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親鸞聖人と「現生十種の利益」─阿弥陀仏、諸仏、菩薩に護られる幸せ
大安心の幸せってどんな幸せなの?
弥陀に救われた人は、この世から不可称・不可説・不可思議の無上の幸せが身に満ちあふれると、親鸞聖人は説かれています。
「不可称・不可説・不可思議」とは、言うことも説くことも、想像さえもできないということ。
スイカの味を食べたことのない人に説明して分からせるのさえ難しい。いや不可能です。
しかし聖人は、その言葉にならぬ絶対の幸せを、それでも何とか言葉にして伝えようと、生涯を懸けられました。
その教えの一つが「現生十種の利益」です。
主著『教行信証』には、
金剛の真心を獲得する者は、横に五趣・八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲
弥陀に救われた人は、阿弥陀仏のお力によって永の迷いの打ち止めをさせられ、必ずこの世で十種の幸福を頂くのである。
と説かれています。
現生とは「現在生きている時」。利益とは「幸福」のこと。
弥陀に救われた人は、この世で十の幸せを賜るということです。
その十の幸せの中でも聖人は、「護られる幸せ」を三つも教えられています。
(1) 冥衆護持の益
(4) 諸仏護念の益
(6) 心光常護の益
「護持」「護念」「常護」は、いずれも護られるということです。一体どなたに護られるのでしょうか。
冥衆護持の益
初めの冥衆護持の益とは、冥衆に護られる幸せです。
「冥衆」とは、菩薩や諸神のこと。
諸神とは、仏教で教えられるいろいろの神。
菩薩は、仏のさとりを求めて努力している人で、例えば観音菩薩や勢至菩薩、地蔵菩薩などです。
弥陀に救われると、これらの菩薩や神々が護ってくださる幸せを、「冥衆護持の益」というのです。
聖人は、
南無阿弥陀仏をとなうれば
梵王帝釈帰敬す
諸天善神ことごとく
よるひるつねにまもるなり
「弥陀に救われ、お礼の念仏を称える身になった人は、梵王・帝釈が敬い、諸天・善神が皆、夜昼、常に護ってくださり、心配のない生活をさせていただけるのである。」
と教えられています。
夜昼、常に、ですから二十四時間、無休です。
また、
南無阿弥陀仏をとなうれば
観音勢至はもろともに
恒沙塵数の菩薩と
かげのごとくに身にそえり
と、観音菩薩や勢至菩薩、ガンジス川の砂の数(恒沙塵数)ほどたくさんの菩薩方が影のように離れず、護ってくださるのだよとも言われています。
有名な『歎異抄』七章には、
信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし
「弥陀に救われた人には、天地の神々も敬って平伏し、悪魔外道も妨げることができなくなるのである。」
と仰っています。
正月早々、日本では何千万という人が初詣でに出掛け、神サマに幸せを祈っています。
神といえば頭を下げるもの、というのが世の常識でしょう。
ところが聖人は全く逆の、天地の神々が私たちを敬って頭を下げる身になれるのだ、と驚くべき幸せを宣言されています。
世間の常識を超えている。これが弥陀に救われた世界です。
諸仏護念の益
次の諸仏護念の益とは、諸仏に護られる幸せです。
「諸仏」とは、大宇宙に無数にまします仏方のこと。
仏のさとりを開かれた方ですから、冥衆より上の方たちです。
大日や薬師、ビルシャナ如来など、大宇宙にはガンジス川の砂の数ほど仏がましますと、お釈迦さまは説かれています。
それら無数の仏方に護られ、心の底から安心できる幸せを「諸仏護念の益」と言われています。
この幸せに生かされた聖人は、
南無阿弥陀仏をとなうれば
十方無量の諸仏は
百重千重囲繞して
よろこびまもりたまうなり
阿弥陀仏に救われた人は、大宇宙にまします無量の仏が、百重にも千重にも取り巻いて、護ってくだされるのである。
と高言されています。
「よろこびまもりたまうなり」ですから、イヤイヤ仕方なく、ではない。
お金のため、義理で護るのでもない。諸仏方のほうから、「どうか護らせてください」と言われるのです。
なぜそうなるかといえば、諸仏にとって、弥陀に救われた人は、「我々の先生の阿弥陀仏に助けてもらった尊い人」だからです。
阿弥陀仏が大宇宙最尊のお方ですから、弟子の諸仏方は、幾重にも囲んで喜び一杯、護ってくだされるのです。
心光常護の益
三つ目は心光常護の幸せです。
「心光」とは、阿弥陀仏のお力のこと。
助けてくだされた阿弥陀仏が「私に護らせてくれ。決して見捨てはしないぞ」と、常に抱き締め、護ってくださる幸せを「心光常護の益」と言われます。
『正信偈』に「摂取心光常照護」(摂取の心光は常に照護したまう)
とあるように、ガチッと弥陀に摂め取られた一念からずっと、阿弥陀仏がその人を照らし護りたもうのです。
まとめ
屈強なボディーガードに守られてさえ安心なのに、諸神や菩薩も、その上の諸仏も、本師本仏の阿弥陀仏も、四六時中、喜び護ってくださる世界があるぞ。
早く皆さんも弥陀の本願を聞き開き、親鸞と同じ大安心の幸せになってくれよと、聖人は現生十種の利益を教え、念じられているのです。
では、どうすれば弥陀に救われ、大安心の幸せになれるのでしょうか。
「仏法は聴聞に極まる」と教えられています。阿弥陀仏の本願を「聞く」ということが、とても大事なことなのです。
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