お釈迦様物語 余命○ヵ月と宣告された時、本当になすべきことは何かを考える
背中から西日が照りつける。行く手に伸びる影を見つめながら、粗末な法衣の修行者は帰路を急いでいた。
手元の鉄鉢の穀物が、歩みに合わせてサラサラと鳴る。今日の乞食で受けることができた布施はわずかだが、一日、光に向かった心の晴れやかさが、彼の足取りを軽くしている。
その歩みの先に、所在なげに道行く一人の姿がある。どうやら同じ精舎(しょうじゃ)の法友と見て取れた。追いつこうと彼は、さらに歩を進める。見ると、修行を始めたばかりの新入りが、思いつめたように重い足取りで歩いている。
「もし、そなた。元気がないようだが、どこか体の具合でも?私も同じ精舎で修行する者。都合の悪いことがあれば何でも話しなされ」
驚いて振り向いたのは、まだ幼さを残す少年だった。一瞬、瞳の奥に不審の色をにじませたが、相手が先輩と知るや、遠慮がちにこう打ち明けた。
「生まれ落ちてより、家には不幸が続きました。父母が病気で亡くなり、兄弟たちも、まともに育ったのは私とすぐ上の兄だけです。兄は世をはかなんで出家となり、私も、そんな気はなかったのに、兄についていくしかありませんでした。しかし、毎日の修行の意味が分かりません。私は働いて金持ちになりたい。もう貧しいのはイヤなのです」
緩やかに足を運びながら、聞いていた修行者は、
「命の短く、脆いことを、仏陀がこのように教えてくだされたと、以前、聞いたことがある……」
こう言い置いて次のように話し始めた。
ある弟子に、仏陀が話しかけられた。
「そなたもこのごろは、命の短く脆いことがうなずけてきたらしい」
合点して弟子は言う。
「本当にそうでございます。たちまち消え失せてしまいます」
「“たちまち”と言っても、感じようもいろいろだが……」
お釈迦様の一言に、“仏さまの感じられる命の短さとは、どれほどのものなのだろう?”と、弟子は疑問を起こした。
「世尊がお感じになっているそれは、どれぐらいの速さでございましょうか」
「そなたにはとても納得できまい」
そう聞いた弟子は聞きたい気持ちが抑えられなくなる。お釈迦様は続けられた。
「例えばここに、弓の名人が四人いるとする。そのうちの一人は東に、一人は南、一人は西へ、そしてもう一人は北を向き、それぞれの方向の彼方に的を定め、心を合わせて一度に矢を放つ。名人の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛ぶ。そこに足の速い男がいて、サッと走りだしたと見る間に、四人の弓師が放った矢を引っ捕らえてしまったとしよう。どうだ。この男の足は速いだろう?」「それは速いです。とても速いです」
興奮ぎみに弟子は言った。やや間を置いて、お釈迦様は仰せられた。
「それよりも、もっと速いのが人間の命なのだ。命は実に足が速い」
紅潮した面持ちの年若い出家を、一瞥して修行者は言った。
「この短い命で財を成し、富を得て生きるのも大変だ。だが財宝を求める心は安心や満足を知らぬ。しかも死んでいく時には、米粒一つも持ってはいけないのだ。はかない命で何をなすべきか。この地上でそれを教えられる唯一のお方が仏陀・お釈迦様なのだよ」
うつむいていた少年は、やがてゆっくり顔を上げた。目には生気が満ちていた。修行者と歩調を合わせ、しっかりとした足取りで歩み始める。陽はもう、西に沈みかけていた。
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