蓮如上人は吉崎御坊の嫁おどし伝説で何を教えられているのでしょうか
蓮如上人(れんにょしょうにん)といえば、吉崎御坊(よしざきごぼう)と、日本史の授業でも勉強しました。
吉崎御坊とは、蓮如上人が吉崎の地に建てられた聞法道場のことです。
吉崎は、福井県と石川県の県境にある地域で、当時は、交通の便のよいところでした。
吉崎御坊には、有名な「嫁おどし伝説」が伝えられています。
どんな伝説で、この伝説を通して、蓮如上人は何を教えられているか、学んでみたいと思います。
嫁おどし伝説とは
吉崎御坊から程近い山十楽村(やまじゅうらくむら)に、お清という農家のお嫁さんがいました。
夫と二人の子供に先立たれ、一人残されたお清は、世の無常を悲しみ、この苦しみ、どうすればよいかと、吉崎御坊に訪れたのです。
蓮如上人から、諸行無常の現実、また、一切の滅びる中に滅びざるまことの幸せがあることを知らされたお清は、蓮如上人のお話を、続けて聞くようになりました。
ところが、姑は大の仏教嫌いでした。
嫁が毎晩のように吉崎御坊へ蓮如上人の話を聞きに行くのを快く思っていません。
そこで、蓮如上人のお話のある晩は、家から出すまいと、米のうすひきの仕事を与えたのでした。
「おっかさん、今から、蓮如上人さまのお話を聞きに行ってもよろしいでしょうか」
「ならば、先に米一升を粉にしてから行くがいい」
お清はこれをたちまち済ませてしまい、吉崎御坊へ出発しました。
“この程度では、へこたれぬか”と、次の夜、
「おっかさん、今晩は……」
「吉崎御坊へ行きたいのなら、今日は倍の二升じゃ」
しかし、仏教を聞きたい一心のお清は、粉ひきを懸命にこなし、終わり次第、すぐさま吉崎御坊へ駆けつけます。
“何とか、仏教聞くのを邪魔できないものか”
業を煮やした姑は、一計を案じます。
ある晩、村から吉崎御坊への道中にある、人気のない竹やぶに、白装束に鬼の面をした姑が身を潜めました。
鬼の姿で驚かせてやれば、嫁は二度と夜道を出歩くまい、と考えたのでした。
「そろそろ、嫁がここを通るころだ」
そうとも知らず、お清は、念仏称えながら、しんとした細道を一人歩いています。
竹やぶに差しかかった時、突如、鋭いかまを手に、異形の鬼が飛びかかってきました。
「こら嫁女、おまえを食い殺してやる!!」
腰を抜かすか、泣き叫ぶか!
ところが、お清はいささかの動揺も見せず、一首の歌を口ずさむのでした。
「はまばはめ 食わば食え」の歌
はまばはめ 食(くら)わば食(くら)え 金剛の 他力の信は よもやはむまじ
(意味)
この肉体を食べたければ、食べるがいい。
しかし、私が仏教を聞いて得られた絶対の幸福は、いくらおまえでも歯が立つまい。
仏教では、絶対の幸福のことを、金剛心(こんごうしん)、また、他力の信心といいます。
行者正受金剛心 (ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん)
(書き下し文)行者は正(まさ)しく金剛心を受く
行者とは、仏教を聞いて絶対の幸福になった人のことです。
絶対の幸福は、金剛心であると教えられています。
金剛心とは、金剛とは硬いということです。
金剛石とは、文字通り読めば、硬い石ということですが、石は硬いものです。
その石に金剛とついていますから、最も硬い石ということで、ダイヤモンドのことを、金剛石といいます。
金剛心とは、硬い心。硬い心とは、何があっても変わらない、微動だにもしない心で、何があっても崩れない絶対の幸福のことを、仏教で金剛心といいます。
如何なる人来りて云い妨ぐとも、すこしも変らざる心を金剛心という
『後世物語聞書(ごせものがたりききがき)』
どんな人から、どんなことを言われても、微動だにしない幸せが金剛心です。
嫁おどしの肉付きの面
お清は、一首の歌を詠んで立ち去っていきました。
当てが外れた姑は、慌てて家に戻ります。
「清が帰る前に面を取らねば」
ところが、どうしたことか顔に引っついて離れない。
無理に取ろうとすれば肉がはがれるような痛みが走る。
そのうちに、お清が帰ってきました。
家に入ると、なんと先ほどの鬼がいるではないか。
驚くお清に、姑は泣きながら、
「嫁よ、わしだ。許してくれ。鬼の面が取れなくなったのじゃ。助けてくれ」
「まあ、お母様でしたか。大丈夫ですか」
お清も力を尽くしたが、鬼の面は一向に取れません。
思案に暮れたお清は、
「お母様、蓮如上人さまなら、きっと力になってくださるに違いありません。一緒に吉崎に行きましょう」
二人は蓮如上人のもとへと急ぎました。
一切をありのままに打ち明ける姑に、蓮如上人は、どんな極悪人も必ず絶対の幸福になれる阿弥陀仏の本願を懇ろに説かれるのでした。
「あー、私は間違っていた。こんな素晴らしい教えを、疑いそしっていたとは。恐ろしい、思えば恐ろしい鬼でありました」
初めて聞く仏教の尊さに打たれた姑が、これまでの所業を心から懺悔すると、鬼の面は、ポロリと落ちたといいます。
この鬼の面を「嫁おどしの肉付きの面」といわれます。
現在、吉崎に行きますと、吉崎御坊跡があり、蓮如上人<銅像(高村光雲作・1934年)が見ることができます。
そこへ向かう階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院、東側に真宗大谷派の別院があります。
本願寺派の別院を「西御坊」「西別院」、大谷派の別院を「東御坊」「東別院」といわれます。
また「吉崎寺」(浄土真宗本願寺派)、「吉崎御坊願慶寺」(真宗大谷派)の寺院があり、この両方の寺に、「嫁おどしの肉付きの面」といわれる面が保管されています。
嫁おどし伝説で何を教えられているのか
この嫁おどし伝説で何を教えられているのでしょうか。
姑はお清が仏教を聞くのを邪魔をしました。
その恐ろしさを鬼の面に表されていると言われます。
逆に言えば、それだけ仏教を聞くことは素晴らしいことだと訴えています。
お清は、家族に先立たれたことは大変悲しいことでしたが、それがご縁となって、仏教を聞くようになり、あのような歌を歌えるような幸せ者になりました。
どんな悲しみに沈んでいる人でも、人間に生まれてきてよかったと最後、死んでいく時でも満足できる幸せを、蓮如上人は吉崎御坊で説いておられました。
この吉崎御坊を拠点として、浄土真宗は日本中に広がっていったのです。
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