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親鸞聖人が教える
お盆に思い出す亡くなった人に今からできる恩返しとは(後)

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カテゴリー:基礎から学ぶ仏教 タグ: 更新日:2024/10/15
 

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親鸞聖人が教えるお盆に思い出す亡くなった人に今からできる恩返しとは(前)

親鸞聖人と 真の先祖供養

亡くして初めて知るのが親の恩といわれます。
生前は分からずとも、親を失った時、
「もっと大切にしておけばよかった」と後悔が起きるもの。
その気持ちは伴侶や愛児に対しても同様です。
墓に布団も着せられず、遺骨にごちそうも食べさせられず、葬式や法事を勤めることで、それらの人の恩に報い、このやりきれぬ気持ちを静めたいと思われる人も多いでしょう。
人一倍孝心の厚かった親鸞聖人は、亡き家族の供養について、どのように教えられているか、お聞きします。

親鸞聖人の意外な「告白」

幼くしてご両親と悲しい別れを経験された親鸞聖人は、深く父母の恩を感じておられました。しかし、その聖人が有名な『歎異抄』で
親鸞は、亡き両親の孝養に、一回の念仏も、一巻のお経も読んだことがない
と意外なことを仰っています。

「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したること未だ候わず」
(歎異抄五章)

死者に対し、念仏も称えられず、その他一切の仏事儀礼も行われなかった告白です。
なぜでしょうか。
 
根本の理由は、「先祖供養できるような親鸞ではない」と、ご自身の姿をハッキリと知らされたからです。
仏教を説かれたお釈迦さまは、
仏教は法鏡である
と仰いました。
 
「法」とは、三世十方を貫く真実をいいます。いつでも、どこでも変わらない、本当の私を映す鏡のようなものが仏教です。
お釈迦さまは法鏡に映る万人の姿を、
「心も口も身も、やっているのは常に悪ばかり。いまだかつて一つの善もしたことがない」
と『大無量寿経』に道破されています。

心常念悪|心常に悪を念じ
口常言悪|口常に悪を言い
身常行悪|身常に悪を行い
曽無一善|曽て一善無し

これは閣僚もオリンピック選手も、警察官も学校の先生にも共通する、古今東西変わらぬ人類の真相である、と説かれています。
こう聞けば、「そんな無茶な」とあきれる人ばかりでしょう。
誰もが悪人なら、警察官が窃盗犯を取り締まることも、裁判官が放火魔に判決を下すこともできないからです。
時代劇や刑事ドラマは、勧善懲悪の爽快感がウケるのであって、双方が悪ならば芝居になりません。
では、果たして「悪人」は犯罪者や悪代官だけなのでしょうか。

「私」は善人か悪人か

大正時代の有名な布教使・西村法剣にこんな話があります。
◆◆◆
ある寺で、説法していた時のこと。
大の仏法嫌いの小学校長が、参詣した。
「仏教は、すべての人は悪人と説くから気に入らぬ。有名な坊主が来るなら、懲らしめてやろう」
との腹である。
そうとは知らぬ法剣はいつものように、
「仏さまの眼から、ごらんになれば、善人は一人もいない。皆、悪人なのです」
と力説する。
説法後、控室を訪ねた校長は、
「あなたは今、人間はすべて悪人と説かれたが、まことに困る。そんなことを認めたら、教師も皆悪人になり、教育が成り立たんじゃないか」
と、カンカンになって抗議した。
すると法剣、即座に土下座して謝る。
「いやー、これは、あなたのような方がお参りとはつゆ知らず、とんでもないことを申し上げました。何とぞお許しください」
 
