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親鸞聖人と浄土真宗がやさしく分かる入門サイトです。 初めて学ぶ方も、イラスト入りの解説で分かりやすく学ぶことができます。

1から分かる浄土真宗

日本には、仏教の宗派がいろいろありますが、一番多いのは、浄土真宗です。
浄土真宗は、親鸞聖人が教えられましたが、親鸞聖人はどんなことを教えられた方なのか、浄土真宗はどんな教えでしょうか。1から分かるように説明します。

「念仏を称えたら、死んだら極楽へ往ける」と教えられたのが親鸞聖人と思っておられる方が少なくありませんが、親鸞聖人の教えは『平生業成(へいぜいごうじょう』といわれ、平生、生きている時が大事なんだと訴えられた方が親鸞聖人です。
『平生業成』とは何か、浄土真宗で読まれているお経は何か、浄土真宗の方が知りたいと思われることを一つ一つ説明します。

けんか2
意見がぶつかった時の心の持ち方を聖徳太子に学びます

人類が発生して以来、人と人の意見のぶつかり合いは、絶えたことはないのではないでしょうか。ニュースを見ても、子供のいじめ、高齢者の介護問題、国家間の紛争など、幼い子供から大人にいたるまで、意見のぶつかり合いの毎日と知らされます。 私たちは、大なり小なり、家庭や職場で、意見があわず、ケンカになったり、黙り込んだりしています。そのままにしておくと、心が苦しくなり、場合によっては、心のわだかまりが大きくなり、二度と修復できないかもしれません。 意見がぶつかった時、どのような心の持ち方をすればよいのか、まず聖徳太子に聞いてみたいと思います。 聖徳太子の十七条憲法に学ぶ 聖徳太子といえば、十七条憲法ですが、十七条憲法の十条に、このような言葉があります。   (意訳)  私がいつも聖者、正しい訳ではない。相手がいつも愚者、間違っている訳でもない。私も相手も、ともに凡夫、誤った判断をする人間なのだ。 同じく十七条憲法の二条に 三宝とは、この世には、三つの宝があるということです。その宝とは、仏様であり、仏様の説かれた教え(法)であり、その法を正しく伝える人(僧)のことです。一言でいうと、仏教です。仏教は、すべての人を幸せにする教えだからであると書かれています。 聖徳太子は、仏教に造詣が深く、ここでも「凡夫」と仏教の言葉を使われています。 ともに凡夫とは 凡夫とは、仏教では、人間のことを言います。親鸞聖人は、煩悩具足の凡夫と仰っています。凡夫とは、煩悩具足である、具足とは塊ということで、煩悩の塊が人間であるということです。 煩悩とは、1人に108ありますが、特に私たちを煩わせ悩ませるものが3つあります。三毒の煩悩といい、欲、怒り、愚痴の心をいいます。私たちは、朝から晩まで、心の中で何を思っているかというと、欲、怒り、愚痴といっても言い過ぎではないでしょう。この欲、怒り、愚痴の心がある為、人間は、理屈ではわかっていても、理屈通りにできぬところがあります。 それは、私だけではなく、すべての人がそうだと仏教では教えられています。 「私もそうだが、相手もそうだ。お互いが凡夫なのだ。」 この人間観をもつことができれば、一時、自分の意見を抑えて、相手の意見を心静かに聞いてみることができるのではないでしょうか。 親鸞聖人の歎異抄「善悪の二、そうじてもって存知せざるなり」の断言 歎異抄という有名な本には、親鸞聖人は、こう仰ったと記されています。   (意訳) 親鸞は何が善で何が悪は、まったくわからない。 私たちは、ついつい、これは善、これは悪と、ハッキリわけてしまいますが、この世のことは、立場が変われば、今まで善だったのが悪になる、今まで悪だったのが善になることもあります。戦争は、その代表例です。 100%正しいということもなければ、100%間違っていることもないのです。 私は100%正しい、相手が100%間違っていると思い込んでいる時に、怒りの心が燃え盛ります。そんな時、100%はないのでは、と自分に問いかけることによって、少しは自分も間違っていた、少しは相手も正しいところがあると、意見を通わせる一端が見えてくるのではないでしょうか。 心のスイッチをもちましょう 「ともに凡夫のみ」「善悪、存知せず」「100%はない」など、スイッチになるような短い言葉を決めておきましょう。意見がぶつかった時には、この心のスイッチを押せばよいでしょう。聖徳太子、親鸞聖人は、常にそばにいるのです。

聖徳太子は日本のお釈迦様であると親鸞聖人は評価されている
聖徳太子は日本のお釈迦様であると親鸞聖人は評価されている

聖徳太子と親鸞聖人の関係 歴史の教科書にも登場する聖徳太子。今でこそ1万円札は福沢諭吉ですが、その前は、聖徳太子でした。 ここでは、聖徳太子はどんな人か、ではなく、聖徳太子と親鸞聖人の関係について、紹介したいと思います。 親鸞聖人は聖徳太子の夢を見られたことがある 親鸞聖人は9歳の時に比叡山に入られ、仏道修行に打ち込まれました。10年間、全身全霊修行なされましたが、これ以上どうすることもできないと、修行に行きづまられました。 幼い頃、お母さまから「夢に如意輪観音があらわれて、五葉の松を母に授けて私の出生を予告した」と聞かれたことを思い出し、観音と関係深い聖徳太子のお導きにあおうと思われて、聖徳太子ゆかりの磯長(しなが)の御廟へ参詣されました。 磯長(しなが)は、現在の大阪府南河内郡太子町にありますから、京都と滋賀の県境に比叡山はありますので、大変な距離です。 磯長の御廟に着かれた親鸞聖人は、3日間、一心不乱に出離の道を祈り念じ続けました。そして、ついに失神してしまったのです。その時に、聖徳太子の夢を見たと記録されています。 午前2時頃、自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中はあかあかと光輝いていて親鸞聖人は驚きました。その時、聖徳太子が仰ったお言葉も記されています。ここでは、その内容までは触れないでおきたいと思います。 親鸞聖人 仏教の歴史をひもとかれる その後、親鸞聖人は29歳まで比叡山で修行を続けられましたが、とても修行を成就することはできないと下山されました。京都の町をさまよい歩いていたときに、友人の聖覚法印(せいかくほういん)を通して法然上人に出会うことができました。 法然上人から浄土仏教を聞かれ、親鸞聖人はたちまち、本当の幸せになられ、法然上人のお弟子になりました。 20年間、比叡山で苦労なされた親鸞聖人にとって、「法然上人から聞かせて頂くことがなければ、親鸞は、今、こんな幸せな身になれなかった」と法然上人との出会いはかけがいのないものでした。 さらに、仏教を説かれたお釈迦様は、遠い昔のインドの方。インドで説かれた仏教がどうして日本の自分のところまで届けられたのか、届ける人がいなければ、自分は幸せになれなかったと、親鸞聖人は思いをめぐらされました。 仏教の歴史をひもといてみると、今から2600年前にインドでお釈迦様によって説かれた仏教は、中国に伝えられます。そして中国から朝鮮半島を通って、日本に伝えられたのは6世紀頃と言われます。 当時の日本は、物部(もののべ)氏と蘇我(そが)氏が権力争いをしていました。仏教についても、物部氏は排仏派、蘇我氏は崇仏派と、意見が分かれていました。聖徳太子は、仏教を中心にした国作りをしたいという理念を実現するため、崇仏派の蘇我氏に味方し、蘇我氏は、物部氏との権力争いに打ち勝つことができました。 十七条憲法には仏教が出てくる 聖徳太子の有名な十七条憲法の第二条には、このようにあります。 三宝とは、この世には、三つの宝があるということです。その宝とは、仏様であり、仏様の説かれた教え(法)であり、その法を正しく伝える人(僧)のことです。一言でいうと、仏教です。仏教は、すべての人を幸せにする教えだからであると書かれています。 その後、日本は、仏教中心の国作りが進められ、日本の文化と仏教は、切っても切れない深い関係をもつようになります。 もし聖徳太子がいなければ、聖徳太子が仏教中心の国作りをしようと思わなければ、日本に仏教は伝わらなかったかもしれません。 日本の仏教が伝わらなかったら、法然上人が現れることもなかった、法然上人から仏教を聞かせて頂くこともなかった、今、こんな幸せな身になることもなかったと思いをめぐらせた親鸞聖人は、聖徳太子に深い御恩を感じられたのでした。 聖徳太子は日本のお釈迦様である 親鸞聖人の正像末和讃(しょうぞうまつわさん)に、このようなお言葉があります。 聖徳皇(しょうとくおう)とは、聖徳太子のことです。 和国の教主とは、和国とは日本、教主とは教えの主ということで、仏教を説かれたのはお釈迦様でしたから、仏教の教えの主とは、お釈迦様のことです。 聖徳太子は、和国の教主、日本のお釈迦様であると言われています。 聖徳太子がいなければ、日本に仏教は伝わらなかったであろうから、日本のお釈迦様のような存在であると、親鸞聖人は評価されています。 聖徳太子の御恩は、広大恩徳、広くて大きな御恩であり、その御恩に、どれだけ感謝しても、感謝しすぎることはないと、褒めたたえられています。 親鸞聖人の教えを学びますと、それまで歴史上の人物として見ていた聖徳太子が、大変身近な存在として、私たちに近づいてくると感じると思います。

