葬儀・仏事は何のため?|誰にも聞けなかった仏教の〝モヤモヤ〞解消します(後)
仏事の“トラブル”その原因は何?
仏法上の行き違いや誤解は元をたどれば、ある“原因”に行き当たります。
真の仏事を勤めるに大切な「仏の教え」を親鸞聖人からお聞きしましょう。
蓮如上人の戒め
門徒と僧侶の“トラブル”は実は今に始まったことではありません。
親鸞聖人や覚如上人、蓮如上人の時代にも同様の記録が残っています。
蓮如上人は『御文章(御文)』に
門徒の方より物を取るを善き弟子といいこれを信心の人といえり。
これ大なるあやまりなり。
また弟子は坊主に物をだにも多くまいらせば、わが力かなわずとも坊主の力にて助かるべきように思えり。
これもあやまりなり。
(一帖目十一通)
と寺の存続や自身の生活を優先して、布施の大小で往生が決まるように説く邪を戒められています。
同様のことは『歎異抄』にも書かれていますから、親鸞聖人がお亡くなりになった直後にもすでにそういう者が多くいたのでしょう。
彼らは門徒を「わが弟子(自分の資産や所有物)」と考え、門徒が他の場所に行って仏法を聴聞すると、財産を取られたように思って腹を立て折檻して、今後別の場所で聞法するのを禁じてしまう。
これは自損損他であると『御文章』一帖目一通にも記されています。
僧侶が教えを説かず門徒の聞法さえも妨げる。
何とあさましいことかと、蓮如上人はこう猛省を促されています。
皆人の地獄に堕ちて苦を受けんことをば何とも思わず、また浄土へ参りて無上の楽を受けんことをも分別せずして、徒に明し空しく月日を送りて、更にわが身の一心をも決定する分もしかじかともなく、また一巻の聖教を眼にあてて見ることもなく、一句の法門を言いて門徒を勧化する義もなし。
ただ朝夕は暇をねらいて枕を友として眠り臥せらんこと、まことにもって浅ましき次第にあらずや。
静かに思案を廻すべきものなり。
(御文章二帖目十二通)
地獄に堕ちる後生の一大事を思わず、浄土往生して無上の楽果を受けることもわきまえず、日々をむなしく送り、真実の信心を獲得せず、尊い聖教を開いて学びもせず、一句の仏語を伝えて門徒を教化しようともしない。
ただ朝夕世間事に明け暮れ、暇さえあれば怠けてばかりいる。
まことにあさましい限りである。
よくよく深く受け止めねばならぬ。
「仏法説く人も聞く人も、教えを正しく知らないことが種々の問題の原因である」と蓮如上人は仰っています。
*覚如上人……親鸞聖人の曽孫。浄土真宗の教えを簡潔に教えられた方
*蓮如上人……室町時代の善知識。浄土真宗の中興といわれる
*歎異抄……700年ほど前親鸞聖人の高弟・唯円房によって書かれたといわれる書物
*自損損他……自分も損をし、他人にも損をさせる
*聖教……仏教の書物
*法門……教え
*勧化……教え導くこと
善知識から聞く
仏法を聞かせていただく私たちは、まずものさしとなる正しい教えをよく知ることが大事です。
そこで教えを正しく伝えられる師(善知識)を求めて聞かねばなりません。
「イヤァ、別に私は教えはどうでもいいんだ。葬儀や法事さえしてもらえれば……」
と言われる方もあるかもしれませんが、それでは先祖は喜びませんし、自分のためにもなりません。
仏法は誰から聞いてもいいのではないのです。
善知識について蓮如上人はこう仰います。
善知識の能というは『一心一向に弥陀に帰命したてまつるべし』と人を勧むべきばかりなり。(乃至)されば善知識というは『阿弥陀仏に帰命せよ』と言える使なり
(御文章二帖目十一通)
善知識とは仏教の結論である「一向専念無量寿仏」(弥陀一仏に向き、弥陀のみを信じよ)一つを教え勧められる方であります。
すべての人の後生の一大事は、弥陀の本願によらねば絶対に解決できないからです。
この「一向専念」の教えを蓮如上人は
皆々心を一にして阿弥陀如来を深くたのみたてまつるべし。その外には何れの法を信ずというとも、後生の助かるということゆめゆめあるべからず。
(御文章四帖目十通)
誰人も心を一つにして弥陀を一向にたのまねばならぬ。それ以外にどんな教えを信じようとも後生の一大事の助かることは絶対にないのだ。