あまりの意外な反応に、校長は薄気味悪くなってきた。
なにしろ大正の一休とまでいわれ、歯にきぬ着せぬ物言いをする法剣が、ただただ謝り果てている。
「いやいやそこまでせんでも、あのような説教さえしてもらわねばよいのです」
そう言って校長は、早々に退散しかけ、
「じゃあ、私はこれで」
と靴を履き、玄関を出ようとした時、
「先生、ちょっとお待ちください」。
法剣が声をかけた。
「何か?」
「先ほど、この世には善人もいれば悪人もいると言われましたな」
「はい、そう申しました」
「では校長先生、あなたご自身は、その善人でいらっしゃいますか。それとも悪人でしょうか」
答えにくい質問をする。
今更、悪人とは言えない。
さりとて、善人と答えるのもはばかられる。
校長が返答に窮していると、
「他人のことではなく、あなた自身のこと。なぜ答えられんのですか。では質問を変えましょう。あなたは学校で、うそは善だと教えられますか。悪だと教えておられますか」
「もちろん、うそは泥棒の始まり。悪いことだと教えています」
「では先生は、これまでにうそをつかれたことはありませんか」
校長ならずとも、誰にも身に覚えのあること。
「では、けんかはどうですか。善悪、いずれと教えられますか」
「悪に決まっています」
「では、先生は夫婦げんかされたことは、一度もないのでしょうか」
これまた日常茶飯事。
「生き物を殺すことは、いかがでしょう。子供たちに善だと教えますか。悪だと教えますか」
「言うまでもない。悪だと教えます」
「それならば、あなたは、一切生き物を殺しておられませんか。また、肉や魚は食べられないのですか」
「そ、それは……」
 
まごつく校長に法剣は、
「うそもけんかも殺生も、皆、悪だと知りつつ、毎日それを繰り返しているのではありませんか」
日常、何とも思わずに重ねている悪を一つ一つ指摘されるうちに、さすがの校長も反省の心が起きてきた。
ついには玄関に座り込み、
「先ほどは失礼なことを申し上げました。よくよく振り返れば、自覚なしにどれだけの悪を造っていることでしょう。ご無礼をお許しください」。
それ以来、熱心に仏法を聞くようになったという。
◆◆◆
肉眼や虫眼鏡で見ればきれいな手のひらも、電子顕微鏡で観察すれば雑菌だらけ。
見た人は素手でおにぎりを食べられなくなるそうです。
そのように、法律や倫理・道徳からは善人に見えても、ごまかしのきかない仏教の顕微鏡で精査すれば、人間は皆おびただしい悪の塊です。
親鸞聖人は法鏡に照破され、
「どんな善もできない、地獄行き間違いない私であった」
と告白されています。

「いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」 (歎異抄)

自分にできないことをできると思うのは、邪見であり、うぬぼれといわれます。
聖人は、やった善を亡者に差し向ける「追善供養」ができると思うのは、悪しかできない自己の姿が分からず、「善ができる」とうぬぼれているからだ、と仰っているのです。

真の孝養とは

では、私たちに孝養はできないのでしょうか。
親鸞聖人は真の孝養について、至るところに教えられていますが、今は『正信偈』で示しましょう。

「一生造悪値弘誓 至安養界証妙果」
(一生悪を造れども、弘誓に値いぬれば、安養界に至りて、妙果を証せしむ)

「弘誓」とは、「善のかけらもない全人類を、そのまま救う」という阿弥陀仏の弘い誓いです。
それを『教行信証』の冒頭では、
「難思の弘誓は難度の海を度する大船」
と、苦しみの人生を明るく渡す大きな船に例えられています。
これを聖人は「大悲の願船」とも仰っています。
 
「値う」とは、過去から未来にわたって、一度しかない、あい方をいいます。大悲の願船に乗じたことです。
死ぬまで悪を造る極重の悪人が、大悲の願船に乗せられ、絶対の幸福に救われたことを「一生造悪値弘誓」と言われています。
 
そして大悲の願船に乗った人は、来世は必ず阿弥陀仏の浄土(安養界)へ往って、弥陀と同じ仏のさとり(妙果)を開かせていただくことができると、「至安養界証妙果」と教示されているのです。
 
では、極重の悪人が幸せに救われることが、どうして亡き家族への孝養になるのでしょう。
歌舞伎のせりふに、
「三千世界に子を持った親の心はみな一つ」(『伽羅先代萩』)
とあります。
いつの世の親も、「幸せになれかし」と子に願い、わが子の笑顔には無条件で幸せを感じるもの。
亡き妻や夫も、残された家族の幸せを望んでいるに間違いありません。
肉親を失って初めて、「もっと孝行しておけばよかった」と嘆いている人も、今からでも仏法を聞き求め、弥陀の大悲の願船に乗せていただくことが、真の孝行であり恩返しになるのです。

大悲の願船に乗るには
「聞思して遅慮することなかれ」
と、聖人は明示されています。
聞く一つで大悲の願船に乗じて、無上の幸せに生かされる。
これが亡き家族の真の供養なのだよと、親鸞聖人は教示されているのです。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間200回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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