一念発起の意味 仏教に語源があるが浄土真宗での意味は
一念発起の意味 仏教に語源があるが浄土真宗での意味は?

前向き発言の一念発起(いちねんほっき)とは 一念発起とは、それまでの考えを改めて、あることを成し遂げようと決意し、熱心に励むことをいいます。「一念」は、一つのことを思うという意味です。 「一念発起して試験勉強に取り組む」「一念発起して禁煙する」のように、使われています。 今まで、やりたいとは思っていたけどなかなか取り組めず、時間がどんどん過ぎ去っていき、「このままでいいのか」と、心の中に何か釈然としない、もやもやしたものがある。 それが何かをきっかけに、「このままではダメだ。『明日からやろう』では、明日になったら、また『明日からやろう』で、いつまでも先延ばしにしてしまう。やるなら今だ」と思い立つ。 林先生の「いつやるの」「今でしょ」の声が、心の中に響くかもしれません。今までの自分に終止符を打って、今から変わろうと決意する時に「一念発起」という言葉が使われます。 非常に前向きな取り組みに使われますので、素晴らしい言葉だと思います。 もとは、仏教の華厳経にある言葉だと言われています。 親鸞聖人の教えでは 浄土真宗、親鸞聖人の教えでは「一念発起」は、非常に多く使われています。しかし、読み方は違います。普通は「いちねんほっき」と読みますが、浄土真宗では「いちねんぽっき」と読みます。 仏教書で一番よく読まれている歎異抄にも出ています。 親鸞聖人の教えを正確に最も多くの人に伝えられた蓮如上人の御文章には、いたるところに出ています。その中で一番知られているのは、聖人一流章です。 では、同じ意味で使われているかというと、読み方も違いますが、意味も異なります。 浄土真宗では、一念発起とは、一念とは、あっという間もないくらい短い時間、瞬間のことです。教行信証には「時尅の極促(じこくのごくそく)」とあります。時尅とは時間、極促とは極めてはやいということで、時間の極まり、これ以上短い時間がない、何億分の1秒よりも短い時間をいいます。発起とは、発もおこる、起もおこるで、起こるということです。 入正定之聚とは、正定之聚(しょうじょうしじゅ)に入ると読みます。正定之聚とは、正定聚(しょうじょうじゅ)ともいわれ、今日の言葉でいうと、何があっても崩れることのない絶対の幸福のことです。正定之聚に入るとは、絶対の幸福になることをいいます。 そんな絶対の幸福にいつなれるのか。それは、一念発起です。生きている今、一念の瞬間に、絶対の幸福になれる。それは、今までの自分の心とは全く異なる幸せなので、発起と言われています。 一念発起して、本当の幸せになれるよう、親鸞聖人の教えを聞かせて頂きましょう。

