仏教を学ぶのに大切な言葉。「他力本願」の意味とは?
仏教が語源の言葉で、今日誤解されているものがたくさんあります。
今回はその一つである「他力本願」についてお話ししたいと思います。
今日使われている「他力」の意味
石原慎太郎元都知事が以前、このようなことを言われていました。
「他力本願で、贅沢を当たり前のこととするような心の甘えを払拭していかないとこの国は立っていけないのではないでしょうか。」(石原慎太郎公式サイトより)
このように「他力本願」は”他人の力”を略して”他力”と言い、他人まかせ、他人依存、成りゆきまかせという意味で広く使われているようです。
他人依存の人は苦しいことがあると人のせいにしたり、すぐ文句を言ってしまいがちです。
たとえば、
「こんな人と結婚したから…」
「こんな会社に入ったから…」
「こんな環境だから…」などです。
また他人依存の人は、人の支えがなくなることを不安に思い、人の顔色ばかりを窺(うかが)い、いつもビクビクしてしまいがちです。
「他力本願」と聞くと、このように他人に頼る弱い人間というようなネガティブな意味で使われていることが多いように思います。
「他力本願」を伝えた親鸞聖人の生きざま
では、「他力本願」ということを日本で徹底的に教えられたのは誰かというと、親鸞聖人という方です。
親鸞聖人は鎌倉時代に浄土真宗を開かれた方で、今日も多くの人から尊敬されています。
親鸞聖人のご生涯を知ると、他人まかせ、他人依存、成りゆきまかせとは真逆の方です。
たとえば31歳の時、肉食妻帯(にくじきさいたい)をなされました。
肉食妻帯とは、殺した生き物の肉を食べ、妻を持つことです。
当時、僧侶が公然と肉食妻帯することは、世間でも仏教界でも大問題でした。
他人まかせの人ができることではありません。
また34歳の時、共に仏教を学ぶ友達と3度の仏教上の論争をなされ、孤立されました。
他人依存の人にできる行動ではとてもない、と思います。
こう聞きますと、親鸞聖人は世間や友達から反発を受ける破天荒な方だったのかと思う方もあるかもしれません。
さらに、35歳の時には越後(今の新潟県)に流刑になり、そのことに意気消沈されるどころか、越後の人に仏教を伝えることができることを喜ばれて意気揚々と出かけられました。
成りゆきまかせの人ができることではないでしょう。
浄土真宗を学ぶと、親鸞聖人は非難攻撃にも屈せず、たくましい方だったことがわかります。
このように親鸞聖人のご生涯を知るほど、その親鸞聖人が生涯かけて伝えられた「他力本願」の意味が他人まかせ、他人依存、成りゆきまかせという意味なのだろうかと、思えてくるでしょう。
仏教でいう「他力本願」の意味とは?
では親鸞聖人は「他力本願」をどのような意味だと言われたのでしょうか?
「他力本願」とは、「阿弥陀仏の本願」のことだと教えられています。
「本願」とは、お約束のことです。
つまり、「阿弥陀仏がなされたお約束」という意味です。
阿弥陀仏がどんなお約束をなされているのかについては詳しくここでは書きませんが、他人まかせ、他人依存、成りゆきまかせという意味とは全く関係ありません。
(参考)
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