親鸞聖人の教えを聞いて「光明の広海」に浮かぶ|ガラリ転じる笑顔いっぱいの1年に(前)
新たな年の始まり、希望ある1年にしたいと誰もが思うでしょう。
そんな願いを込めて、昨今は仏教に関心を寄せ、学び始める人が増えてきました。
仏教を聞くと、人生が「光明の広海(限りなく明るく、広い海)」にガラリと変わる、と親鸞聖人は仰います。
では、どう変わるのでしょう。
人生が「光り輝く広々とした海」になる
親鸞聖人は、
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かんだ(教行信証行巻)
「大悲の願船に乗じて見る人生の海は、千波万波きらめく明るい広海である」とご自身の体験から仰っています。
明るく希望に満ちたこの言葉には、すべての人の生きる目的が明示されています。
「光明の広海に浮かんだ」とは、「人生が光り輝く広々とした海になった」ということです。
「光明」とは一般にも使いますが、例えば努力を続けているのに、なかなか結果の出せなかった人が、何かのきっかけで成功の糸口を見つけた時、「光明が見えた」と言います。
不安で暗かった未来が、明るくなったからでしょう。
仏教で「光明」とは「智慧」のこと。
親鸞聖人は、 「仏の光明はこれ智慧の相なり」(教行信証信巻) と仰っています。
「智慧」とは「先を知るはたらき」をいいます。
「光明」「智慧」は「先を知るはたらき」
人間でも、「智恵がある人」は、思慮深く、先見力のある人のことです。
赤穂浪士のリーダー・大石内蔵助が、播州(兵庫県)赤穂藩の家老を務めていた頃のこと。
城下の町人の中に、赤穂で塩を造ったら、大いに藩の財政を潤すだろうと考えた者がいた。
そこで同志を帯同し、家老の大石に面会して〝藩のためにぜひご許可を〟と懇願した。
申請を詳しく聞いていた大石は、 「なるほど、その方らの考えは大変面白い。よく検討して沙汰しよう」 と答えた。
町人たちは、遅くとも3カ月か半年中には認可されるだろうと待っていたが、どれだけたっても何の音沙汰もない。
光陰矢のごとし、はや5年の歳月が流れた。
「大石様も、分かったような顔をしていても、何も分からないものだ」
一同、あきらめて、忘れかけていた13年目、ようやく呼び出しがかかった。
「その方らの提案は初めからよい発想とは思ったが、考慮すると問題があった。
まず、塩を煮るには薪がいる。
薪をたくには木を切らねばならぬ。
多くの樹木を切ると山が裸になり、そこに大雨が降ればたちまち洪水だ。
そうなれば田畑はメチャメチャ。
農業の荒廃は一藩の荒廃である。
そう気がついたので、あれから13年、植林に尽力してきた。
そろそろ木を切り出しても、山が裸になる心配はない。
よって、その方らの製塩事業を許可する。
大いに城下が潤うよう、努めてもらいたい」
―――
後日、四十六士を結集して幾多の困難を乗り越え、見事、主君の恨みを晴らした大石の、智慮の周到さを垣間見るようです。
囲碁や将棋でも、強い人は何十手も先まで見通し、不利の芽を早々に摘んで、勝利に向かって一手一手、着実に打っていくといいます。
仏さまの智慧のすごさは、人間の智恵の比ではない。
恐れを知って、しかもそれを恐れず、突き進んでいく仏智(仏の智慧)のはたらきは、何ものにも恐れぬ百獣の王・ライオンに例えられます。
その仏さまの「光明、智慧」のはたらきによって、私たちの人生は「光明の広海」になるのだと、聖人は仰っているのです。
なぜ安心できないのか
誰もが先を読む智恵を持って、安心して生きたいと願っています。
ところが、私たちの人生の行く手には、さまざまな困難、苦難、不安になることが立ちはだかっています。
「十五十六十七と私の人生暗かった」という昔の歌がありますが、それだけ不安だったのでしょう。なぜでしょうか。
「一寸先は闇」で先が見えない、ハッキリしないからです。
車の運転でも、見通しのいい広い道なら安心して気持ちよく走れますが、霧がかかったり、街灯のない真っ暗な道では、安心して運転できません。
濃霧の山道を走っていると、数メートル先が分からず、いきなり対向車のヘッドライトが現れて肝を冷やすこともあります。
交差点の多い住宅街も同様で、いつ誰が飛び出してくるやら分かりません。
私たちは種々の不安を抱えながら、毎日を生きています。
株を持つ人は、株価が上がるか、下がるかの動向に、いつもドキドキ。円高か、円安か。物価はどうなのか。経済の先行きを見通せたら、どんなに安心できるでしょう。
また、婚約してから〝本当にこの人で大丈夫だろうか〟と不安を感じて入籍を躊躇する「マリッジブルー」という言葉もあります。
〝将来ガンにならないだろうか〟と多くの人が心配するのは、日本人の4人に1人が亡くなる病気だからでしょう。
最近はDNA検査でガンにかかる可能性が分かる。
この検査で乳ガンの確率が9割と診断されたアメリカの有名女優が、乳房を切除したのも、先の憂いをなくして安心したかったからでしょう。
不安を感じるのは、いずれも未来が心配だからです。未来が暗いと、現在のこころが暗くなるのです。
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