の心情を全く理解できぬ故の、的外れな非難がありますが、正反対です。
35歳の不当な死刑・流刑の判決にも屈せず、90年のご生涯、往生極楽の道・阿弥陀仏の本願の布教のみに生き抜かれた親鸞聖人。阿弥陀仏の本願念仏を「往生極楽の道」と仰り、ほかに極楽浄土へ往ける道なしと、教えられています。関東での20年、忍耐の鎧を着け、心身を砕き、阿弥陀仏の本願を説き続けられたのです。
それなのに関東の人たちは「念仏無間」という、一切経のどこにも出ていないデタラメな妄言に惑わされ、念仏は地獄行きのタネなのかと、確かめるためやってきている。親鸞聖人のご心情はいかばかりであったでしょうか。そのやり場のない怒りと悲しみを噴出されているのです。
「阿弥陀仏の本願念仏一つ説いてきたのに、まだ疑うか」と突っぱねられたお言葉が「総じてもって存知せざるなり」です。あまりに明々白々なことを尋ねられると、答えるのももどかしい。「知らんわい!」と突っぱねることがあるでしょう。親鸞聖人の「知らん」は、知りすぎた「知らん」であり、「おまえたちは、今まで何を聞いてきたのか」の叱声なのです。
関東の人たちにとっては、どんな言葉よりも、親鸞聖人のこの「知らん」こそが、腹にこたえるお答えだったことでしょう。
(続き)
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