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乱れる心に絶望された親鸞聖人

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カテゴリー:親鸞聖人のご生涯 タグ:
 
乱れる心に絶望された親鸞聖人

比叡山から望む琵琶湖

仏道を求めて、親鸞聖人は世俗を離れた静寂な山へ入られましたが、時は末世、にわか坊主となった平家の落ち武者たちが、夜な夜な京の町へ遊びに出かけ修行の邪魔をする。

人間の目はごまかせても仏の目はごまかせないと、親鸞聖人は一人修行に励まれましたが、赤山禅院(赤山明神)で出会った美しい女性が、脳裏から離れない。

体は修行に打ち込んでいても心は女を抱き続けている。

上辺だけを取り繕い、平家の落ち武者よりもなお浅ましい自己の醜い心にがく然となされました。

目次

  • 逆巻く煩悩の波
  • 「一息切れたらどうなる」

逆巻く煩悩の波

9歳で仏門に入られた親鸞聖人は、29歳まで比叡山で想像を絶する難行苦行に専心されました。

しかし後生暗い心の解決はできず、天台宗の教えに絶望されたのです。

若き20年間、全てをなげうって修行なされた山を下りる決断は、いかばかりだったでしょう。
その時の苦悩が『歎徳文(たんどくもん)』に記されています。

定水(じょうすい)を凝す(こらす)と雖も識浪(しきろう)頻に(しきりに)動き、心月(しんげつ)を観ずと雖も妄雲(もううん)猶覆う、而(しか)るに一息追(つ)がざれば千載に長く往く、何ぞ浮生(ふしょう)の交衆(こうしゅう)を貪って徒に仮名の修学(けみょうのしゅうがく)に疲れん、須らく勢利(せいり)を抛って(なげうって)直に出離をねがうべし。

静寂な夜、一心に修行に励む親鸞聖人が比叡の山上から見下ろされた琵琶湖は、鏡のようでした。

「定水(じょうすい)を凝すと雖も識浪(しきろう)頻に動き」とは、定水は、静まり返って波一つない水面。「定水を凝す」とは、琵琶湖の静かな水面のように心を静めることです。

「識浪」とは心の波で、欲や怒り愚痴の煩悩の波が、絶えず逆巻いていることを「識浪頻に動き」と仰っています。

*比叡山……京都と滋賀の境にある山。天台宗の本山がある
*歎徳文……存覚上人(覚如上人の長子)著。親鸞聖人のご遺徳を讃嘆されているご文

「ああ、あの湖水のように、私の心はなぜ静まらないのか。静めようとすればするほど散り乱れる」

仏さまのことだけを思おうとするが、思ってはならないことが、ふーっと思えてくる。考えてはならないことが、次から次と浮かんでくる。

どうしてこんなに欲や怒りが逆巻くのか。

自分の心でありながらどうにもならぬ心に、親鸞聖人は苦しまれました。

親鸞聖人が尊敬され『正信偈(しょうしんげ)』にもたたえられている、中国の善導大師(ぜんどうだいし)は、30年間床を敷かず勉学修行に励まれ、また母親以外の女性を見られなかったと言われています。

余程、意志堅固な人でなければ30年も貫くことはできませんが、その善導大師がこんなことを仰っています。

一人一日のうちに八億四千の憶い(おもい)あり、念々になすところこれみな三塗の業(さんずのごう)なり

一日のうちに八億四千回、心が変わると言われています。

八億四千とは数のことではなく無限を表しますから、心は盆の上の卵のように、コロコロ、コロコロ、変わり通しということです。

しかも、念々心に浮かぶことは、苦しみの世界(三塗・さんず)へ堕ちる悪いタネ(三塗の業)ばかり、との告白です。

*正信偈……親鸞聖人が正しい信心を明らかにされた詩
*善導大師……中国の浄土仏教の大成者。親鸞聖人が最も尊敬されている一人
*三塗……地獄・餓鬼・畜生の3つの苦しみの世界。三悪道ともいう

仏教では心をいちばん重く見られます。
体や口を動かしているのは心だからです。

心がその人の真の姿であり、口や体に表れているものはその人の本質ではありません。
その心を静めようとすればするほど、動きづめの煩悩が見えてきたと「識浪頻に動き」と言われているのです。

次の「心月(しんげつ)を観ずと雖も妄雲(もううん)猶覆う」とは、さとりのことを「心月」と表され、「妄雲」は、さとりを得るのを妨げる煩悩です。

天を仰ぐと青くさえる月光。どうしてあの満月のようにさとりの月が拝めないのか。煩悩の群雲が親鸞の心を覆い隠してしまう。

心月

「一息切れたらどうなる」

この絶望の淵から、どうして一歩踏み出されたのか。

「而るに一息追がざれば千載に長く往く」。
「一息追がざれば」とは「一息切れたら」ということ。

平生、私たちは当たり前のように息を吸ったり吐いたりしていますが、やがて必ず吸った息が吐けない時、吐いた息が吸えない時が来ます。

こんな暗い心で、一息切れたらどうなるか。この一大事、どうしたら解決できるのか……。

「千載に長く往く」とは、果てしのない長い間、苦患に沈まなければならないことです。

親鸞聖人はこの一大事の後生に驚かれた。一刻の猶予もなく、いても立ってもいられぬ不安に親鸞聖人は、追い詰められました。そしてついに下山の決意をなされるのです。

「何ぞ浮生の交衆(ふしょうのこうしゅう)を貪って徒に仮名の修学(けみょうのしゅうがく)に疲れん、須らく勢利(せいり)を抛って(なげうって)直に出離をねがうべし」

世間のつきあいに振り回され、今死ぬとなったら意味のない学問に、どうしてこの命を費やせようか。

一切の俗念を投げ捨てて、この後生の一大事を解決しなければ……。

かくして20年間の天台・法華の教えに絶望なされ、求道に精も根も尽き果てられた親鸞聖人は、

「どこかに煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞を、導きたもう大徳はましまさんのか……」

と、29歳の春、まことの仏教の先生を求め、泣き泣き山を下りられたのでした。

続き

(6)会い難き真の知識・法然上人

 
 
 
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