浄土真宗のお盆|親鸞聖人の教えを聞くとお盆の過ごし方が変わります
浄土真宗のお盆|親鸞聖人の教えを聞くとお盆の過ごし方が変わります
「盆と正月が一緒に来たようだ」
よいことが続くと、こんな言葉を使うことがありますが、8月の「盆休み」は、年末年始と同様に多くの人が休みを取り、家族と過ごす大切な時間といえましょう。
では「お盆」にはどんな意味があり、私たちは何をすればよいのでしょうか。
そのお盆の過ごし方を、お釈迦さま・親鸞聖人はどう教えられているのでしょう。
さまざまな角度から教えを解説いたします。
先祖や親からどんなご恩を受けているのでしょう
8月中旬の時期を「お盆」といいますが、これはもともと仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」が由来といわれます。
暑さを残しながら、秋風が吹き始める頃、遠くに暮らす子供らが帰ってくる。
仏壇にたかれた線香に慌ただしい心も落ち着き、忘れがちだった亡き人を思い出させてくれます。
亡き人といっても親や伴侶、かわいい子供など、さまざまです。
それら故人が喜んでくれるお盆にするには、どうすればよいのでしょう。
中でも親のご恩は大きいのですが、「子を持って知る、親の恩」といわれるように、親の心は親になってみないと、なかなか分かりません。
「親は十人の子を養えども、子は一人の母を養うことなし」ともいわれます。
お釈迦さまは、私たちが親から受けた、大きなご恩を『仏説父母恩重経』というお経に詳しく説かれ、無条件で愛情を注ぎ、骨身を削り養育してくださる親の恩を、「父母の恩重きこと、天の極まり無きが如し」と教えられています。
私たちの親にも、またそれぞれ両親がありました。親が1人ということはありえませんから、祖父母の数は4人です。
祖父母にも、またそれぞれ両親があり、曽祖父母は8人……、32代遡ると、単純計算で私の先祖の数は85億8993万4590人。
実に現在の地球の人口を超える数です。
そのうちの誰一人欠けても、私は今ここに存在しませんでした。
すると、私一人のために膨大な数の先祖がいた。
それらの先祖一人一人は、両親の愛に見守られ、祝福されて、この世に生を受けたはずです。
ならば過去の多くの先祖から現在の私までずっと、深い愛情とご恩でつながっているのだ、といえるでしょう。
その深いご恩に報いるお盆にしたい……。
それが皆の願いではないでしょうか。
お経は誰のために説かれたか
生前はいるのが当たり前で時に疎ましかった人でも、この世から去ってしまうと、生きている時にもっと大事にできたのではないか。
あの日が最後になるなら、優しく接してあげればよかった。
恩返しできぬうちに逝ってしまった……と、悔やむ気持ちは尽きません。
そんな思いを、長いお経を読んでもらったり、立派な墓を造り手を合わせることで、静め癒やしているのかもしれません。
家族が亡くなって初めて迎える「新盆」などは、ふだん仏教に関心のない人でも、読経や墓参りをする人がほとんどです。
しかし風習として寺や墓前で読経をしてもらっても、その意味が分からねば、形式だけのむなしい儀式となってしまいます。
そもそもお経は、誰のためにあるのでしょうか。
実はお経は、お釈迦さまの説法を弟子たちが書き残したものなのです。
お釈迦さまは、生きている人に本当の幸福になれる仏の教えを説かれました。
当然ながら、死者に対する釈迦の説法は一つもありません。
すべてのお経には「生きている人を幸福にする教え」が説かれているのです。
だからお盆は、チンプンカンプンの読経をしてもらって「これで、死んだじいさんが喜んでくれたのかなぁ」と思って終わるのではなく、生きている私たちがお経の中の「誰もが本当の幸せになれる教え」を聞かせてもらってこそ、意味があります。
故人のもっとも喜ぶこと
亡くなった親や先祖、伴侶や子供を本当に喜ばせるにはどうすればよいか、と真面目に考えてみると、私自身が自分の子孫、家族に何を望んでいるかを考えてみれば分かります。
生きていれば、いろんな困難や災難がやってきますが、わが子にはどんな苦難も乗り越えて、正しく生きてほしい。そして真の幸福になってほしい。親の願いはこれ一つではないでしょうか。
とすれば、私たちが正しく生きて、まことの幸せになることが、亡き先祖の最も喜ぶことであり、私の命を生み育んでくれたご恩に報いることになりましょう。
しかしこの世の幸福は、どんなに懸命に努力して手に入れても、しばらくすると色あせ、崩れ、無くなって悲しみに沈みます。
「何のために生きているのかナァ」
「はー、いっそ生まれてこなければよかった」
と、タメ息をつく日々では、亡き先祖もどんなに悲しい思いをするでしょう。
仏教に説かれる幸福に生かされて初めて、「生まれてきてよかった!」の生命の歓喜があり、「こんな幸せになれたのも、生み育ててくれたおかげです。ありがとうございます」と、先祖のご恩を心から感じる身になることができるのです。
それが、亡き人のいちばん喜ぶことではないでしょうか。
仏教を聞いて、本当の幸福になってこそ、育まれた私の命は、なぜ大切なのか、なぜ地球より重いのか、人間に生まれなければ果たせない、大事な目的があるからだとハッキリ知らされるのです。
お釈迦さまが教えられたこと
お釈迦さまが、80年の生涯懸けて説かれたお経の全てを総称して、一切経(いっさいきょう)といいます。
その一切経を幾度も読み破られた親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、主著の教行信証(きょうぎょうしんしょう)に
それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。
と仰り、この『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』に説かれる「阿弥陀仏の本願」を聞く一つで、どんな人も最高の幸福になれると教えられました。
(大無量寿経とは、釈迦の七千余巻のお経の中で、真実を教えられた唯一のお経です)
“生きている今、早く真の幸福を獲得しなさい、その身になるために、人は生まれてきたのですよ”と教えられたのがお釈迦さまであり、親鸞聖人でした。
この無上の幸福に生かされた人は、仏教を伝えて下された先生のご恩、親の恩に心から感謝し、ご恩に報いようと、光に向かって努力精進せずにおれなくなります。
心静かに亡き人を思うお盆は、多くの人に愛され育まれた命が、弥陀の本願力によって自他ともに真の幸せになれる尊いご縁なのです。
では、仏教で教えられる幸福とは、どんな幸福なのか。親鸞聖人は教行信証に教えられています。
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