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他力本願とは|親鸞聖人が教えられた「他力」の意味(中級)

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カテゴリー:1から分かる浄土真宗 タグ:
 

他力本願とは親鸞聖人が教えられた「他力」の意味

「他力本願」(たりきほんがん)は、「他人任せ」という意味で使われています。

しかしこれは本来の意味からいえば誤用です。
「他力本願」とは元々、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の教えから出たものです。

親鸞聖人のひ孫の、覚如上人(かくにょしょうにん)は、「他力本願」についてこのようにおっしゃっています。

今の真宗(しんしゅう)においては、専ら自力をすてて他力に帰するをもって宗の極致とする。(改邪鈔:がいじゃしょう)

現代語では、このような意味になります。

親鸞聖人が一生涯教えていかれたことは、「『自力』は捨てなさいよ、『他力』によって、絶対の幸福になりなさいよ」ということ一つでした。

こう聞きますと、自分で努力せず、他人任せにすることを勧められているように感じる方もあるかもしれません。

しかし親鸞聖人は、そんな他人任せとは真逆のご活躍をされた方です。

例えば、関東で布教されていたときに仏法嫌いの日野左衛門(ひのざえもん)という人のために、身を危険にさらして仏法を伝えられたこともありました。

また、親鸞聖人の命を狙って乗り込んできた山伏・弁円に対して、数珠だけ持たれて、ただお一人で出ていかれたエピソードも有名です。

親鸞聖人のご生涯を知れば、努力嫌いの他人任せとは無縁な方であることが分かると思います。

では親鸞聖人が「他力本願」とおっしゃったのはどのような意味なのでしょうか。

目次

  • 「他力」=「他人任せ」ではない
  • 親鸞聖人の教えは「死んだらどうなるか」の一大事の解決
  • 「自力」とは、仏教を聞くと見えてくる「自力の心」
  • まとめ

「他力」=「他人任せ」ではない

仏教の経典は7000巻余りありますが、その全てを貫く教えが「因果の道理」です。

「因果」とは、「原因」と「結果」のことです。特に私たちの幸福や不幸について、お釈迦様はこのように教えられています。

善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあっか)
自因自果(じいんじか)

幸福(善果)は、善い行い(善因)が生み出す。不幸(悪果)は、悪い行い(悪因)が生み出す
善いのも悪いのも、自分の運命(自果)は自分の行い(自因)が生み出すということです。

例えば、受験生が大学に合格するという善い結果を得ようと思えば、自分が勉強をしなければならないのは当然のことです。

大学受験に向けてしっかりと勉強するという自分の善い行いが、大学合格という善い結果となって現れます。
もし勉強せずに遊んでばかりいれば、不合格という悪い結果となって現れます。

それと同じように、お釈迦様は私たちの身に起きる全てのことは、私たちの行いが生み出しているのだと教えられています。

こう聞きますと私たちは、「善いことをしよう、悪いことはやめよう」という気持ちになります。
誰しも幸せになりたいと思っていますし、不幸になりたい人はどこにもいないからです。

そこでお釈迦様は、お経の中であらゆる「善いこと」を勧められています。その中の一つが「精進(しょうじん)」です。「精進」とは、精を出して進むということで、努力することをいいます。

このように努力を勧められる仏教の真髄を明らかにされたのが親鸞聖人ですから、「他人任せ」を勧められる訳がありません。

親鸞聖人の教えは「死んだらどうなるか」の一大事の解決

親鸞聖人が「他力」と言われた意味を知るには、まず、親鸞聖人が何のために仏教を説かれたのかを知らなければなりません。

親鸞聖人は、4歳の時にお父様、8歳の時にお母様を亡くされました。そして「次に死ぬのは自分の番だ」「死んだら一体、どうなるのだろうか」と悩まれ、9歳の時に仏道に入られました。

詳しくは、こちらの記事をご覧ください。
わずか9歳で出家された親鸞聖人

この「死んだらどうなるか」の一大事こそ、親鸞聖人の求道の原点なのです。

私たちはいずれ死ななければならない、ということは誰でも知っていますが、死んだらどうなるかを知っている人はいるでしょうか。

「死んだら無になる」と考える人もありますが、そのような人でも、肉親や知人の葬式では、故人の冥福を祈ります。

冥福とは、冥土の幸福、死んだ後の幸福のことですから、死んで無になってしまえばあり得ないことなのですが、祈らずにおれないのが人情でしょう。

逆に、「死んだらどこかの世界に生まれ変わる」と考えていても、ではどんな世界に生まれるのか、と問われれば確たる根拠もなく空想の域を出ません。

いずれにせよ、亡くなった人に問い合わせることが出来ない以上、死んだらどうなるか、「分からない」というのが実情ではないでしょうか。

先がどうなっているか全く分からない所に、100%確実に飛び込まなければならない
親鸞聖人はこの真っ暗な未来に驚かれて、仏道に入られたのです。

ですから、親鸞聖人が「自力を捨てて他力に帰する」とおっしゃるのは、「死んだらどうなるか」の一大事の解決には、「自力」を捨てて「他力」によらなければならない、という意味になります。