蓮如上人と白骨の章
蓮如上人と白骨の章 書かれた経緯

「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。されば未だ万歳の人身を受けたりという事を聞かず。一生過ぎ易し……」 延徳元年8月、蓮如上人75歳。上人は有名な「白骨の御文」をお書きになった。どんな経緯があって、書かれることになったのでしょうか。 蓮如上人と海老名五郎左衛門とのやりとり 「蓮如上人さま、ありがとうございました。わが身に迫る無常が、深く心にしみ入ります」 「青木殿のことは、まことに悲しい出来事であった」 「まことに……」 青木殿とは、山科本願寺の近くの安祥寺村にいた青木民部という下級武士のことである。 *山科本願寺……現在の京都市山科区にあった聞法道場 海老名五郎左衛門と青木民部 「おう、民部よ。わしが戦に行っている間に、そなたの娘は何と美しく育ったものか」 「ははは、自慢の一人娘じゃ」 「いや、その優しさといい、評判どおりじゃのう、幾つになった?」 「清女も十七歳じゃ。実は、有力な武家から縁談を持ちかけられておる」 「何と惜しい。わしがもう少し若ければ、嫁にもらうところを」 「はははは、五郎なんぞにはやりはせんぞ」 やがて縁談が調い、挙式は8月11日に決まった。 しかし、民部は、下級武士ゆえ経済的な蓄えがない。 「致し方ない。先祖伝来の武具・馬具を売り払うよりない」 「そんな簡単に手離せるものか、戦の時は、どうするのじゃ?」 「いやいや、大事な娘の嫁入りじゃ、立派な衣装や道具を調えてやらねばのう」 「民部…」 ついに迎えた婚儀の日 青木民部の家では朝から両親は、お祝いに来た近隣の人々に衣装などを見せて喜んでいた。 ところが── 「うっ……」 「ど、どうした急に、清女!」 「う……う……」 「あなた、ど、どうしましょう」 「大変だ、たのむ、医者をたのむ」 「医者は隣村に行かねばおらぬぞ!わしが連れて来る間に、薬を!」 「清女、清女」 「清女ー!」 周囲の人々が、慌てふためくうちに、娘は息絶えてしまった。 「こんな、こんなことがあっていいのか!」 「うそよ、悪夢よ!こんなの信じないわ!」 「目を開けておくれ、清女、ああ!」 民部夫婦は半狂乱になって慟哭したが、氷のごとく冷たくなった亡骸をいかんともする術がなかった。隣近所の人たちが手伝って、その夜のうちに野辺送りし、翌十二日、骨を拾って帰った。 「これが、待ちに待った娘の嫁入り姿か……お、おおお……」 民部は、嗚咽のまま、息絶えてしまった。51歳であった その場にいた人々の驚きは、例えようがなかった。だが、そのままにもしておけない。娘と同じ火葬場で、荼毘に付された。 「清女……、あなた……、私一人を残して……、一体どうしたというの」 後に一人残った民部の妻は、ただ悲嘆に暮れていたが、翌十三日、愁い死にしてしまった。 37歳の若さであった。 青木民部の近所の人たち 「何ということだ。数日の間に、一家三人が亡くなってしまった……」 「何と人の命とは、はかなきことか……」 「戦場よりも激しき無常だ」 「この家はもう、住む者がいなくなった。誰が引き取るかのぉ」 「青木家の家財一切は、亡くなった三人が信奉していた、山科本願寺の蓮如さまに寄進するのがよいと思うが」 「うむ、それがよい」 「そうしよう」 蓮如上人 青木家の不幸をお聞きになり、大変哀れに感じられ、落涙されること、しばしであったという。 「何ということだ……、これを縁に、世の無常について文(手紙)に表そう」 ところが、続いて8月15日 「なんと、海老名五郎左衛門殿の息女が急死したとな!」 海老名五郎左衛門とは、山科本願寺の聖地を財施した武士である。その娘も17歳だった。 青木民部一家に起きた突然の不幸、そして海老名五郎左衛門の十七歳の娘も無常の風に襲われた。 蓮如上人と海老名五郎左衛門とのやりとり 娘の葬儀を終えた五郎左衛門が、8月17日、山科に蓮如上人を訪ねてきた。 「海老名殿。こたびの事は、まことに……」 「蓮如上人さま。青木民部殿のこと、悲しきこととはいえ、他人事だと思っておりました。まさか、私の娘が……、ううう……」 「一体、どうした訳で?」 「はい、その日は、家族で行楽地へ出掛けることになっておりました。娘は、朝早くから髪を結い、美しく化粧をして……、そして大勢の供を連れて門前に出たところ…… 「お父様、何だか胸が急に……」 「うん?ど、どうした」 「……」 「こ、これはいかん!家に引き返せ!医者だ!」 そのまま容体はどんどん悪化し、昼頃には、もう息を引き取ってしまいました。」 「なんと……」 「蓮如上人さま。我々のごとき仏道懈怠の者に、何とぞ人の世の無常を表すお文をお書きくださいませ。お願いでございます。」 「うむ。青木殿のこともあり、考えていたところじゃ。すぐに筆を執ろう。」 こうして五郎左衛門に書き与えられたのが、「白骨の章」であった。 白骨の章 (意訳) よく聞いてください。浮草のように不安な人生を、よくよく眺めてみれば、人の一生ほどはかないものはありません。生まれて大きくなり、やがて老いて死ぬ。まさに幻のような人生です。 いまだ千年、万年、生きたという人を、聞かないでしょう。人生長いようでも過ぎてしまえばアッという間の出来事。百歳まで生きる人はまれなのです。我や先、人や先、死ぬのは他人で、自分はまだまだ後だ、と思っているが、とんでもない間違いです。 覚如上人(かくにょしょうにん・親鸞聖人の曾孫)も仰せである。 「死の縁無量なり……病におかされて死する者もあり、剣にあたりて死する者もあり、水に溺れて死する者もあり、火に焼けて死する者あり……」 今日とも明日とも知れぬ、私たちの命。雨の日、木の枝から滴り落ちる滴のように、毎日、多くの人が後生へ旅立っているではありませんか。 朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なのです。朝、元気に出掛けた者が、事故や災害、突然の病などで、変わり果てて帰することも珍しくないでしょう。ひとたび無常の風に誘われれば、どんな人も二度と目を開かなくなる。一息切れたら、顔面は血の気を失い、桃李の肌色はなくなってしまう。 「お願い、もう一度笑って!お願い、もう一度笑って!目を開けておくれ!」 肉親や親戚が集まってどんなに泣き、悲しんでも、二度と生き返ってはきません。 泣いてばかりもおれないから、火葬場に送って荼毘に付せば、一つまみの白骨が残るだけ……。死者を哀れんでいる者も、やがて同じ運命をたどるのです。 老いも若きも、関係なく、いつ死ぬか分からぬのが、人間というものです。どうか皆さん、早く後生の一大事の解決を求め、阿弥陀仏に救い摂られ、仏恩報謝の念仏する身になってもらいたい。 (関連:蓮如上人の「白骨の章」 海老名五郎左衛門、また、その後、蓮如上人のお弟子たちも、このお文を拝読して感涙にむせんだ。そのほか、武家や公家にも広く伝わり、明日はなき無常の世を知らされ、山科本願寺へ聞法に訪れる人が多く現れたという。 この経緯は『御文来意鈔』に記されている。

聖徳太子
真の僧侶とは 親鸞聖人の「非僧非俗」の意味

(質問):親鸞聖人は「非僧非俗」、僧侶でもなければ、俗人でもないと言われたと聞きましたが、僧侶でもないとは、どういうことでしょうか。また、本当の僧侶とは、どんな人のことでしょうか。 (解答) 親鸞聖人を僧侶だと思っている人がほとんどですが、実は間違いなのです。 なぜかといえば、親鸞聖人は『教行信証』に、自らを「非僧非俗」とおっしゃって、「私は僧侶ではない」と書かれているからです。 今から300年ほど前、臨済宗の師蛮という人の書いた『本朝高僧伝』には、日本に仏教が伝来してからの、有名無名の日本の僧侶、1600人余りの名前をあげ、それらの伝記を載せていますが、親鸞聖人のお名前が載っていません。 どうして師蛮は、親鸞聖人のお名前を抜いたのでしょうか。親鸞聖人を知らなかったのでしょうか。 親鸞聖人のお名前を抜いたのは、親鸞聖人を知らなかったどころか、親鸞聖人が「非僧非俗」と仰っていたことをよく知っていたからです。 では、どうして親鸞聖人は、私は僧侶ではないと仰ったのでしょうか。 それは、当時の僧侶は、国家から認定されたもので、山にこもり、肉食妻帯してはならない戒律を守り、修行をしていました。 また、葬式、法事、墓番などが僧侶の仕事と思っている人もあるかもしれません。 親鸞聖人は、公然と肉食妻帯され、そのようなことは、なされなかったので、僧侶ではないと仰ったのです。 (関連:親鸞聖人は、なぜ公然と肉食妻帯なされたのですか?) そして、生きている今、本当の幸せになれる道を明らかにされたお釈迦さまの教えを、一人でも多くの人にお届けする為に、朝から晩まで、活動なされましたので、世俗の職業につく暇はありませんでした。それで、俗人でもないと言われたのでした。 親鸞聖人は「非僧非俗」、僧侶でもなければ、俗人でもないと仰って、一方で、親鸞は、真の僧侶であるとも仰っています。 親鸞聖人が日本のお釈迦さまのような方だと尊敬されている聖徳太子の十七条憲法には、以下のようにあります。 この世の中にも三つの宝物がある。それは、仏宝、法宝、僧宝で、大事にしなければならない。なぜならば、仏法には、すべての人が本当の幸せになれる道が明らかにされているからである。 仏とは、仏のさとりをひらかれた仏さま、お釈迦さまです。 法とは、仏さまが説かれた法、教えをいいます。 僧とは、その法を正しく伝える人のことです。 「さらに親鸞、珍らしき法をも弘めず、如来(お釈迦さま)の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」と常に仰っていた親鸞聖人は、私は、自分の考えではなく、お釈迦さまの教えを正しく伝えているのだから、真の僧侶であると強い自覚をもたれて、一人でも多くの人に、仏法を伝えられたのでした。

