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蓮如上人と道宗(どうしゅう)|親鸞学徒の鑑といわれる道宗とは

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カテゴリー:蓮如上人 タグ: 更新日:2019/04/09
 

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蓮如上人に道宗(どうしゅう)あり」といわれる道宗は、越中(富山県)五箇山の集落・赤尾出身の人です。
それで、赤尾の道宗といわれます。岐阜との県境にある越中五箇山は、急峻な山地に隔絶された、合掌造りの家々がひっそりと建っているところです。

道宗となるまで

道宗は俗名を弥七といいます。

若くして両親と死別した弥七は、父母に似た五百羅漢像を探す為、筑紫(九州)の羅漢寺へ旅に出ました。
その旅の途中、「京都の本願寺の蓮如上人を訪ねれば、親に会えるだろう」という夢を見て、京都の本願寺へ向かいます。

本願寺は、親鸞聖人報恩講(親鸞聖人の御恩に報いる集まり)の最中でした。
蓮如上人はご説法に立たれて、多くの人が参詣していました。
弥七は、3日3晩、座を立たずに聴聞し、感激の涙を流したといいます。

弥七の熱心な姿は、蓮如上人の目にも留まりました。
すぐさま蓮如上人のお弟子となり、道宗という名を賜わります。

後に、越中五箇山に行徳寺を開き、蓮如上人と同じく、生涯、親鸞聖人の教えを伝えていきました。

柔らかい布団に寝ておっては御恩を忘れてしまうのだよ

道宗の体には、あちこちに生傷が絶えなかったといいます。

一人の男が、傷痕の訳を道宗に聞きました。
しかし、彼は何とも答えない。
不審に思った男は、ある日、道宗の住居を訪ね、中をぐるりと眺めてみたのです。
道宗の寝場所とおぼしき部屋に、何十本もの割り木が山と積んであります。布団を置いてあるのならまだしも、割り木を積んでいるというのは、何とも奇怪でした。
「一体何に使うのか、あんな物を」
男はその晩、道宗の寝床を、物陰からこっそりうかがいました。
あの割り木を、どうするのだろう。
息を殺して道宗の様子に目を配っていると、道宗は、四十八の阿弥陀仏の本願のお言葉を声を出しながら、床に割り木を並べ始めました。一本、二本……全部で四十八本。
並べ終わると、道宗はそのゴツゴツした割り木の上に、横になって寝かかりました。
敷き布団の代わりに割り木とは、実に異様です。
なかなか眠れないのであろうか、何度も寝返りを打っては、念仏を称えている。
一部始終を見ていた男は、あまりのことにあきれて、翌日、道宗に尋ねました。
「あなたは、阿弥陀如来の本願は聞く一つで救われると、いつも話してくれているが、それは表向きのことで、実は昨日のような、えらい修行をせねばならんのですねえ」
昨晩の出来事をつぶさに話した男に、道宗は、
「とんでもない。私のようなあさましい人間は、布団の上に寝ておっては、阿弥陀仏の広大なご恩を忘れて楽々と寝てしまう。割り木で身を痛めて、せめて寝覚めの間だけでも、四十八願を建立なされた阿弥陀仏の御心をしのばせていただかねば、と思ってのことなのだよ」
と答えたといいます。

割木の上で眠る道宗の木像が行徳寺に伝わっています。
この木像と道宗の人柄に感動した版画家・棟方志功も道宗の版画を作製しています。

『恩徳讃(おんどくさん)』
如来大悲(にょらいだいひ)の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識(ししゅちしき) の恩徳も 骨を砕きても謝すべし
 
(意訳)
阿弥陀如来の御恩と、阿弥陀如来の本願を伝えたもうた恩師(師主知識)の深恩は、身を粉にしても、骨を砕きても済まないのだ。

映画『なぜ生きる』(映画のサイトへ)の主人公である本光房了顕(ほんこうぼうりょうけん)とともに、蓮如上人のお弟子であった赤尾の道宗も、「恩徳讃」そのままに、阿弥陀仏の御恩の深重なることに感泣しつつ、感謝の日々を送っていたのです。