「他力」とは、「死んだらどうなるか」の一大事を解決する「如来の本願力」

では、「他力」とはどのような意味なのでしょうか。親鸞聖人は簡潔にこう教えられています。

他力と言うは如来の本願力なり。(教行信証:きょうぎょうしんしょう)

(「他力」とは、阿弥陀如来(あみだにょらい)の本願力(ほんがんりき)のみを指して言う)

阿弥陀如来」とは、「阿弥陀仏」(あみだぶつ)とも言われ、お釈迦様が「私の尊い先生を紹介しましょう」と、私たちに紹介してくだされた仏様です。浄土真宗のお仏壇では、必ず中央にご安置されています。

浄土真宗を日本全国に広められた、蓮如上人(れんにょしょうにん)という方は、阿弥陀如来という仏様について、「阿弥陀如来は全ての仏様の師匠、先生の仏です」と教えられています。

ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なり。(御文章:ごぶんしょう)

詳しくは、「お釈迦さまと阿弥陀如来は、同じ仏さまですか?」で紹介しています。

阿弥陀如来がお釈迦様をはじめ、全ての仏様から「師匠」「先生」と尊敬されるのは、他の仏様が持たない優れた力を持っておられるからです。それが「本願力」です。親鸞聖人は、こう教えられています。

無明の闇(むみょうのやみ)を破するゆえ
智恵光仏(ちえこうぶつ)となづけたり
一切諸仏(いっさいしょぶつ)三乗衆(さんじょうしゅ)
ともに嘆誉(たんよ)したまえり

「智恵光仏」とは、阿弥陀如来の別名で、「一切諸仏三乗衆」とは、全ての仏様と、それらのお弟子のことを言われますから、「無明の闇を破る力があるから、全ての仏様もお弟子方も、阿弥陀如来のことを智恵光仏と褒め称えられるのだ」という意味になります。

そして「無明の闇」とは、親鸞聖人が仏道に入られる動機となった、「死んだらどうなるか」分からない心です。

その「無明の闇」を「破する」とは、阿弥陀如来が、私たちの「無明の闇」を破ってくださる、ということです。

私たちの立場からすれば、「死んだらどうなるか」の一大事は阿弥陀如来の本願力によって解決していただくことができる、という意味になります。

未来がどうなるか見通して、適切な判断をする力のある人を、「知恵のある人」と言われます。

この一大事が解決すれば、未来が明るい、大安心、大満足の絶対の幸福に生かされますから、阿弥陀如来を「智恵光仏」とも言われています。

親鸞聖人はまずご自身が、9歳で出家された時からずっと悩まれていた「死んだらどうなるか」の一大事を、29歳の時に阿弥陀如来の本願力によって解決していただいて、それから90歳でお亡くなりになるまで、「皆さんも私と同じように、阿弥陀如来の本願力によって、無明の闇を破っていただきなさいよ」と勧めていかれました。

それが「他力に帰する」という言葉なのです。

「自力」とは、仏教を聞くと見えてくる「自力の心」

「他力」=「他人任せ」ではないように、「自力」も、「自分の力」「努力」という意味ではありません。親鸞聖人が「自力」と言われ、「捨てよ」と勧められるのは、「自力の心」のことです。

「自力の心」は全ての人が持っている心なのですが、仏教を聞く前は自覚することができません。
仏教を続けて、真剣に聞くことで見えてくる心です。

そしてこの「自力の心」が無くなると同時に、「他力」によって無明の闇を破っていただけますから、親鸞聖人は「自力を捨てよ」とおっしゃっています。

仏教を聞かなければ、「自力の心」も分かりませんし、「他力」に帰することもありませんから、親鸞聖人も蓮如上人も、真剣に仏教を聞くことを勧められています。

聞思(仏教を聞くこと)して、遅慮することなかれ(親鸞聖人・教行信証)

ただ仏法は聴聞(仏教を聞くこと)に極まることなり(蓮如上人・御一代記聞書:ごいちだいきききがき)

まとめ

「他力本願」は一般的には「他人任せ」の意味で使われますが、正しい「他力本願」はそういう意味ではありません。

「他力本願」は親鸞聖人が勧められたことです。

仏教でいう「他力」とは「他人の力」のことではなく、「阿弥陀如来の力」のことです。
「本願」は阿弥陀如来の本願のことを言います。

反対に「自力」とは「自分の力」のことではなく、「自力の心」のことです。

親鸞聖人は「阿弥陀如来の本願力によって、無明の闇を破っていただきなさいよ」と勧めていかれました。
これが正しい「他力本願」です。

 
 
 
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