合戦
蓮如上人物語 朝倉孝景と日の善悪

合戦中のある武将の陣でのこと 「殿、今が打って出る絶好の機会でございまする。出陣のご下知を!」 「いや、今日は悪日じゃ。よしたほうがよい」 「な、何を言われます」 「これは占い師にも占わせておる。しかも今出撃したら北西に向かうことになる。それは悪い方角じゃ」 「し、しかし……」 「ん?」 「申し上げます!敵、背後より攻めてまいります」 「な、何!?」 「しまった。不意を打たれた」 「左右からも繰り出してまいりました!と、殿~!!」 「このままでは挟み打ちじゃ!ええい、引け、陣を引くのじゃ!」 応仁の乱で日本全国が混乱を極めていた。 その中、越前の領主である朝倉孝景は、吉崎御坊にたびたび参詣し、蓮如上人から教えを受けていた。 *越前……現在の福井県 *吉崎御坊……現在の福井県あわら市吉崎にあった聞法道場 朝倉孝景と蓮如上人のやりとり 「上人さま、いつも尊いご説法、まことにありがとうございます」 「孝景殿、戦続きの中、よく参られましたのう」 「越前国内の混乱も平定できれば、重ねて聞かせていただけますものを……。そこで上人さま。日頃から疑問に思っていることがあるのですが」 「ほう、それは何ですかな。ご存じのとおり、戦となれば、占いや縁起、吉凶を論じて出陣することばかりでございまするが……。仏法ではそのような行いを禁じていると聞きました。それは本当でしょうか」 「そのことですか。日が善いとか悪いとか、仏法では吉日良辰を選ぶことは決してないのですよ」 こうして、『観無量寿経』に有名な王舎城の悲劇を、蓮如上人は説かれている。 お釈迦様ご存命中に、インド・マガダ国の王舎城で起きた史実である。 ビンバシャラ王とその后・韋提希夫人(いだいけぶにん)が、生んだわが子・アジャセによって牢獄に閉じ込められ、この世の地獄に苦しめられる。 しかしお釈迦様のご教導により、韋提希夫人は仏法を聞いて、本当の幸せに救い摂られるのである。 『蓮如尊師行状記』によれば、仏教史上最大の、この悲劇を明らかにされたあと、蓮如上人は次のように説かれている。 父を殺害し、母を牢に監禁した五逆罪の報いで、アジャセは全身に悪性の腫れ物が生じ 耐え難い苦痛に責められていた。いろいろな霊薬を試してみるが、何の効きめもない。 *五逆罪……仏教で教えられる親殺しなどの五つの恐ろしい罪 「ううう……」 医師の耆婆(ぎば)が、諌めて言った 「アジャセ王様、この腫れ物は、五逆罪の報いですから、どんな薬も効かないでしょう」 「ど、どうすればよいのじゃ」 「お釈迦様の元へ行きましょう。仏のお力によらねば、治すことはできません」 「うむ、そうか。しかし、今日は悪日だ。明日行こう」 「な、何を言われます、アジャセ王様。仏法は、日の善悪を選ぶことなど絶対ありません。今、王は重病なのです。仏は名医と同じです。瀕死の病人が医者へ行くのに日の善悪を選びましょうか。 「……」 「ここに栴檀(せんだん)という薬木と伊蘭(いらん)という毒木があるとします。この二つの木を焼いても炎の姿は変わりません。悪日も吉日もこれと同じです。日に善し悪しなどないのです。同じ日でも、嫌なことがあった人には悪日、よいことがあった人には吉日になるのです」 こうして、アジャセは耆婆に連れられ、ついにお釈迦様の元へ赴いて、ご教導にあずかり、心身ともに救われたと、『涅槃経』に説かれている。 アジャセ王は、その後亡き父にならって仏法を守護する王となり、教団発展に大きく寄与するのである。 朝倉孝景 「なるほど。よい日になるか、悪い日になるか、その人の心掛け次第なのですね」 蓮如上人 「仏教の根幹は因果の道理。まいたタネは必ず生える。まかぬタネは絶対に生えぬ。この世の全ての果報はその人その人の過去の種まきによって決まるのじゃ。占いや祭り事によって我々の運命が決まるのでは決してないのですよ。」 (関連:カレンダーの「仏滅」は仏教と関係があるのでしょうか。) 朝倉孝景は、蓮如上人からご教導を受けたあと、十七箇条の家訓を制定している。有名な 「朝倉孝景条々」である 中でも注目されているのが、日の善悪を否定しているところである これは戦国乱世の大名にとって画期的なことであった。 孝景は迷信を排除し、子孫が迷わぬよう条文をしたためたと思われる。 「一切の人民を仏道に勧め入れるを本意とすべし」と、国主としての心構えを後継者に語ったというから、お釈迦様教団の発展に尽くしたビンバシャラ王やアジャセ王にならおうとしたのであろう。

