「自業自得」の正しい意味は? 本当はいい意味もある|語源はどこに?
「自業自得」という言葉は今まで悪いことをしてきたからひどい目に遭ったのも仕方がないという意味で使われることが多いです。
例えば、日ごろから悪いことをしている誰かがひどい目に遭うと
「あいつはいつも悪いことしていたからな。自業自得だよ」
と言います。
逆に誰かが努力して成功したのを見て
「あの人は毎日がんばってたからなあ。自業自得だ」
とは言いません。
このように悪い行動の末に悪い結果が来ることを「自業自得」と言っていますが、元々の意味からすると本当はそれだけではないのです。
自業自得の語源は?
自業自得(じごうじとく)とは、「業」は、卒業の「業」の字を書いて、「ごう」と読みます。
意味は「行い」という意味です。
「業」のことをインドの昔の言葉では「カルマ」といい、それが中国で翻訳されたときに「業」の字が充てられました。
ですから「自業」とは「自分の行い」という意味です。
「自得」とは「自分が結果、運命を得る」という意味です。
自業自得とは、自分の行為が自分の運命を生み出すということです。
私たちは日常生活で、悪い結果がきた人に明らかに原因があるとき
「それは自業自得だよ」
と使います。
例えば、授業をちゃんと聞かず、勉強しなかった学生が試験前にあたふた苦しんでいたら、「君の自業自得だよ。日ごろからちゃんと勉強しなきゃ」といいます。
よい結果がきたときに「自業自得だよ」と言いません。
一生懸命勉強して大学に合格した学生に「それは自業自得だね」という人はありません。
「自業自得」と使うのは、悪い場合に限られています。
この自業自得という言葉は、実は仏教から出た言葉です。
元々の仏教ではどういう意味だと教えられているのでしょうか。
仏教では、悪い場合に限らず、良いのも悪いのも例外なく、すべての運命が自業自得と教えられています。
悪い結果を受けるのは本人の悪い行いが原因ですが、良い結果を受けるのも本人の良い行いが原因です。
そういう意味では大学合格も自業自得なのです。
自業自得と因果の道理
行いと運命の関係を仏教では、このように教えられています。
善因善果(ぜんいんぜんか)
悪因悪果(あくいんあくか)
自因自果(じいんじか)
これを『因果の道理』といいます。
善い原因は善い結果を生む。
悪い原因は悪い結果を生む。
自分が作った原因(自業)が自分の結果(自得)を生む。
ということです。
『因果の道理』がわかれば、他人にいい結果が来ても妬まず、自分に悪い結果が来ても「あいつのせいでひどい目に遭った」と他人を恨まず、努力向上主義で、明るく楽しく毎日を過ごすことができます。
他人の成功も、自分の失敗も自業自得だと納得できるからです。
まとめ
自業自得は一般的には悪い結果に対して使われますが、元は仏教から来た言葉で、仏教では良い結果も悪い結果も自業自得だと教えられます。
自業自得とは、自分の行為が自分の運命を生み出すということです。
良い結果も悪い結果も、その人の行いが生み出したものだよと教えられます。
このような行為と結果との関係を仏教で『因果の道理』と教えられます。
『因果の道理』について詳しく解説している記事もありますので、こちらをお読みください。
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