「恩徳讃」に生き抜いた本光房了顕 ──感謝の心で人生が変わる(1)
失って初めて知らされる
私たちは普段から様々な恩の中で生きています。
ですが日常の中で当たり前になってしまい、意識しないとなかなか気付けないものです。
身近な恩を振り返ってみましょう。
多くの人が見守る中、蛇口をひねる一人の男性。ちょろちょろと流れ出た水に、人々から歓声があがった。
「蛇口をひねって、こんなにうれしかったことはない」
震災の被災地で約十日ぶりに水道が復旧した時の様子です。
蛇口をひねれば水が出る。
当たり前に使っている時は、喜びも感謝もありませんが、水道、ガス、電気が不自由なく使える陰には、多くの人の苦労があるのです。
震災に限らず、私たちは何かを失って初めて、そのありがたさを思い知らされるのではないでしょうか。
仏教では、どんな小さなことにも必ず原因があると教えられます。自分が恵まれていることにも原因があり、
“なぜ自分は恵まれるのか”
“どうしてこんなに幸せなのか”。
その「原因を知る心」を「恩」といい、この幸せは何のおかげかを知り(知恩)、感じ(感恩)、報いる(報恩)よう努めることが非常に大事だと説かれています。
被災地でも、支援物資を当然と受け取る人がある一方で、物資を届けに来た長距離トラックに「ありがとう」と手を振り続ける被災者もある。
同じ事柄でも受け止め方はさまざまですが、感謝の心を持って生きる人のほうが、幸福感は大きいでしょう。
経典には、
「恩を知るは大悲の本なり。〈乃至〉恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」と、恩知らずは動物よりもお粗末だ、とまで説かれています。
*大悲の本……他人を助けようという心の源
以前、ブラジルの漁村に暮らす年配男性が、油まみれになった瀕死の野生ペンギンを見つけ、懸命に介抱した。
その甲斐あって元気になったペンギンは、やがて名残惜しそうに海に帰っていく。
“もう二度と会うことはないだろう”。誰もがそう思っていた。
次の年、そのペンギンが何百キロも泳いで男性に会いに来た。以後も毎年やってきたペンギンは、男性にだけ懐き、膝に乗って甘えてくる。
そんな“帰省”は、「ペンギンの恩返し」として話題になったそうです。
動物でさえ恩を感じることが知らされます。
蓮如上人と本光房了顕
「なぜ生きる」の答えを明示された親鸞聖人のみ教えを、全国津々浦々に正しく伝えられた室町時代の蓮如上人は、「真宗中興の祖」といわれます。
その蓮如上人のお弟子、本光房了顕(ほんこうぼうりょうけん)は、弥陀の本願を喜ぶ真摯な親鸞学徒でした。
文明六年(1474)三月二十八日、北陸布教の基地であった吉崎御坊(よしざきごぼう)が炎上し、親鸞聖人直筆の『教行信証』証巻が火の中に残されてしまいました。
大事なご著書をお護りせんと決死の覚悟で火中に飛び込んだ本光房。
無事『教行信証』証巻を見つけたと思ったのも束の間、既に猛火は本光房の周りに迫り、脱出の術はなくなっていました。
この『教行信証』証巻だけは何とかお護りしなければと持っていた短刀で腹をかき切り、ご著書を腹の中深くに入れ五体を残忍な炎に任せたのです。
焼け跡で見つかった彼の遺体からは、護法の血に染まったご著書が発見されました。
『教行信証』証巻は「血染めの聖教」「腹ごもりの聖教」と呼ばれ、今なお厳存しています。
どんなことに感謝しているか?
仏教では、
○知恩(恩を知る)
○感恩(恩を感じる)
○報恩(恩に報いる)
の気持ちの強い人ほど幸せな人、と教えられていますから、日々、感謝の心を持って生きているのは素晴らしいこと。
では、その感謝は、何に対してのものでしょうか?
生まれてから今日まで、私たちはあらゆる有情(人間や鳥獣など、心を持つ生き物)・非情(山や川、草木や石など、感情を持たないもの)から恩恵を受けてきましたが、中でも最も身近な恩は、生み育ててくれた「親の恩」でしょう。
お釈迦さまは『仏説父母恩重経』に、
「父母の恩重きこと 天の極まり無きが如し」
と仰って、父母から受けし大恩を詳しく説かれています。
胎内で十月十日守り育て、激しい苦痛に耐えて生んでくれた恩。
昼夜を問わず乳を与え、汚物もいとわずおしめを洗ってくれたり、自分はまずい部分でガマンし、子供においしいものを食べさせてくれた恩。
また、「遠行憶念の恩」といい、子供が遠くへ行けば行くほど、親は余計に心配し続けてくれる。
大学進学や就職で子が一人暮らしを始めると、
「元気でいる?お金はあるの?ちゃんと食べてる?今度はいつ帰るの?」などと頻繁に電話がかかり、メールが届くのもこんな親心からでしょう。五十、六十歳になっても、親にとっては子供ですから、いつまでも心配し、心をかけてくれるのです。
“とても感謝できるような親じゃない”
と言う人も、中にはあるでしょうが、仏教には、人として生まれなければ果たせない尊い目的、使命が教えられています。
それは人間に生まれ、仏法を聞ける身に育ててもらわねば果たせませんから、この世に生み出してくれた親に感謝せねばならないのだ、とお釈迦さまは仰います。
生きる目的がハッキリすれば、縁あって、人間界に生んでくれた親に感謝せずにおれなくなるものです。
「恩徳讃」に生き抜いた本光房了顕 ──感謝の心で人生が変わる(2)に続きます。
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