蓮如上人と一休  ありのままに見る
蓮如上人と一休 ありのままに見る

古代ギリシャの時代から「汝自身を知れ」と、自分自身を見つめることは大切であると言われています。 “自分のことは、自分が一番よく分かっているから見つめる必要はない”と思いがちですが、 「知るとのみ 思いながらに 何よりも 知られぬものは 己なりけり」 (いちばん知っているようで、最も分からないのが自分自身である) の歌に、思い当たる節が多々あるのではないでしょうか。 なぜ私に「私」が分からないのかというと、近すぎるからです。 私たちの目は、いろいろなものを見ることができます。今、目の前のパソコン、スマートフォンも、夜空に映える名月も、近いものも、遠いものも、よく見えます。ところが、目のすぐ隣にある眉や顔が、直接見られない。あまりに近すぎるからです。 「目、目を見ることあたわず。刀、刀を切ることあたわず」 どんなに視力のいい人でも、自分の目を直接見ることはできない。どんな名刀も、その刀自身を斬ることは不可能という意味です。 はるか宇宙の構造を解明した科学者も、自分の顔についた飯粒には気づかないようなもので、どんなに頭のいい人でも、本当の自分はなかなか分からないものなのです。 蓮如上人と一休のやりとりに、こんな話があります。 時は、室町時代。七曲がり半に曲がった一本の松の木の前に人だかりができていた。そこへ蓮如上人が通りかかられる。 「一体、何の騒ぎか」 「これはこれは、蓮如さま。実は、あの一休和尚が“この松を真っすぐに見た者には、金一貫文を与える”と、立て札立てたので、賞金目当てに集まっているのです」 なるほど、ある者は松の木にハシゴをかけ、ある人は寝転がり、またある人は逆立ちしたりと、それぞれに工夫を凝らして松を見ている。だが、真っすぐに見たという者がない。 事情を聞かれた上人は、 「また一休のいたずらか。わしは真っすぐに見たから、一貫文をもらってこよう」 と事もなげに言われたので、一同仰天した。 「おい、一休いるか」 気心知れた仲だから、呼びかけも屈託ない。 「あの松の木、真っすぐに見たから、一貫文もらいに来たぞ」 出てきた一休さん、 「ああ、蓮如か、おまえはあかん。立て札の裏を見てこい」 と答える。実は立て札の裏には、“蓮如は除く”と書かれてあったのだ。 戻られた蓮如上人に気づいた人たちが、 「蓮如さま、一体どうやって真っすぐに見られたのですか?」 と身をのり出して尋ねると、蓮如上人はこう答えられた。 「曲がった松を、『なんと曲がった松じゃのー』と見るのが、真っすぐな見方だ。曲がった松を真っすぐな松と見ようとするのは曲がった見方。黒いものは黒。白いものは白と見よ。ありのままに見るのが正しい見方なのだ」 「なるほど!さすがは蓮如さま」 一同、感服したという。 近すぎる自己を見るにはどうすればいいのか。 私たちは鏡を使います。 古来、自己を知る「鏡」に、「他人鏡」「自分鏡」「法鏡」の3枚あると教えられています。 鏡で大事なことは、私の姿を正しく映すかどうか。実際より太って見えたり、痩せすぎだったり、有るものが映らなかったり、無いものを映す鏡では、困ってしまいます。 果たしてこれら3枚の鏡は、「本当の私」を映し出してくれる鏡なのか、詳しく検証してみましょう。 他人鏡 ──他人の目に映る私 第1は「他人鏡」。これは他人の目に映る私の姿です。 日々「他人鏡」に少しでもよく映るよう努力しているのは、それだけこの鏡に大きな信頼を寄せているからです。皆、他人の言葉に一喜一憂し、振り回され、きゅうきゅうとしていますが、果たして他人は私を正しく評価しているのでしょうか。   こんな話を通して、考えてみましょう。 ある奥さんが帰宅すると、泥棒とバッタリ鉢合わせになった。そこへタイミングよく、巡回中の警察官が通りかかる。 「助かった、地獄で仏とはこのことだわ。なんて頼もしいお巡りさん」 と奥さん、危機一髪、救われた。 ところが翌日、その奥さんが、路上に駐車していた車に乗ろうとすると、違反の貼り紙が。 取り締まっていたのは、昨日助けてくれた警察官である。だが、「見逃して」と幾ら頼んでも、警官は首を横に振るばかり。 「融通の利かない人ね。キライ!」 と腹を立てたのであった。 この警察官は、一日で人格が変わったわけではありません。奥さんの「都合」で評価がガラリと変わったのです。 「正も邪も 勝手に決める わが都合」といわれます。誰もが、その時々の都合で他人を評価しますから、同じ人間が善人にも悪人にもなるのです。このようなことは茶飯事ですから、禅僧・一休は、「今日ほめて 明日悪くいう 人の口 泣くも笑うも うその世の中」と笑っています。 実際は、「豚は褒められても豚、ライオンはそしられてもライオン」で、人の価値はそう簡単に変わるものではないはずです。 見る人の都合でコロコロ変わる「他人鏡」が、変わらぬ本当の私を映す鏡でないことは、認めざるをえないでしょう。 もちろん、「他人鏡(他人の評価)など、どうでもいい」ということではありません。他人の意見に耳を傾け、欠点を克服する努力は大事ですから、例えば同じことを3人以上から指摘されたら、改めるよう努めていきたいものです。 自分鏡 ──自己の良心 3枚の鏡の第2は「自分鏡」。道徳的良心であり、自己反省のことです。 「一日三省」というように、自己を振り返ることは大切です。反省がなければ進歩も向上もなく、同じ失敗を繰り返すばかりでしょう。 しかし、いかに厳しくしようと努めても、自己反省は往々にして自分かわいい「欲目」によって甘くなるものです。 それは生んで育てたわが子にもしかり。万引きをした子供の親に連絡すると、第一声は決まって「うちの子に限って……」だそうです。本当はわが子が首謀者であっても、親はそう思いたくないし、思えない。「自分の」子だからです。 子供にさえ欲目を離れられないのだから、わが身となればなおさらで、鏡の前で増えた白髪に一時は驚いても、「年下のあの人よりはマシ」と他人を引っ張ってきて上に立つ。私は顔の色は黒いけれど鼻が高いから。色も黒いし鼻も低いが口が小さいから。口は大きいけれども色白だ。しまいには、「何にもできんが、素直な奴と皆から言われている」 と自分のことは何でも美化してしまう。うぬぼれ心が私たちの本性だからです。 「自分鏡」も、自己の真実を歪めて見せる鏡にほかなりません。 法鏡 ──真実の自己を映す 他人鏡は都合で曲がり、自分鏡は欲目で曲がる。一体、「ありのままの私」を映してくれる真実の鏡はどこにあるのでしょうか?   お釈迦様は「仏教は法鏡なり。汝らに法鏡を授ける」と遺言なされ、私たちに、真実の姿を映す鏡を与えてくださいました。 「法」とは、真実であり、三世十方を貫くもの。三世とは、過去・現在・未来で「いつでも」、十方とは、東西南北上下四維で「どこでも」ということ。時代や場所に左右されず、いつでもどこでも変わらないものだけを、法といいます。 *四維……北東、北西、南東、南西 仏法を聞くとは、法鏡に近づくことですから、仏法を聞けば、今まで気づかなかった自己が見えてきます。 もちろん、鏡から離れていては分かりません。 肉体を映す鏡でも、遠目には“まんざらでもない”とうぬぼれていますが、近づくにつれて“あら、ここにシワがある。こんなところにアザが。随分白髪が増えたなあ”と、実態に嘆く。同様に、法鏡に近づくほど“こんなわが身であったのか”と、思いも寄らぬ自己の姿に驚くのです。

報恩講
報恩講とはどんなこと?

(質問):「報恩講(ほうおんこう)」という行事があると聞きますが、どんな行事でしょうか。 (解答) 毎年、全国各地で「報恩講」が営まれます。報恩講とは「恩に報いる集まり」ということで、親鸞聖人のご恩に報いる集まりのことです。 浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、弘長2年(1262)11月28日に90歳でお亡くなりになりましたので、その11月を中心に報恩講は開催されています。 報恩講は、親鸞聖人のご恩に報いる集まりなので、親の恩に報いるには、親の喜ぶことをするように、親鸞聖人のご恩に報いる為には、親鸞聖人の喜ばれることをすることが大事です。まず、親鸞聖人の喜ばれることは何かを知り、それを実行するのが、報恩講です。 親鸞聖人の教えを伝えられた蓮如上人は『御正忌の御文章』にこう仰っています。 この御正忌(ごしょうき)のうちに参詣をいたし、志を運び、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)をなさんと思いて、聖人(しょうにん)の御前に参らん人の中に於て、信心を獲得せしめたる人もあるべし、また不信心の輩もあるべし。以ての外の大事なり。 *御正忌……報恩講のこと *御文章……蓮如上人のお手紙。御文(おふみ)ともいう (意訳) 報恩講に参詣し、親鸞聖人のご恩に報いようと集まられた皆さんの中には、信心獲得している人もありましょうが、まだ信心獲得していない人もおありでありましょう。信心獲得していないほど、私たちの一大事はありません。 信心獲得とは「しんじんかくとく」ではなく「しんじんぎゃくとく」と読みます。信心獲得することが、親鸞聖人が一番喜ばれることだから、早く信心獲得しなさいよと、蓮如上人は教えられています。 信心獲得とは、どんなことかと言いますと、親鸞聖人の教えを聞かせて頂いて、本当の幸せになることをいいます。 煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ)、火宅無常の世界(かたくむじょうのせかい)は、万のこと皆もって空事・たわごと・真実あること無きに、ただ念仏のみぞまことにて在します。 (歎異抄) 欲、怒り、愚痴一杯の人間(煩悩具足の凡夫)が、火のついた家にいるような不安一杯の世界(火宅無常の世界)に生きている。それに一切の例外はありません。そんな世界に住んでいる人間が、ただ一つ、本当の幸せ(念仏)になれる道があるのですよ。 親鸞聖人が教えられている本当の幸せ(信心獲得)とは、どんな幸せなのか。親鸞聖人の教えをよく聞き、本当の幸せになるのが、親鸞聖人の一番喜ばれることであり、報恩講が行われる目的です。 他の御文章にもあります。 今月28日の報恩講は、昔年(しゃくねん)よりの流例(るれい)たり。これによりて、近国・遠国の門葉(もんよう)、報恩謝徳の懇志を運ぶところなり。二六時中(にろくじちゅう)の称名念仏、今古退転(こんこたいてん)なし。これ即ち、開山聖人の法流、一天四海(いってんしかい)の勧化、比類なきが致すところなり。この故に、七昼夜の時節に相当り、不法不信の根機に於ては、往生浄土の信心獲得せしむべきものなり。 報恩講に、本当の幸せになろうと、全国から多くの人が集まって、親鸞聖人の教えを聞いている様子が彷彿といたします。 報恩講をご縁に、親鸞聖人の教えを聞かせて頂きましょう。

