親鸞聖人の田植え歌
親鸞聖人の田植え歌
五劫思惟の苗代に (ごこうしゆいのなわしろに)
兆載永劫のしろをして (ちょうさいようごうのしろをして)
雑行自力の草をとり (ぞうぎょうじりきのくさをとり)
一念帰命の種おろし (いちねんきみょうのたねおろし)
念々相続の水ながし (ねんねんそうぞくのみずながし)
往生の秋になりぬれば (おうじょうのあきになりぬれば)
実りを見るこそうれしけれ (みのりをみるこそうれしけれ)
澄んだ青空、新緑まばゆい5月、今まさに田植えの時期。人手を頼み共同作業する田植えは、1日先送りしても、収穫に響く。農民にとっては、天候とにらめっこしながらの気を抜けぬ大事でした。
親鸞聖人の教えを熱心に聞いていた平太郎(へいたろう)は、そんな村人に仏法聞かせたいと、親鸞聖人を招待し、田んぼに出てきた人を聞法(もんぽう)に誘います。しかし「食べる物食べんと生きてはいけんじゃろう」と、すげない返事に平太郎は「食べておっても死ぬんじゃぞ」とグサリ。それでも心に余裕のない村人は、平太郎を尻目に、田植えに取りかかるのでした。
平太郎の言うとおり、十分なお金や食べ物があっても、悲しいことに、人は死んでいきます。どんな人も死を免れることはできません。
しかし、ほとんどすべての人は〝食物の確保がまず第一、論ずる余地なし〟と、生きるためのお金や食物を得るのに、余念がありません。1年365日、朝から晩まで、食べるために私たちは生きていると言って過言ではないでしょう。オギャアと生まれたその日から、人生を閉じるまで、生きるため、食べるために、時間や体力・お金、すべてをつぎ込みます。
病気や事故の時、お金や財産があれば、命を延ばすことはできます。しかし、何億円蓄え、よい伴侶や子供に恵まれても、未来の不安はなくなることはありません。なぜなら、この世の一切は無常だからです。今あっても、いつどうなるか、わからない物や命で、どうして心から安堵できるでしょうか。
間違いない現実と思っていることが、実はいかに不確実なものなのかを、アメリカの作家J・ディディオンは、こう書いています。
それは、いつもと変わらぬ、ありふれた一日の終わりの出来事でした。夫は、スコッチをチビチビやりながら、私と会話していた。ふと顔を上げると、彼は左手を宙に上げ、動かなくなった。何かの冗談と思った私は、『やめてよ』と言った。しかし、夫が返事をすることは、二度となかった。
(略)
人生は急激に変化する。人生は一瞬に変化する。夕食の席に着いたと思ったら、命は終わる。
『THE YEAR OF MAGICAL THINKING』
すべての人はまるで、薄い氷の上の旅人のようなもの。次の一歩で、足元が割れて冷たい氷の下に沈むかもしれません。しかし、そうと気づかぬ私たちは、岩盤の陸地と思い込み、他人と争ってかき集めた財を背負って無防備に、次の歩みを進めています。
人一倍気をつけて氷の上を歩く人もありますが、どう歩いても、だれ一人、氷が割れないことはないのです。
この怖ろしい事実に、人は、目をつむり、人生最後の日まで、何の準備もせずに過ごしているとしたら、こんな危険なことがあるでしょうか。
いつ終わるとも知れぬ命で何をすればよいのでしょう?
はかない命の意味は何か?
その答えを教えられた仏教・阿弥陀仏の本願を、平太郎は、伝えずにおれなかったのです。
平太郎のその気持ちとはうらはらに、村人たちは、田植えに励みます。親鸞聖人は、村人の事情を知られるや、裸足で田んぼに入られました。聞きたい人が来るのを待っているのではなく、こちらから近づいていこうのお気持ちからでした。一緒に田植えを手伝うことはできても、田植えが終わってしまえば、村人たちは帰ってしまう。どうすれば、阿弥陀仏の本願を伝えることができるか。悩まれながら田植えをされる親鸞聖人は、歌を口ずさみました。村人が尋ねると、田植えのはかどる歌という。村人は引き付けられました。実は、それは、阿弥陀仏の本願を伝える歌でした。
「そりゃあ、何の歌で……」
「これはねぇ、田植えのはかどる歌なんですよ」
と親鸞聖人。村人は、打ち解けて
「そりゃあ面白いや。えーと、どんな歌だっけ?」
「今度は皆さんと一緒に歌いましょう」
田んぼに手足をとられ、泥にまみれながら、親鸞聖人は、仏とも法とも知らない村人を、本当の幸せに導かんとご苦労なされたのです。
五劫思惟の苗代に (ごこうしゆいのなわしろに)
兆載永劫のしろをして (ちょうさいようごうのしろをして)
雑行自力の草をとり (ぞうぎょうじりきのくさをとり)
一念帰命の種おろし (いちねんきみょうのたねおろし)
念々相続の水ながし (ねんねんそうぞくのみずながし)
往生の秋になりぬれば (おうじょうのあきになりぬれば)
実りを見るこそうれしけれ (みのりをみるこそうれしけれ)
これは大変深い意味がありますので、月刊誌『とどろき』で詳しく説明しています。
(続き)
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