すべての人に真の元気を与える妙法「南無阿弥陀仏」の偉大な力(前)
親鸞聖人と聞けば
「ああ、南無阿弥陀仏を教えられた方でしょ」と思う人が多いでしょう。
では、南無阿弥陀仏とは何でしょうか。
魔よけの呪文か、まじないか。
いいえ。
一言でいえば
「あなたの心の病を治す特効薬」であり
「たった一人でも喜べる大宇宙最高の宝」なのです。
生きづらいこの人生を、
「生まれてよかった!」の大歓喜に転ずる、南無阿弥陀仏のお力を聞いてみましょう。
なぜあの人は元気なのか?「信の上は一人居て喜ぶ法なり」
「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」 夏目漱石『草枕』
古今東西、変わらぬ人生の嘆きでしょう。
ところが親鸞聖人の教えを学び、聞法している方は、生き生きとして皆お元気。
その源は 一体どこにあるのでしょうか。
人は皆「おひとりさま」――老いの現実
超高齢化社会を迎え、老々介護や孤独死 など、かつてない「老い」の問題がクローズアップされるようになりました。
若い頃は「いい大学」「いい仕事」「いい結婚」に「いい車」「子供たちの笑いあふれるマイホーム」と、手に入れることしか頭になくても、年を重ねるにつれ、生きるとは、何かを得るばかりでなく失っていくことでもある、といや応なく知らされてきます。
例えばそれは健康な肉体であったり、家族の和楽、父母・妻子など様々です。
若さを誇った人は老いによって裏切られ、健康を頼りにする人は病に裏切られる。
博学で出世した人は認知症に捨てられ、愛する人との出会いも、別れの悲しみを伴っている。
「独生独死 独去独来」
とお釈迦さまが教えられるように、初めから終わりまで魂は皆「独りぼっち」なのでしょう。
平成11年、日本最高の知性といわれた江藤淳氏の自殺は、伴侶を亡くした喪失感の深さを物語って、多くの人の記憶に残りました。
一方、一つ屋根の下で家族と暮らしながらも、心は孤独に震えている。
新聞の人生相談には、そんな悩みの声がしばしば掲載されます。
ある70代の女性は「女手一つで子供2人を育て、息子の家族と同居しているが、ほとんどの時間を一人で過ごし、本当に寂しい。同居の息子夫婦は何年も前から不仲で会話もろくになく、嫁とはもう半年もまともに話をしていない。毎日一人でいると言葉を忘れてしまいそうだ」と訴えています。
最近、知人の家の向かいに個室タイプの老人ホームができた。
入居者は退屈なのか毎日窓から外を眺め、人が通ると「おーい」と声を発するが、皆 気づかぬふりをして通り過ぎていくという。
これが人生の末路かと思うと悲しくなる、と知人は語っていました。
「人生は苦なり」の釈迦の金言は、2600年を経た現代も朽ちることがありません。
ところが、蓮如上人は
「信の上は一人居て喜ぶ法なり」
と教えられています。
一人でも喜べる法とは、どういうことでしょうか。
肉体は老いさらばえても、心に喜びがあれば「私ほど幸せ者はない」と叫ぶことができる。
反対に、健康や金に恵まれていても、心が暗ければ喜びはないでしょう。
近年増加する高齢者の依存症や万引きの背景には、孤独感があるといわれます。
人とのつながりや趣味や娯楽の楽しみは、寂しさを埋める手段ではあっても、一時的なごまかしで、根本的な救いにはなりません。
果てしない過去から、孤独な魂に震えている、そんな十方衆生(すべての人)に、
「南無阿弥陀仏を与えて永久の闇より救う」
と誓われているのが、本師本仏の阿弥陀仏といわれる仏さまです。
ひとたび、弥陀より南無阿弥陀仏を賜れば、
永久の闇より救われし
身の幸何にくらぶべき(真宗宗歌)
比べるものなき絶対の幸福に生かされ、有ってよし、無くてよし。
底知れぬほど寂しい、この人生が無限に楽しい人生に大転換すると親鸞聖人は教えられているのです。
南無阿弥陀仏の偉大な力「破闇満願」
「南無阿弥陀仏」の六字は、
例えていえば、重篤の病で苦しむ私たちのために、阿弥陀仏という宇宙最高の名医が創られた特効薬。
その効能は「破闇満願」と説かれています。
「暗い心を破ってみせる」弥陀の誓い
本師本仏の阿弥陀仏は、私たちをどのように助けると誓われているのか。
それを一言で表されたお言葉が「破闇満願」です。
「破闇」とは闇を破る。
「満願」とは願いを満たす。
この闇とは「無明の闇」と言われ、わかりやすくいえば「後世の暗い心」をいいます。
私にもあなたにも、この世と別れて次の世へ旅立つ時があります。
それが後の世であり、後世とも後生ともいわれます。
後世のない人はありません。
私たちの100パーセントの未来であり、万人が向かっているところです。
その後世が暗いとは、はっきりしない、ということ。
死んでどこへ旅立つか、はっきりしているでしょうか。
今年もあとわずか。来年はあれして、これしてと考えているが、明日死ねば、来年どころの話ではない。
たとえ100年生きても、あっという間。
いずれ必ずドーンと死にぶち当たる。
その先どうなっているかわからないのを「後世の暗い心」というのです。
ちょうどそれは目隠しをして真っ暗がりを走っているようなもので、行き先が暗いから現在が暗くなるのは当然です。
明日、旅行に出かける人は、今からウキウキだが、明日、大手術を受ける人は今日から暗い気分に覆われる。
学生時代、楽しいのは土曜日で憂鬱なのが日曜日だった。
「明日からまた学校か」
ブルーマンデー(憂鬱な月曜日)が、楽しいはずの日曜日を暗くしたものです。
同じように、後世が暗いと、今が暗くなる。
意識しようとしまいと、この心が古今東西の人類の重しとなっているのです。
政治がどれだけ変わっても、この闇はなくなりません。
物や利便に囲まれながら「こんな毎日にどんな意味があるのだろう」と無性にむなしい。 自分はなぜここにいるのか。
死んでどこへ行くのか。
根本の疑問が晴れていないからです。
この闇の心を破らない限り、すべての人は幸せになれないと 阿弥陀仏は突き止められ、
五劫に思惟なされて
「必ず無明の闇を破ってみせる(破闇)」という願いを起こされました。
そして「『よくぞ人間に生まれたものぞ』という絶対の幸福を与えてみせる(満願)」と誓われたのです。
その誓いを果たすため、兆載永劫のご修行の末に完成なされたのが「南無阿弥陀仏」の「六字の名号」です。
「南無阿弥陀仏」の名号には、だから私たちの無明の闇をぶち破り、絶対の幸福にする
「破闇満願」の働きがあるのです。
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