歎異抄
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の意味

(質問):「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」、聞いたことがあるのですが、どんな意味でしょうか。 (解答) 「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」、これは歎異抄3章のお言葉です。 歎異抄とは 歎異抄は、仏教の本で、一番読まれています。学校の教科書にも出ています。 どうして歎異抄が知られているかというと、有名な親鸞聖人が言われたことがそのまま書かれているので、親鸞聖人の教えを知りたい人がまず読みます。また、大変な名文で書かれていますので、歎異抄は親しみ知られています。そんな有名な歎異抄ですが、親鸞聖人の書かれたものではなく、著者不明です。 歎異抄の構成 歎異抄は1章から18章まであります。1章から10章までは、親鸞聖人が、ある時、ある人に、仰ったことが、そのまま書かれています。 11章から18章までは、親鸞聖人がお亡くなりになった後、親鸞聖人が教えられなかったことを、あたかも親鸞聖人が教えられたと言いふらす者が現れ、それを正されたものです。ですから、「異なるを歎く」という歎異抄の名前からいえば、11章から18章がその部分にあたります。 1章から18章の中で多くの人に知られているのが3章です。 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」しかるを世の人つねにいわく「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」この條、一旦、その謂あるににたれども、本願他力の意趣に背けり。その故は、自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心、かけたる間、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力の心を廻して、他力をたのみ奉れば、真実報土の往生を遂ぐるなり。煩悩具足の我等は、いづれの行にても、生死を離るること、あるべからざるを憐れみたまいて、願をおこしたまう本意、悪人成仏の為なれば、他力をたのみ奉る悪人、もっとも往生の正因なり。よって「善人だにこそ、往生すれ。まして、悪人は」と仰せ候いき。 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」 往生とは、本当の幸せになることです。善人でさえ幸せになれるのだから、悪人はなおさら幸せになれる。 多くの人が驚きます。「悪人はなおさら幸せになれる」のなら、悪いことをやった方がいいのかと疑問も出てきます。 このお言葉の後には しかるを世の人、つねに曰く「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」 世の中の常識は「善人はなおさら幸せになれる」のだと続きますので、常識知らずで言われていることではないことはハッキリします。ですから「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は、何か深いことを言われているのではないかと思います。 「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」この條、一旦、その謂あるににたれども、本願他力の意趣に背けり。 「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」、それが正しいように思いますが、本願他力の心に反しています。 「悪人なお往生す。いかにいわんや善人をや」が本願他力の心に反しているということは、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」は本願他力の心であるということです。ということは、本願他力の心がわかれば、「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」の意味がわかるということです。 本願他力とは、他力本願とも言われます。 (関連:「他力本願」の誤解と、ほんとうの意味とは?) 本願他力とは、阿弥陀仏の本願のことであり、仏教は、これ一つ、教えられていると、親鸞聖人は明らかにされています。 仏教、阿弥陀仏の本願の人間観と、法律、倫理道徳の人間観は違います。仏教で、善人、悪人とは、どんな人のことなのか。それがわかりますと、「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の意味がスッキリわかります。 (続く)

恩徳讃
恩徳讃の意味

(質問):浄土真宗の盛んな地域、また、浄土真宗の学校では、よく恩徳讃(おんどくさん)を耳にしますが、どんな意味でしょうか。 (解答) 恩徳讃とは、親鸞聖人が『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』に書かれているお言葉で、節をつけて歌われ、昔から浄土真宗の盛んな地域では親しまれています。   如来大悲の恩徳(にょらいだいひのおんどく)は、 身を粉にしても報ずべし(ほうずべし) 師主知識の恩徳(ししゅちしきのおんどく)も、 骨を砕きても謝すべし(しゃすべし) 恩徳讃の恩徳とは、恩も徳も同じ意味で、ご恩のことです。恩のことを歌の形で教えられたのが、恩徳讃です。 私たちは、多くの方のおかげで、生きていくことができます。誰に恩を受けていますかと聞かれたら、まずは親、そして、友達、学校の先生など、出てくると思います。 仏教では、人間の価値(どんな人が立派な人間か)は、「知恩・感恩・報恩」の気持ちで決まると教えられています。 ・知恩(ちおん)  受けている恩を知る ・感恩(かんおん) 恩に感謝する ・報恩(ほうおん) 恩に報いようとする その反対が「忘恩・背恩・逆恩」です。 ・忘恩(ぼうおん) 受けている恩を流し、忘れる ・背恩(はいおん) 恩に背く ・逆恩(ぎゃくおん)恩を怨で返す 「知恩・感恩・報恩」の気持ちの強い人と「忘恩・背恩・逆恩」の人と、どちらが信用できるでしょうか。 お釈迦さまは、決して、恩知らずの人間になってはならない、恩を知らざる者は犬や猫、動物以下であると厳しく教えられています。 私たちは、いろいろな人から恩を受けて生きていますが、恩徳讃では、どなたからの恩について教えられているのかというと、如来大悲(にょらいだいひ)と師主知識(ししゅちしき)のご恩です。 如来大悲とは、如来とは阿弥陀如来、大悲とは大慈悲ですから、阿弥陀如来の大慈悲のことです。 (関連:お釈迦さまと阿弥陀如来は、同じ仏さまですか?) 阿弥陀如来の大慈悲を教えられたお釈迦さまの教えを聞いて、本当の幸せになった人は、如来大悲に、深くご恩を感じるようになります。それが「身を粉にしても報ずべし」です。 身を粉にしたら死んでしまいます。それほど深く如来大悲の恩徳を知らされ、知恩、感恩、報恩の幸せな人生を歩むようになります。 師主知識とは、師主も知識も同じ意味で、仏教の先生のことを言います。どれだけ素晴らしいものがあったとしても、それを伝えてくれる人がいなければ、知ることはできません。 素晴らしいものを知ることができれば、それを伝えてくれた人に感謝の心が起きてきます。如来大悲を伝えて下された仏教の先生のご恩も深く知らされ、「骨を砕きても謝すべし」と言われています。これも、骨を砕いたら死んでしまいます。それほど師主知識の恩徳が知らされるのです。 親鸞聖人の教えを聞かれると、どうしてそれほどの心になれるのか、わかりますので、聞いて頂きたいと思います。 浄土真宗では、本当の幸せになった人はその喜びから、まだなっていない人は、早くそのような心になれるようにと思い、昔から恩徳讃が歌われているのです。

往生
本当の往生とは

(質問):往生とはどんな意味でしょうか? (解答) 往生という言葉は仏教から出た言葉ですが、どんな時に使われているでしょうか。 「帰省ラッシュで道が渋滞して往生した」 「突然雨が降ってきて往生しました」 「いい加減に往生しろ」 「今朝、隣のお婆さん、往生したそうだ」 往生といえば、 「困る」「あきらめる」「死ぬ」という意味で使われています。 「弁慶の立ち往生」を知っておられる方もあると思います。 弁慶は源義経を守る為に、立ったまま死にました。 これを「立ち往生」と言われるのは「往生」とは「死ぬ」ことだからです。 平均寿命よりも長生きされて、亡くなった方には「大往生」と大の字がつけられていますが、これも「往生」とは「死ぬ」という意味です。 このように、「往生」とは「困る」「あきらめる」「死ぬ」という意味で使われています。 実は、仏教でいわれる往生は、そういう意味ではないのです。  往生 = 往って生まれる 往生とは、「往」は往く、「生」は生まれるということで、往って生まれるという意味です。死んで極楽へ往って、生まれることを往生といいます。 親鸞聖人といえば、念仏を称えたら死んだら極楽へ往けると教えられた方と思っている人がありますが、それは、誤解なのです。 誰でも彼でも死んだら極楽へ往けるのではない。 現在、生きている時に、阿弥陀仏のお力によって、暗い心(仏教では無明の闇という)が破られて、明るい心になった人だけが、死んだら阿弥陀仏の極楽へ往って、仏に生まれることができるのだよと教えられたのが、親鸞聖人です。 本当の往生を、親鸞聖人が友達と争いまでなされて、明らかにされたのが、 体失・不体失往生の諍論(たいしつ・ふたいしつおうじょうのじょうろん)です。 詳しいことは、アニメーション『世界の光・親鸞聖人』第2巻に描かれています。

石山本願寺
本願寺に東と西があるのはどうしてですか?

