浄土真宗が一向宗と呼ばれるようになった理由|一向一揆の一向宗とは
日本史に時々出てくる「一向宗」や「一向一揆」の文字。
一向宗とは浄土真宗のことで、一向一揆は浄土真宗の門徒の人たちが起こした一揆のことです。
では「一向」とはどういう意味なのでしょうか。
「一向」と浄土真宗とはどのような関係があるのでしょうか。
今回は「一向」と浄土真宗との関係についてお話します。
(質問):浄土真宗を一向宗となぜ呼ばれるようになったのですか?
(解答)
親鸞聖人の教えを「浄土真宗」と言いますが、「一向宗」とも呼ばれます。
なぜ浄土真宗を一向宗と呼ばれるようになったのでしょうか。
それについて親鸞聖人の教えを伝えられた蓮如上人は、こう教えられています。
あながちに我が流を一向宗となのることは別して祖師も定められず
おおよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、皆人の申しなす故なり
しかりと雖も、経文 に「一向専念無量寿仏」と説きたまう故に、
一向に無量寿仏を念ぜよといえる意なるときは、一向宗と申したるも子細なし
(意訳)
親鸞聖人は「浄土真宗」と仰っている。「一向宗」とは、親鸞聖人の言われたことではないのだが、余りに親鸞聖人が「阿弥陀仏一仏に向け」と教えられたので、世間の人は「あれは一向宗だ」と言うのだろう。
だが、「一向専念無量寿仏」は釈迦の教えの結論だから、それを強調された親鸞聖人の教えを「一向宗」と言ってもいいのではないか。
蓮如上人のお言葉によると「浄土真宗」こそが正しい名称で、「一向宗」は当時の人たちが勝手に呼び出したことです。
しかし親鸞聖人の教えは確かに「阿弥陀仏に一向しなさい」「一向専念無量寿仏ですよ」という教えですから「『一向宗』は間違っているぞ」とわざわざ否定はされなかったのです。
ではその「一向専念無量寿仏」とはどのような意味なのでしょうか。
「一向専念無量寿仏」とは
「一向宗」の「一向」は「一向専念無量寿仏(いっこうせんねんむりょうじゅぶつ)」の「一向」だと言われています。
「一向専念無量寿仏」とは「無量寿仏に一向専念せよ」と読みます。
「無量寿仏」とは「阿弥陀仏」の別の呼び方で、意味は「阿弥陀仏一仏に助けてもらいなさい」ということです。
これは仏教の結論であると、親鸞聖人は教えられています。
阿弥陀仏とはどんな仏さまか、お釈迦さまとどう違うのかについてはこちらをお読み下さい。
→ お釈迦さまと阿弥陀仏は、同じ仏さまですか?
まとめ
どんなに物やお金に恵まれても、心から満足できない原因は、無明の闇(むみょうのやみ)といわれる暗い心であり、すべての苦しみの根元である無明の闇が破れる(無くなる)と、どんな人も本当の幸せになれると仏教では教えられています。
この暗い心を明るい心にする力は、阿弥陀仏にしかないから、
「一向専念無量寿仏(阿弥陀仏一仏に助けてもらいなさい)」
とお釈迦さまは仏教の結論として教えられました。
親鸞聖人は、お釈迦さまの教えの結論である「一向専念無量寿仏」を強調して教えられたので、後の世の人たちは親鸞聖人の教えを「一向宗」と呼ぶようになったと蓮如上人は教えられています。
親鸞聖人は、主著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』の冒頭に
『難思の弘誓(なんしのぐぜい)は難度の海(なんどのうみ)を度する大船
無碍の光明(むげのこうみょう)は無明の闇(むみょうのやみ)を破する慧日(えにち)なり』
と教えられています。
これは、どういうことでしょうか。
一向専念無量寿仏とはどのような関係があるのでしょうか。
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