末代無智の在家止住の男女たらん輩は、心を一にして阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、更に余の方へ心をふらず、一心一向に『仏助けたまえ』と申さん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも必ず弥陀如来は救いましますべし。
(御文章五帖目一通)
すべての人は一心に弥陀一仏を深くたのみ、他の神や仏に心を向けてはならぬ。
一向専念無量寿仏に救い摂られた人はどんなに罪が深くとも、必ず弥陀は浄土に往生させてくだされるのである、と易しい表現で教えられています。
「弥陀一仏に助けてもらいなさい」と説かれる先生(善知識)からお聞きしなければならない。
*能……使命つとめ
無上の仏、阿弥陀仏を信じなさい
私たちを救ってくださる阿弥陀仏とはどんな仏さまなのでしょうか。
地球上で最も尊いお釈迦さまが言葉を窮め、褒め称えられる大宇宙最高の仏さまです。
無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり。
(大無量寿経)
阿弥陀仏のお力は大宇宙最尊であり、十方の諸仏の光明の遠く及ばぬ勝れたお力である。
諸仏の中の王なり光明の中の極尊なり光明の中の最明無極なり。
(大阿弥陀経)
阿弥陀仏は十方諸仏の王である。そのお力は十方諸仏の中で最も強く尊く無限である。
釈迦の説かれた一切経にはこのように至る所に阿弥陀仏を称賛されていますから、天台宗の僧・荊溪でさえ
「諸教に讃ずる所多く弥陀に在り」
と言っています。
阿弥陀仏は諸仏にズバ抜けたお力でわれらの後生の一大事を解決してくだされる唯一の仏なのです。
だから弥陀一仏を信ずることが弥陀の弟子である諸仏方の最も喜ばれることになるのです。
阿弥陀如来は三世諸仏の為には本師・師匠なればその師匠の仏をたのまんにはいかでか弟子の諸仏のこれを喜びたまわざるべきや
(御文章二帖目九通)
阿弥陀如来は大宇宙の諸仏の先生である。すべての仏は「早くわが師・弥陀に救われなさいよ」と勧めておられるのだから、我々が弥陀に救い摂られることが諸仏方の最も喜ばれることなのである。
お盆などの仏事ではこの大宇宙最高の阿弥陀仏に向かい、救っていただくご縁としたいものです。
「最尊第一」
「諸仏の王」
といわれる阿弥陀仏に、後生の一大事救っていただくために仏法は聞くのである、と釈迦は説かれています。
*無量寿仏……阿弥陀仏のこと
*威神……素晴らしい
*光明……仏のお力
*諸仏……大宇宙のすべての仏
「後生の一大事、必ず救ってみせる」
では阿弥陀仏に救っていただきなさいと言われる「後生の一大事」とは何でしょう。
「後生」とは死後、来世のことです。
死と聞けば遠い先のこと、自分とは無関係のように私たちは思っていますがそれは本当でしょうか。
これは命あるすべての人に共通の大問題ですから“自分は無関係”と安閑としていられる人は一人もありません。
私たちも目前に死が突きつけられれば、何をおいても逃れたいと必死で抵抗するでしょう。
絶対に死にたくない者がしかし絶対に死なねばならない。
これを人生最大の矛盾といわずして何といいましょう。
この生死の一大事、後生の一大事を阿弥陀仏に救っていただき、この世は絶対の幸福。
いつ死んでも必ず弥陀の無量光明土(浄土)に生まれる身になることが人間に生まれてきた唯一の目的なのです。
「命尽きて浄土で仏のさとりを開けば、亡くなった肉親がもし六道で苦しみに沈んでいようとも、仏の方便力で救うことができるのだよ」と親鸞聖人は仰っています。
真の仏事は自他ともに弥陀の救いにあう勝縁ですから、その意義を正しく知り、祖師の御心にかなった本当のお盆を過ごしていただきたいと思います。
まとめ
何人も逃れられない「死(後生)」を真面目に見つめ、死ねばどうなるかの後生の一大事をこの世で阿弥陀仏のお力によって救っていただく。
これが仏教の目的であり真の仏事とはこの目的に向かう勝縁です。
*六道……苦しみの絶えない六つの世界。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界をいう
*仏の方便力……仏が苦悩の人びとを真実の幸福に導く力
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