(質問):同じ親鸞聖人や蓮如上人の教えなのに、なぜ、浄土真宗の本願寺が西と東に分かれているのでしょうか。 (解答) 東・西本願寺に分かれているのはどうしてか。それは、石山戦争にまで歴史はさかのぼります。 石山戦争とは、戦国時代、織田信長と、石山本願寺との戦いです。 石山本願寺は、今の大阪城のところにあり、石山戦争後、豊臣秀吉が大阪城を建てました。 織田信長は、本願寺と石山戦争を10年以上続け、正親町天皇を仲裁にたてて和睦を求めてきました。 その時、和睦するか、抗戦するかで、本願寺内の議論が2つに分かれました。これが東・西本願寺に分かれるきっかけとなります。 当時の本願寺のトップ、顕如上人と三男の准如は、和睦を、 長男の教如は、籠城して徹底抗戦を主張し、意見は厳しく対立しました。 顕如上人は、信長と和睦をすることを決め、石山本願寺を明け渡し、三男の准如と共に、和歌山の鷺森別院へと移ったのです。 信長は、和睦はしたものの、本願寺滅亡を画策していましたが、本能寺の変で、明智光秀に殺され、本願寺は、滅亡から逃れることができました。 その後も、顕如上人と教如の親子の溝は埋まることなく、深まるばかりでしたので、顕如上人は、三男の准如へ本願寺の宗主職をゆずったのです。これが今日の西本願寺となります。 その後、日本統一を果たした秀吉は、敬遠主義で、一生終わりましたが、徳川家康は、巨大な本願寺の分断を謀略し、不満のたまっていた教如に寺地を寄進して、東本願寺を別に建てさせました。 これより本願寺は2つに分かれて、東・西本願寺となったのです。 蓮如上人の時代には、西も東もありませんでした。 親鸞聖人の教えにも、西も東もありません。 親鸞聖人、蓮如上人が、どのようなことを教えられたのか、知ることが、まず、大事ではないでしょうか。

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親鸞聖人は、葬式、法事を教えられたのでしょうか?

(質問):「平生業成」とは、何ですか? (解答) 仏教と聞いたら、最初に何を思い浮かべるでしょうか。 葬式、法事、墓など、死者儀礼を思い浮かべる人が多いと思います。 仏教で「平生業成」という言葉があります。 「平生業成(へいぜいごうじょう)」とは、親鸞聖人の教えを漢字4字で表した、いわば「一枚看板」とされている言葉です。 看板は、その店が何を売っているかを示しています。 例えば「八百屋」という看板があれば、野菜が売られているのだな、「タバコ店」とあれば、タバコを売っているのだなと分かります。 もし魚屋さんに「タバコ店」という看板が出ていたら、どうなるでしょうか。タバコを買いに来た人は、タバコがありませんから腹を立てて帰っていきますし、魚が欲しい人はだれも来ませんから、その店は倒産してしまうでしょう。 ですから、看板は非常に大事なものだと分かります。 「平生業成」の漢字4字は、親鸞聖人の教えを知るのに、 大変大切な言葉なのです。 (質問):「平生業成」とはどういう意味ですか? (解答) 平生業成の「平生」とは、死んだ後ではない、生きている現在ということ。 「業」とは、卒業とか事業の業の字を書いて、仏教では「ごう」と読みます。 親鸞聖人は、人生の大事業のことを「業」と言われています。 大事業といっても、秀吉や家康の天下統一の事業や、松下幸之助氏がやった事業などではありません。 人生の大事業です。 何のために生まれてきたのか、何のために生きているのか、苦しくともなぜ生きねばならないのか、という「人生の目的」のことです。 その答えを、親鸞聖人はハッキリと示されています。 最後の「成」とは、完成する、達成するということですから、「平生業成」とは、まさしく、「人生の目的が、現在に完成する」ということです。 親鸞聖人ほど、人生の目的と、その完成のあることを強調された方はありません。 「人間に生まれたからには、これ一つ果たさなければならない大事業がある。それは現在、完成できる。だから早く完成しなさいよ」と生涯教えられたのが親鸞聖人ですから、聖人の教えを「平生業成」というのです。 何のために生まれてきたのか、 何のために生きているのか、 苦しくともなぜ生きねばならないのか、 「人生の目的」を、親鸞聖人は 「難思の弘誓は難度の海を度する大船」と 人生を海に例えて、明らかにされています。

他力本願
「他力本願」の誤解と、本当の意味とは?

(質問):「他力本願」という言葉をよく聞きますが、「他力」とは、他人まかせのことですか? (解答) 「他力」とは、他人の力を略して「他力」というと思っている人が多いと思います。 実は、「他力」の語源は、仏教にあるのです。 仏教で「他力」とはどんな意味か、わかりますと、他力本願の意味もわかります。 では、仏教で他力とはどんな意味なのでしょうか。親鸞聖人はこう書かれています。 「他力」と言うは如来の本願力なり。(教行信証) 如来とは、ここでは、阿弥陀如来のことです。 如来の本願力とは、阿弥陀如来の本願力のことで、 これを他力とも、他力本願ともいいます。 それが今日では他人に依存することを他力本願といわれるようになりました。 他にも仏教を語源にしている言葉がたくさんあります。 (関連:「自業自得」の正しい意味は?) (関連:ありがとうの語源は仏教) (質問):阿弥陀如来の本願力とは、どんなお力ですか? (解答) 阿弥陀如来につきましては、「お釈迦さまと阿弥陀仏は、同じ仏さまですか?」を読まれるとわかります。 本願力とは、本願の力ということです。 本願とは、本当の願い、願望をいいます。 人それぞれ、いろいろな願いをもって、生きています。 志望校に入りたい、あの会社に入社したい、あの人と付き合いたい、結婚願望、あの場所に一度行ってみたい、マイホームが欲しい、どうしてもあれが欲しい・・・・ 何かあると願掛けする人も多いです。 「今年一年健康でありますように」 「今年こそ夢がかないますように」 その中で本当の願いと言われれば、他のことができなくてもこれ一つ叶えばいい、一番の願いをいいます。 私たちの願いを振り返ってみますと、自分のことや、自分の家族のことばかりではないでしょうか。 そんな中、社会の為、国の為にと、自分のことを後回しにして、力を尽くしておられる方を見ますと、素晴らしい願いだなと感心します。 では、仏さまは、どんな本願、願いをもっておられるのでしょうか。 すべての人を本当の幸せにしたいという願いです。 その願いに生き抜かれる方が仏さまなのです。 では、すべての人を本当の幸せにする阿弥陀如来の本願の力とはどんなお力か、 これも親鸞聖人は教えられています。 無碍光如来(阿弥陀如来)の光明と かの光明智相とは 無明長夜の闇を破し 衆生の志願を満てたまう (親鸞聖人) 『無明長夜の闇(むみょうちょうやのやみ)を破し』 闇を破り、 『衆生の志願(しゅじょうのしがん)を満てたまう』 願いを満たすということで、 これを略して、「破闇満願(はあんまんがん)」といわれます。 「無明長夜の闇」とは、私たちの心にある、暗い心のことです。 現在の日本は、昔に比べて生活は大変便利になりました。 世界の中でも、物質面で非常に恵まれています。 しかし、自殺者は、毎年2万人を超え、将来に不安を抱えている人がたくさんいます。 どんなに物やお金に恵まれても、心から満足できない原因は、この暗い心にあると、仏教では教えられています。 この暗い心がなくなり(無明長夜の闇を破し) 本当の幸せになった(衆生の志願を満てたまう)ことを破闇満願といい、破闇満願させる力が、阿弥陀如来の本願力であり、他力本願、他力なのです。 「無明長夜の闇」とは、どんな心か。 「無明の闇」ともいわれます。 親鸞聖人は、主著『教行信証』の冒頭に 難思の弘誓は難度の海を度する大船 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり と教えられています。   (質問)自然の恵みに感謝する時に他力と使われるのを聞いたことがありますが? (解答) 自分の力以外を他力と思っていますと、太陽の働きや雨や風や空気、その他自然の働きも他力と使われることがあります。 自然の力や人々の協力の恵みに感謝の気持ちを持つことは大切ですが、仏教の本来の意味からいうと、他力とは言わないのです。 私たちが日常で使っている言葉に、仏教を語源としているものがたくさんあります。 (関連:「自業自得」の正しい意味は?) (関連:ありがとうの語源は仏教)