一日の嗜みには朝つとめにかかさじ

一日のたしなみは、朝、おつとめをする
一月のたしなみは、瑞泉寺にお参りする
一年のたしなみは、京都の本願寺にお参りをする

道宗は、このたしなみを欠かすことはなかったといいます。
ある正月、蓮如上人が、富山県井波の瑞泉寺で、年を越された時のこと。
いつものように道宗は、元旦の勤行から参詣するため、真夜中に床を抜け出しました。
外は吹雪。
いてつく空気が体の芯までしみる。
身仕度を整えた道宗は、漆黒の闇に向かって歩きだしました。
赤尾から井波までは雪深い山々を越えること約三十キロ。
優に五時間はかかる。
「ザクッ、ザクッ、ザクッ」
腰まで積もった雪で、思うように進まない。
どんな豪傑でも心細くなるような真夜中の山道が続く。
だが、「この山を越えれば、また蓮如上人から、阿弥陀如来のご本願をお聞かせいただけるのだ」
蓮如上人を心よりお慕いする道宗の心は明るかったのです。
片道五時間の道のりも、苦にはならない。
しかし、例年にない大雪で、山中深く踏み入るほど、雪はいよいよ道宗の行く手を阻み、峠にたどり着いた時には、山を下る道は完全に消えていました。
「ああ、ここまで来ながら、蓮如上人にお会いできないほどの無念があろうか」
道宗は、なおも道なき道を進もうとしましたが、方角が全く分からない。
もはやこれまでと、断念しかけたその時、ふと目の前の雪に舟を引いたような、一筋の道がついているではないか。
歓喜した道宗は、一目散に井波へ急ぎました。

一方、夜明けを迎えた井波御坊では、勤行の準備が整えられ、蓮如上人のご出座をお願いしました。
蓮如上人は「道宗は来たか」と尋ねられました。
「いえ、まだ参っておりません。ですが、上人さま。今朝はこの雪でございます。とても山から出てくるのは無理かと」
従者が申し上げると、
「そうでもあるまい。しばらく待とうではないか」
とお答えになりました。
道宗の参詣をいぶかりながらも、一同が彼の到着を待っていると、やがて、全身雪まみれになって、御坊へと向かってくる道宗の姿が現れたではないか。
報告を聞かれた蓮如上人は、
「そうか、道宗が着いたか。では、鐘と太鼓を打って、皆に勤行開始の合図を」と命じられます。
シンとした山合いに澄んだ音が響き渡りました。
元旦に響く鐘と太鼓は、この時から「道宗打ち」といわれています。

 

「一日の嗜みには朝つとめにかかさじ」
“法話に参詣していながら、帰命無量のご調声にあえぬは、三年の飢饉にあったようなものだ”と常日ごろから語っていた道宗は、今日でも親鸞学徒のかがみとたたえられています。

後生の一大事、油断あるまじき事

浄土真宗の門徒としてあるべき姿を示した『道宗心得二十一箇条』があります。
その最初が最も知られています。

後生の一大事、命のあらん限り、油断あるまじき事

後生と聞けば、はるか遠い先のように思えるが、今日がその日かもしれないのだ。
吐いた息が吸えなかったら、吸った息が吐き出せなかったら、後生である。
無常の風に吹かれぬうちに、一大事の解決を急げ。
片時も油断なく、聞法に身を沈めよ。
と警鐘を鳴らしています。
後生の一大事に始まり、一大事の解決に終わる教えが仏教です。
「後生の一大事」「此一大事」と『二十一箇条』には八回も繰り返し、「後生の一大事」こそ、『二十一箇条』の要であり、道宗は常に「後生の一大事を心にかけよ」蓮如上人のご教示そのままを皆さんに伝えていたことがわかります。

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あさだ よしあき

ブログ作成のお手伝いをしています「あさだよしあき」です。 東京大学在学中、稲盛和夫さんの本をきっかけに、仏教を学ぶようになりました。 20年以上学んできたことを、年間100回以上、仏教講座でわかりやすく伝えています。
 
   

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