恩師・法然上人との別離
親鸞聖人は29歳の時、法然上人のお弟子となられました。
仏教の結論「一向専念無量寿仏」の布教に力を尽くし、繁盛する法然門下に対して、やがてそれを妬んだ仏教各宗や権力者からの弾圧が激しくなります。
念仏布教は禁止、教団は解散。法然上人(75歳)は土佐(高知)へ、親鸞聖人は越後(新潟)へ流刑となり、門下の名立たる人々も死罪や流罪に処せられました。
これが有名な「承元の法難(じょうげんのほうなん)」です。
恩師・法然上人との別離
親鸞聖人35歳の御時、法然上人は土佐(高知)へ、親鸞聖人は越後(新潟)へ流刑を宣告されました。
29歳で法然上人に巡り会われてわずか6年、生木を引き裂かれるように別れられたのです。
生涯おそばでご教導をと願われていた親鸞聖人にとって、それはあまりにも急な別離でした。
その悲しみから、次のお歌を詠まれています。
会者定離 ありとはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思わざりけり
会うは別れの始めなり。いかに親しくとも、会った者には必ず別離の時が来る。これを仏教では「会者定離(えしゃじょうり)」といいます。
“この世は諸行無常・会者定離の世界であると、かねてお聞かせいただいておりましたが、お師匠さまとの別れがこんなにも早く来ようとは思っておりませんでした。あまりにも、早すぎます……”
号泣される聖人に、法然上人は優しくお歌を返されます。
別れ路の さのみ嘆くな 法の友 また遇う国の ありと思えば
“法の友・親鸞よ、一時の別れをどうかそのように嘆いてくれるな。この世で阿弥陀仏の本願に救い摂られた者は、やがて必ず弥陀の浄土で再会できるのだから”
越後への旅
小雪舞う京・岡崎の草庵。旅立たれる親鸞聖人を見送ろうと集まった多くの人と別れの言葉を交わし、悲しみを後にして、藤井善信(ふじいよしざね)と名を変えられた親鸞聖人は、西仏(さいぶつ)房、蓮位(れんい)房の二人を召し連れて、雪深い越後へ赴かれました。
親鸞聖人の配所・越後へは、過酷な旅であったといわれます。
敦賀(福井)、倶利伽羅(石川・富山)の険しい山越えや、断崖に激しく波寄せる親不知子不知の海岸(新潟)など、多くの難所が待ち受けていました。
特に親不知子不知の絶壁は、怒涛逆巻く海が足下に迫り、まるで海岸線にそそり立つ屏風のよう。
大波が絶えず岸壁を洗い、親は子を、子は親を顧みる余裕もないので、この名がつけられたといわれます。
命の危険にさらされる道中を過ぎると、流刑の地での過酷な生活が待っていました。
そんな苦難を親鸞聖人は、どう受け止められたのでしょう。こんなお言葉が伝えられています。
抑(そもそも)、また大師聖人もし流刑に処せられたまわずば、我また配所に赴かんや。もしわれ配所に赴かずんば、何によりてか辺鄙(へんぴ)の群類を化せん。これなお師教の恩致(しきょうのおんち)なり。(御伝鈔)
(意訳)
恩師・法然さまが、もし流刑に遭われなければ、この親鸞も新潟に流されることはなかったろう。もしそうならば、どうしてこの土地の人たちに阿弥陀仏の本願をお伝えすることができただろう。ひとえにこれ、お師匠さまのご恩の賜物。親鸞、喜ばずにいられないのだ。
風雪厳しい新潟に赴かれての艱難辛苦も、真実伝えるご方便と静かに喜ばれるお姿が彷彿とします。
雪の中のご布教
雪深い季節、寒中もいとわず一軒一軒、戸別に訪ねて回られる。だが家の主人は、いぶかしげに顔をしかめてピシャリ。鼻先で戸を閉める。
取りつく島もない応対に、なお忍耐強く親鸞聖人は、一言なりと法を伝えんと、また次の家、隣の村へと歩みを運ばれます。
当時の親鸞聖人の立場は流罪人。余程のことがなければ、そんな相手の話に耳を貸す人はないでしょう。
この里に 親をなくした 子はなきか み法の風に なびく人なし
(意訳)
この里に、親を亡くして悲しむ人はないか。諸行無常の世で、絶対に変わらぬ真実のみ法に耳を傾ける人がない。
聞く人なき魂の荒れ野原を耕すように、着実に親鸞聖人は弥陀の本願を伝え続けられました。たまたま話を聞く人があれば、少年のようにきらきらと瞳を輝かせ、懇ろに弥陀の本願真実を説かれます。
五年後、赦免されるも
そして瞬く間に5年の月日がたち、親鸞聖人の元に、2つの知らせが届きます。
一つは、流刑を解く、との赦免の報。
待ちわびた本師・法然上人との再会が果たせると喜ばれた聖人が、早速懐かしき京へと出立された時、もう一つの悲しい知らせが届いたのでした。
法然上人のご逝去でした。
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