親鸞聖人と山伏・弁円の仏縁3
親鸞聖人への嫉妬に狂った弁円は、聖人殺害を企てます。ところが、ご布教に赴かれる親鸞聖人を待ち伏せるも、全て失敗。
弟子たちが十数人、親鸞聖人の元に参じたと知るや、ついに弁円の怒りが爆発、剣をかざして親鸞聖人の住居・稲田の草庵へ、白昼堂々、乗り込んだのです。
弁円の改心
「やい、親鸞いるか!肉食妻帯の堕落坊主!み仏に代わってこの播磨公(はりまのきみ)弁円が、成敗してくれるわ!門を開けろ!」
門前で叫ぶや弁円は、閉ざされた門戸を蹴破って突入しました。剣を振り回し、庭の草木をなぎ倒し、殺気立つ弁円に、お弟子たちは何とか親鸞聖人をお守りしようと案ずるばかり。
親鸞聖人はしかし、
「せっかく親鸞に会いたいと参られておるのじゃ。会わせてもらおう」
と、数珠一連持たれただけで、ただお一人弁円の前に出ていかれました。
そのお姿は、殺気みなぎる弁円の目にどう映ったでしょう。
「この『よく参られた』と手を伸ばさんばかりの笑顔は、仏か、菩薩か……。不倶戴天(ふぐたいてん)の怨敵(おんてき)と、呪い続けた、これが親鸞か……」
慈悲温光のお姿に、なぜか弁円は動くことができない。ひるむ心を自らたたいて
「だまされぬぞ」
と己を鼓舞したが、天に突き上げた剣をどうしても振り下ろすことができなかった。
「ああーっ!」
叫び声を上げると、やがて弁円はくずおれ、大地に平伏して子供のように泣きだした。
「お許しくだされ、親鸞殿!稲田の繁栄を妬み、己の衰退をただ御身のせいだと憎み、お命を狙っていたこの弁円。恐ろしい、思えば恐ろしい。羅刹(らせつ)であった。どうかどうか、今までの大罪、お許しくだされーっ!」
そんな弁円の肩に、聖人は優しく手を置かれ、
「私が弁円殿の立場であったら、同じことをしたでしょう。まこと言えば親鸞、憎い殺したい心は山ほどあるが、それを隠すに迷惑しております。心のままにふるまわれる弁円殿は正直者じゃ」
驚き、心打たれた弁円が、
「お弟子の一人にぜひともお加えくだされ」
と願うと、聖人のお答えは、またしても意外でした。
「いやいや弁円殿。親鸞には一人の弟子もあり申さぬ。ともに御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)じゃ」
御同朋・御同行
ここで親鸞聖人は「同朋・同行」に「御」の字をつけて「御同朋・御同行」と言われています。
同朋とは「はらから」ともいわれ、兄弟のことです。
同行とは、友達のことです。
阿弥陀仏によって導かれ、救われた兄弟、法友だから、「御同朋・御同行」と仰っています。
弥陀の救いに値い、本当の幸せになるのは、多生億劫にもない稀有なこと。阿弥陀仏とのご縁を、親鸞聖人がいかに尊ばれたかが知らされます。
その御心を、有名な『歎異抄』には、こう言われています。
親鸞は弟子一人ももたず候。そのゆえは、わが計らいにて人に念仏を申させ候わばこそ、弟子にても候わめ、ひとえに弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を、『わが弟子』と申すこと、極めたる荒涼のことなり。
(意訳)
親鸞には、弟子など一人もいない。そうではないか、私の裁量で仏法を聞くようになり、念仏称えるようになったのなら、わが弟子ともいえよう。だが、全く阿弥陀仏のお力によって仏法を聞き念仏する人を「わが弟子」と言うのは極めて傲慢不遜である。
弥陀に救われた人は、同じ弥陀の浄土へ向かって共に進む友なのだと『教行信証』には、こう教えられています。
同一に念仏して別の道無きが故に、遠く通ずるにそれ四海の内、皆兄弟と為すなり。
蓮如上人もこのように教えられています。
信を獲つれば、先に生まるる者は兄、後に生まるる者は弟よ、法敬(ほうきょう・お弟子の名前)とは兄弟よ。 (御一代記聞書)
親鸞聖人は、命を狙いにきた弁円に対して、「御同朋・御同行」、兄弟であり、法友なのだと呼びかけておられるのです。
(続き)
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