蓮如上人物語|戦国武将朝倉孝景は「日の善悪」を廃止して名を残す
合戦中のある武将の陣でのこと
「殿、今が打って出る絶好の機会でございまする。出陣のご下知を!」
「いや、今日は悪日じゃ。よしたほうがよい」
「な、何を言われます」
「これは占い師にも占わせておる。しかも今出撃したら北西に向かうことになる。それは悪い方角じゃ」
「し、しかし……」
「ん?」
「申し上げます!敵、背後より攻めてまいります」
「な、何!?」
「しまった。不意を打たれた」
「左右からも繰り出してまいりました!と、殿~!!」
「このままでは挟み打ちじゃ!ええい、引け、陣を引くのじゃ!」
応仁の乱で日本全国が混乱を極めていた。
その中、越前の領主である朝倉孝景(あさくらたかかげ)は、吉崎御坊にたびたび参詣し、蓮如上人から教えを受けていた。
*越前……現在の福井県
*吉崎御坊……現在の福井県あわら市吉崎にあった聞法道場 蓮如上人が建てられた
朝倉孝景と蓮如上人のやりとり
「上人さま、いつも尊いご説法、まことにありがとうございます」
「孝景殿、戦続きの中、よく参られましたのう」
「越前国内の混乱も平定できれば、重ねて聞かせていただけますものを……。そこで蓮如上人さま。日頃から疑問に思っていることがあるのですが」
「ほう、それは何ですかな。ご存じのとおり、戦となれば、占いや縁起、吉凶を論じて出陣することばかりでございまするが……。仏法ではそのような行いを禁じていると聞きました。それは本当でしょうか」
「そのことですか。日が善いとか悪いとか、仏法では吉日良辰を選ぶことは決してないのですよ」
吉日良辰を撰ぶ事、仏法に於て決してなき事也。
昔し、釈尊在世の時、提婆阿闍世に悪逆を勧め、父の頻婆娑羅王を殺害し、母韋提夫人を禁獄す。……
(蓮如尊師行状記)
こうして、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に説かれている有名な「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」の話を、蓮如上人は説かれている。
お釈迦様ご存命中に、インド・マガダ国の王舎城で起きた史実である。
ビンバシャラ王とその后・韋提希夫人(いだいけぶにん)が、生んだわが子・アジャセによって牢獄に閉じ込められ、この世の地獄に苦しめられる。
しかしお釈迦様のご教導により、韋提希夫人は仏法を聞いて、本当の幸せに救い摂られるのである。
『蓮如尊師行状記』によれば、仏教史上最大の、この悲劇を明らかにされたあと、蓮如上人は次のように説かれている。
父を殺害し、母を牢に監禁した五逆罪の報いで、アジャセは全身に悪性の腫れ物が生じ耐え難い苦痛に責められていた。いろいろな霊薬を試してみるが、何の効きめもない。
*五逆罪……仏教で教えられる親殺しなどの五つの恐ろしい罪
「ううう……」
医師の耆婆(ぎば)が、諌めて言った
「アジャセ王様、この腫れ物は、五逆罪の報いですから、どんな薬も効かないでしょう」
「ど、どうすればよいのじゃ」
「お釈迦様の元へ行きましょう。仏のお力によらねば、治すことはできません」
「うむ、そうか。しかし、今日は悪日だ。明日行こう」
「な、何を言われます、アジャセ王様。仏法は、日の善悪を選ぶことなど絶対ありません。今、王は重病なのです。仏は名医と同じです。瀕死の病人が医者へ行くのに日の善悪を選びましょうか。
「……」
「ここに栴檀(せんだん)という薬木と伊蘭(いらん)という毒木があるとします。この二つの木を焼いても炎の姿は変わりません。悪日も吉日もこれと同じです。日に善し悪しなどないのです。同じ日でも、嫌なことがあった人には悪日、よいことがあった人には吉日になるのです」
こうして、アジャセは耆婆に連れられ、ついにお釈迦様の元へ赴いて、ご教導にあずかり、心身ともに救われたと、『涅槃経(ねはんぎょう)』に説かれている。
アジャセ王は、その後亡き父にならって仏法を守護する王となり、教団発展に大きく寄与するのである。
朝倉孝景
「なるほど。蓮如上人さま。よい日になるか、悪い日になるか、その人の心掛け次第なのですね」
蓮如上人
「仏教の根幹は因果の道理。まいたタネは必ず生える。まかぬタネは絶対に生えぬ。この世の全ての果報はその人その人の過去の種まきによって決まるのじゃ。占いや祭り事によって我々の運命が決まるのでは決してないのですよ。」
如来の法のなかに吉日・良辰をえらぶことなし(涅槃経)
(関連)
カレンダーの「仏滅」は仏教と関係があるのでしょうか。
朝倉孝景は、蓮如上人からご教導を受けたあと、十七箇条の家訓を制定している。有名な
「朝倉孝景条々」である
中でも注目されているのが、日の善悪を否定しているところである
(合戦の時、)吉日を選び、方角を考て時日を移事甚 口惜候。
如何に能日なるとて、大風に船を出し、大勢に独向わば、其甲斐有べからず候
(第十三条)
これは戦国乱世の大名にとって画期的なことであった。
朝倉孝景は、蓮如上人から仏教を学び、迷信を排除し、子孫が迷わぬよう条文をしたためたと思われる。
「一切の人民を仏道に勧め入れるを本意とすべし」と、国主としての心構えを後継者に語ったというから、お釈迦様教団の発展に尽くしたビンバシャラ王やアジャセ王にならおうとしたのであろう。
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