浄土真宗の勤行(おつとめ)とは
悔いなき人生を送りたいと毎日を生きる私たちはどんな心掛けで過ごせばいいのでしょうか。
一日のたしなみには 朝つとめにかかさじ(蓮如上人御一代記聞書)
と教えられる「勤行」について学びましょう。
「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」
有名な『正信偈』の冒頭です。
浄土真宗の家では「朝晩の勤行で拝読され、子供のころから祖父母や両親の勤行の声を聞いて育った」と言う人も少なくありません。
祖父母が仏法熱心で 幼いころから朝夕 「きみょ~むりょ~」の『正信偈』の勤行を聞いて育ちました。祖母は夜も昼も 念仏の声が絶えませんでした。
福井県・女性(76)
私が小さいころから 祖母は毎朝欠かさずお仏壇にお仏飯をお供えして 勤行をしていました。そんな祖母の姿を思い出しながら今 私も毎日勤行をしています。
長野県・女性(24)
幼いころから親と一緒に『正信偈』の勤行をするのが日課であり、生活の一部として自然に覚えていました。
愛知県・女性(80)
「毎日聞いているうちに意味は分からなくてもそらんじてしまった」という人もあるほどです。
冒頭でも紹介したように500年前、親鸞聖人の教えを全国に伝えられた蓮如上人の御一代記聞書には
一日のたしなみには 朝つとめにかかさじと たしなむべし
と皆さんに勧められ、蓮如上人のお弟子の赤尾の道宗は
「ご法話に参詣しながら勤行にあわないのは、三年続きの飢饉にあったほどの大損失だ」
と語っています。
何のために勤行をするの?
それだけ大切に昔から各家庭で行われてきた勤行ですが、そもそも何のために勤行をするのでしょうか。
私たちは毎日どう生きるかで一生懸命ですが、その前に大事なのは「なぜ生きるか」という目的をハッキリさせることではないでしょうか。
禅僧・一休は私たちの生きるさまを
人生は 食て寝て起きて クソたれて 子は親となる 子は親となる
と表現しています。
食べて寝て起きて子供を育てるだけなら犬や猫、ネズミも同じです。
人間は食べるために毎日働き、業績や人間関係に悩みながら雨の日も雪の日も、時には身体の不調にも耐えて職場に出掛けます。
子供を育てて成人させるのも並大抵のことではありません。
こんな食べて寝て起きてを繰り返すだけの一生なら苦しむために生きていることになってしまいます。
同じことの繰り返しでいいなら科学を発達させ便利な家電製品を数多く生み出すことも、多くの人が投票行動を変えて政権を交代させることもなかったでしょう。
みんな幸せになりたい、よりよく生きたいと願って努力しているけれど一体どこへ向かって生きれば本当の幸せになれるのでしょうか。
アメリカの著名な心理学者チクセントミハイは「『生きる目的』が分からないからどれだけ利便と娯楽に囲まれても心からの充実が得られないのだ」と説明しています。
苦しい時「こんな人生なぜ生きねばならないのか」と思わず問わずにおれなくなりますが、どんな状況になろうとすべての人にとって最も大事なことが生きる目的です。
その「人生の目的」を教えられているのが仏教なのです。
躍動する人生の源
人身受け難し 今已に受く
仏法聞き難し 今已に聞く
この身今生に向って度せずんば
さらにいずれの生に向ってか この身を度せん
「生まれ難い人間に生まれてよかった」
「聞き難い仏法を聞けてよかった」
「今、人生の目的を達成しなければ永遠に救われるチャンスを失っていただろう」
とおっしゃり、生命の歓喜あふれる「人生の目的」とその達成を明らかにされています。
何のための人生か目的がハッキリすればどう生きるかの大切さも知らされ、生きる力がわいてきます。
朝夕 仏法に触れる
では生きる目的を果たすためにどうすればいいのでしょうか。
「仏法は聴聞に極まる」
真剣な聴聞が最も大切です。
朝晩の「勤行」は私たちの人生の目的を果たさせてみせると誓われた阿弥陀仏に親近し親鸞聖人の書かれた『正信偈』と蓮如上人の『御文章』を拝読し仏法を聞かせていただくご縁なのです。
『正信偈』とは漢字ばかりで書かれているのでお経だと思っている人がありますが、お経ではありません。
お経はお釈迦さまのお言葉を書き残したものですが、『正信偈』は親鸞聖人の書かれたものです。
この『正信偈』には親鸞聖人九十年の教えのすべてが収まっています。
「偈」とは「うた」ということですから『正信偈』は「正しい信心のうた」ということです。
「正しい信心」とは何でしょうか。
「信心」とは心で何かを信じることであり、すべての人は何かを信じなければ生きてはいけません。
例えば明日も生きておれると命を信じ、いつまでも健康でいられると信じて先々の計画を立てています。
金や財産名誉や才能があるから大丈夫いざという時は家族や友人が頼りになるだろうと私たちはさまざまな信心を持って生きています。
しかしやがて必ず裏切るものを信じていては心からの安心も満足もありません。
親鸞聖人は絶対に裏切ることのない幸せを「正しい信心」と言われ、「どうか皆さん正しい信心を獲て本当の幸せになってもらいたい。それが生きる目的なのですよ」と『正信偈』に教えられているのです。
その『正信偈』の次に拝読するのが『御文章』です。
『御文章』とは蓮如上人の書かれたお手紙で、蓮如上人は親鸞聖人の教えを正確に最も多くの人に伝えられた方。
だから親鸞聖人と蓮如上人の教えられていることは全く同じなのです。
もし親鸞聖人が『正信偈』で「右へ行け」と言われているのに蓮如上人は『御文章』に「左へ行け」と言われているとしたらどうでしょう。
私たちは勤行をしながらどっちへ進めばいいか分からなくなってしまいます。
親鸞聖人が「右へ行け」と言われたら蓮如上人も「右へ行け」と両聖人が同じことを教えられているから、私たちは勤行の時『正信偈』と『御文章』を拝読するのです。
蓮如上人は親鸞聖人の正しい教えを平仮名交じりでだれにでも分かるよう『御文章』に著してくださっています。
特に勤行でよく拝読される「聖人一流の章」は「聖人一流の御勧化の趣は~」で始まり短い文章の中に親鸞聖人ご一生の教えがすべて収まっています。
忙しい忙しいであっという間に過ぎ去る日々の中で朝晩仏前に座り、「おまえは何のために忙しがっているのか」と自己に問い、なぜあくせく生きるのかを聞かせていただくことは重要です。
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