「有無同然」と苦しみの根源|仏教は「魂の根本治癒」を説く(後編)
人は死にゆく存在 その先は?
まず、死とは何か、見てみましょう。
新年が明けて今年の旅が始まり、あっという間に時間が過ぎました。
年始とは一つ年を取って、死に近づいた一里塚のようなもの、と有名な禅僧・一休は歌っています。
「門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」(一休)
彼は人間を「冥土への旅人」だと言っています。
「冥土」とは「死後の世界」。
私たちは一日生きれば一日、死に近づきますから、人生は冥土への旅に違いありません。
世界中の時計を止めてもそれは止まらず、粛々と時は刻まれる。万人共通の厳然たる事実です。
最も確実な行く先である「死」を、私たちはどう捉えているでしょう。
「休息だ」「永眠だ」「無だ」「恐ろしくない」と言う人もありますが実際はどうか。
“いざ鎌倉”となると、誰もが“死にゆく先はどうなるか”だけが大問題となります。
死を目前に「スピリチュアルペイン(魂の痛み)」が現れる
ガンなどの病気で終末期に至った患者には「スピリチュアルペイン」という苦しみの起きることが、最近の医学研究で解明されています。
多くの人を看取ってきた医師に聞いてみましょう。
例えば、ガンが進行した人には、さまざまな苦痛に対応する緩和ケアが行われます。
終末期医療の進歩は著しく、専門トレーニングを受けた医師や看護師が増えています。
「ガンになっても痛みさえなくしてくれたら死ぬのは何ともないよ」と言う人がありますが、そんな簡単なものではありません。
ガンを告知された人には、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛があるといわれてきました。
しかしそれだけではなく、多くのガン終末期患者の観察研究により、「スピリチュアルペイン」と呼ばれる苦痛があることが分かってきました。
スピリチュアルペインとは、魂の奥底から噴き上がってくる心の叫びです。
精神的苦痛には、抗うつ剤や抗不安剤が効果的ですが、スピリチュアルペインは、生命の根元にかかわる深いレベルの痛みであり、効果的な薬はありません。
次のような苦しみです。
・私は何のために生まれてきたのだろうか
(生きる意義に対する問い)
・どうせ自分はもう長いことないのに、頑張っても仕方がない
(希望がないという訴え)
・こんな私を誰も助けてはくれない
(孤独感の訴え)
・私は死んだらどうなるのか
(死後の問題)
などの悲嘆として現れます。
身体的ケア、精神的ケア、社会的ケアだけでなく、今日の医学では、このスピリチュアルペインのケアの必要性が強調されています。
治療者は患者に寄り添い、本人が、ガンとともに生きる意味を見つけられるようギリギリいっぱいまでサポートしますが、しかし、おのずと限界があり、根本的な解決にはなりません。
そして、この魂の叫びは、ガン患者だけではなく、また死を目前にした人だけでもなく、自覚はしていませんが、生きているすべての人が本来抱えている問題なのです。
スピリチュアルペインとはこんな心
・生きる意義に対する問い
「私は何のために生まれてきたのだろうか」
「私にはどんな価値があるのか」
「どうしてこんな病気になってしまったのだろうか。まだやりたいことがあったのに……」
・苦しみに対する問い
「私だけがなぜこんなにつらい思いをしなければならないのか」
・希望がないという訴え
「どうせ自分はもう長いことないのに、頑張ってもしかたがない」
「身の回りのことも片付いたし、もう何もすることがない」
・孤独感の訴え
「世間から自分だけ取り残されてしまい、寂しくてならない」
「こんな私を誰も助けてはくれない」
・罪悪感の表出
「私が悪いことをしたから、こんな病気になったのか」
「これはきっと天罰だ。許してほしい」
・別離への寂しさ
「家族ともう二度と会えなくなるのか」
・家族に迷惑をかけているという思い
「こんなに迷惑をかけなければならないなら、いっそ早く死んでしまいたい」
・死後の問題
