恩徳讃の意味
「如来大悲の恩徳は~」で始まる恩徳讃。
浄土真宗の盛んな地域ですとお寺や学校で聞いたことがある方もあるかもしれません。
恩徳讃は親鸞聖人が書かれたものです。
親鸞聖人は恩徳讃にどのようなことを教えられたのでしょうか。
(質問):浄土真宗の盛んな地域、また浄土真宗の学校ではよく恩徳讃(おんどくさん)を耳にしますが、どんな意味でしょうか?
(解答)
恩徳讃とは、親鸞聖人が『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の中に書かれているお言葉で、節をつけて歌われ、昔から浄土真宗の盛んな地域では親しまれています。
如来大悲の恩徳(にょらいだいひのおんどく)は、
身を粉にしても報ずべし(ほうずべし)
師主知識の恩徳(ししゅちしきのおんどく)も、
骨を砕きても謝すべし(しゃすべし)
恩徳讃の恩徳とは、恩も徳も同じ意味で、ご恩のことです。恩のことを歌の形で教えられたのが恩徳讃です。
私たちは多くの方のおかげで生きていくことができます。
「誰に恩を受けていますか」と聞かれたら、まずは親、そして友達、学校の恩師などが出てくると思います。
仏教では人間の価値(どんな人が立派な人間か)は「知恩・感恩・報恩」の気持ちで決まると教えられています。
・知恩(ちおん) 受けている恩を知る
・感恩(かんおん) 恩に感謝する
・報恩(ほうおん) 恩に報いようとする
その反対が「忘恩・背恩・逆恩」です。
・忘恩(ぼうおん) 受けている恩を流し、忘れる
・背恩(はいおん) 恩に背く
・逆恩(ぎゃくおん)恩を怨で返す
「知恩・感恩・報恩」の気持ちの強い人と「忘恩・背恩・逆恩」の人と、どちらが信用できるでしょうか。
お釈迦さまは「恩を知らざる者は畜生よりも甚だし」決して恩知らずの人間になってはならない。恩を知らざる者は犬や猫、動物以下であるぞと厳しく教えられています。
私たちはいろいろな人から恩を受けて生きていますが、恩徳讃ではどなたからの恩について教えられているのかといいますと、如来大悲(にょらいだいひ)と師主知識(ししゅちしき)からのご恩です。
如来大悲の恩徳とは何でしょうか?
如来とは阿弥陀如来、大悲とは大慈悲のことですから、如来大悲とは、阿弥陀如来の大慈悲のことです。
(関連)
→ お釈迦さまと阿弥陀如来は、同じ仏さまですか?
阿弥陀如来の大慈悲を教えられたお釈迦さまの教えを聞いて、本当の幸せになった人は、如来大悲に深くご恩を感じるようになります。それが「身を粉にしても報ずべし」です。
身を粉にしたら死んでしまいます。それほど深く如来大悲の恩徳を知らされ、知恩、感恩、報恩の幸せな人生を歩むようになります。
師主知識の恩徳とは何でしょうか?
師主知識とは、師主も知識も同じ意味で、仏教の先生のことを言います。どれだけ素晴らしいものがあったとしても、それを伝えてくれる人がいなければ、知ることはできません。
素晴らしいものを知ることができれば、それを伝えてくれた人に感謝の心が起きてきます。
如来大悲を伝えて下された仏教の先生のご恩も深く知らされ、「骨を砕きても謝すべし」と言われています。
これも骨を砕いたら死んでしまいます。それほど師主知識の恩徳が知らされるのです。
親鸞聖人の教えを聞かれるとどうしてそれほどの心になれるのかがわかりますので、聞いていただきたいと思います。
浄土真宗では本当の幸せになった人はその喜びから、まだなっていない人は早くそのような心になれるようにと思い、昔から恩徳讃が歌われているのです。
まとめ
「如来大悲の恩徳は~」で始まる恩徳讃は親鸞聖人の著書『正像末和讃』に書かれています。
恩徳讃には阿弥陀如来からのご恩と仏教の先生からのご恩について教えられています。
仏教の先生から阿弥陀如来の大慈悲を聞いて本当の幸せになった人は、身を粉に、骨を砕いてもお返しできないという恩徳讃の喜びが起きてきます。
どうして恩徳讃の心が起きるのか、恩徳讃の心が起きる幸せとはどんな幸せか、親鸞聖人の教行信証に明らかにされています。
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