「死んだら私はどうなるのか。無になるのか」
(医師・柏木哲夫氏による)
現在と未来は切り離せない
誰にも等しく訪れる死が、いかに人の心をさいなむか。この医師の話からも知られましょう。
未来が暗いと、現在が暗くなることを、私たちは日常的に経験しています。
全国紙の人生相談には、こんな悩みも寄せられています。
「居住する団地の班長の役目が、三年後に回ってくるが、自分は務まりそうにない。自治会費を集めるくらいはできそうだが、気の小さい自分には、団地の除草や清掃の手配などできそうにない」
(60代男性)
「間もなく姑を引き取って介護することになっている。気性が荒く、暴言を吐く姑にはこれまでも苦しめられてきた。夫は昼間は仕事だから、姑と二人きりで過ごさねばならないと今から憂鬱」
(50代女性)
これらは、いずれも未来に対する不安です。こんな悩みに“起きてもいないことをあれこれ悩んでも仕方がない”と思う人もあるでしょう。
しかし、私たちが今を心から幸せに生きるには、将来の安心が絶対に必要なのです。
「最近、体調が思わしくなくて、検査したら早期ガンと言われた。一週間後に手術なんだけど、完治できるのか今から不安で……」
未来に心配のタネがあると、今の心が暗い。
現在と未来は決して切り離せないものだと分かります。
自分を大切にする賢明な人ほど、未来への準備を怠りなくしたいと考えます。
だから、「一週間後に大事なテストがあるけど、とりあえず、それまでは思い切り遊ぼう」とはならないのです。
大事な未来であればあるほど、その準備に集中するでしょう。
すべての人の最も確実な未来が死です。それに例外はありません。
「死ねばどうなるか」は、だから、すべての人の大問題。無視できることではありません。
後生がハッキリせず、暗いままで、明るい現在を築こうとしても、できる道理がないのです。
「後生暗い心」が〝今〟破られ 無限に明るい未来へ
後生ハッキリしない不安を仏教で「生死の一大事」とも「後生の一大事」ともいわれます。
仏教の目的である「抜苦与楽」の「苦」とは、この「後生の一大事」の苦しみをいい、「抜苦」とはこの一大事を解決することです。
「与楽」とは、大宇宙の仏方の本師本仏である阿弥陀仏の本願力によって、未来永遠に変わらぬ絶対の幸福にしていただくことです。
この抜苦与楽の身になることが私たちの人生の目的なのです。
先の医師もこう述べています。
「私は、スピリチュアルペインは、仏教で教えられている無明の闇(後生暗い心)の表出と理解しています。
スピリチュアルケアの重要性を説く人々は、それがケアできるという前提に立っていますが、仏教では、後生の不安は人間の力でどうにかなるものではなく、平生に阿弥陀仏のお力によって解決していただく、と教えていただいています。
ケア(一時的癒やし)ではなくキュア(治癒)。
弥陀は、「無明の闇」を生きている時に破り、後生の苦しみを完治させてくだされるのです。」
大宇宙のすべての仏が師と仰ぐ阿弥陀仏は、「全人類の無明の闇を破り、絶対の幸福に必ず救う」という本願(お約束)を建立なさっています。
絶大なるこの本願力によって、平生の一念に無明の闇が破られ、後生明るい心に救われますから、“すべての人よ、早く阿弥陀仏に助けていただきなさいよ”とお釈迦さまは、一切経の結論として、「一向専念無量寿仏」(弥陀一仏に向き、弥陀のみを信じよ)を説かれました。
これは地球のお釈迦さまだけのことではありません。すべての諸仏や菩薩も皆、弥陀一仏を褒めたたえ、早く無明の闇を破っていただき、必ず浄土へ往く身になりなさいと教え勧められているのだよと、親鸞聖人はこう和讃に仰っています。
「無明の闇を破するゆえ 智慧光仏となづけたり
一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまえり」(浄土和讃)
阿弥陀仏を、一切の諸仏や菩薩たちが「智慧光仏」と絶賛するのは、苦悩の根元である後生暗い心を破るお力が、阿弥陀仏にのみあるからである
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