阿弥陀如来像
お釈迦さまと阿弥陀如来は、同じ仏さまですか?

(質問):お釈迦さまと阿弥陀仏(阿弥陀如来)は、同じ仏さまですか? (解答) 「仏といったら、呼び方が違うだけで、皆同じだろう」と思っている人が、少なくありませんが、お釈迦さま(釈迦牟尼仏)と阿弥陀仏とは、全く違う仏さまです。 お釈迦さまは、地球上でただお一人、仏のさとりを開かれた方ですから、「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。 そのお釈迦さまが、「私の尊い先生を紹介しましょう」と、私たちに教えてくだされたのが、阿弥陀仏(弥陀)といわれる仏さまなのです。 (質問):釈迦と弥陀の関係を、詳しく教えてください。 (解答) 親鸞聖人の教えを伝えられた蓮如上人は、わかりやすく教えられています。 ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師・本仏なり。 (蓮如上人『御文章(御文)』2帖目8通) 阿弥陀仏は、十方諸仏の本師本仏と教えられています。 「十方」とは、仏教で大宇宙のこと。 この大宇宙には、地球のようなものが無数に存在します。地球は大宇宙の中の塵にすぎません。 ですから、地球に釈迦が現れたように、大宇宙には数え切れないほどの仏が現れていると、お釈迦さまは説かれています。それらの仏を、「十方諸仏」といわれます。例えば、大日如来や薬師如来、奈良の大仏・ビルシャナ如来など皆、十方諸仏の中の一仏です。 次に「本師本仏」とは、師匠、先生という意味ですから、阿弥陀仏は、あらゆる仏の先生であるということです。 では、お釈迦さまとの関係はどうなるでしょうか。 地球では、釈迦以上に偉い方はありませんが、大宇宙からいえば、釈迦も十方諸仏の一人ですから、弥陀と釈迦の関係は、師匠と弟子、先生と生徒に当たります。 阿弥陀仏が「本師本仏」といわれる理由 阿弥陀仏が大宇宙のすべての仏から「本師本仏」と尊敬されるのは 他の仏にない優れた力を持っておられるからです。 それは、どんな力なのか。親鸞聖人は教えられています。 無明の闇を破するゆえ 智恵光仏(阿弥陀仏)となづけたり 一切諸仏三乗衆    ともに嘆誉したまえり 無明の闇を破る力であると教えられています。 仏教では「他力」と言います。 無明の闇とは、私たちの心にある暗い心で、 親鸞聖人は、すべての苦しみの根元と教えられ、 無明の闇が破れると、本当の幸せになれると教えられています。 親鸞聖人は、主著『教行信証』の冒頭に 『難思の弘誓は難度の海を度する大船 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり』 と教えられています。 (関連:「他力本願」の誤解と、本当の意味とは?) 仏典のお言葉 無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明は最尊第一にして 諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり  (大無量寿経) 諸仏の中の王なり 光明の中の極尊なり 光明の中の最明無極なり (大阿弥陀経)

映画『なぜ生きる』~蓮如上人と吉崎炎上~より
蓮如上人とは?

(質問):浄土真宗で最も尊敬されるお方は? (解答) 浄土真宗の教えは、親鸞聖人によって大成され、3代目覚如上人によって要約され、8代目蓮如上人によって全国に伝えられました。 浄土真宗ではこれら三方を善知識(真実の仏教の先生)と仰ぎ、正しい教え、正しい信心かどうかは、常にこれら三方のお言葉を、ものさしとしています。 (質問):覚如上人はどんな方ですか? (解答) 覚如上人は親鸞聖人の曽孫に当たり、親鸞聖人から如信(聖人のお孫さん)、その如信上人から面授口決されました。 面授口決とは、師から直接教えを受けることであり、覚如上人が親鸞聖人からじかに教えを聞かれた方といわれるのはそのためです。 主な著書に「改邪鈔(がいじゃしょう)」「口伝鈔(くでんしょう)」「執持鈔(しゅうじしょう)」「御伝鈔(ごでんしょう)」などがあり、名文家として知られています。 (質問):蓮如上人はどんな方ですか? (解答) 8代目蓮如上人は、親鸞聖人から約200年後のお方です。 親鸞聖人の教えを、正確に、多くの人に伝えられた方として、蓮如上人の右に出る方は今日までありません。 わずか一代で、全国津々浦々に親鸞聖人の教えを徹底されたので、今日、真宗中興の祖とたたえられています。 3頭の俊馬を乗り継がれ、北陸、関東、東北と、精力的に布教を展開されました。その広範囲に及ぶご活躍を知れば、仏教の大学者でもあった上人に、なぜか著書が少ない理由もうなずけるでしょう。 上人のみ足にはワラジの緒が食い込み、晩年、あとがクッキリ残っていたと伝えられています。 (質問):なぜ蓮如上人の時代に全国に広まったのですか? (解答) まず挙げられるのが「御文章」(「御文」ともいう)です。「文」とあるように、「御文章」は蓮如上人がご門徒にあてて出されたお手紙です。 親鸞聖人の教えを仮名交じりでかみ砕いて書かれた「御文章」は「凡夫往生の手鏡」といわれます。私たちが破闇満願する(関連:「他力本願」の誤解と、本当の意味とは?)のに大切な要はすべて書いてあるから、手鏡のように常に手元に置いて読みなさいよ、ということです。 ですから、朝晩の勤行で親鸞聖人の「正信偈」とともに拝読されてきました。 人から人へ次々に書写され、親鸞聖人のみ教えは、燎原の火のごとく全国に普及したのです。 (質問):「御文章」について詳しく教えてください。 (解答) 蓮如上人がお亡くなりになった後、孫の円如法師が全国を回りお手紙を集め、5帖80通の「御文」に編纂されました。 1帖から4帖目までは年代順に、5帖目は執筆時期がハッキリしないものをまとめられています。それ以外に「帖外御文」があります。 数ある「御文」の中でも特に有名なのは「白骨の御文章」でしょう。 (質問):「白骨の御文章」について詳しく教えてください。 (解答) 『それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに』 で始まる文章は屈指の名文といわれ、葬式などで読まれますから 浄土真宗以外の人にも広く知られています。 国民的作家、司馬遼太郎氏は、こう言っています。 「明治以前の文章家のなかで、平易達意の名文家は、 筆者不明の『歎異鈔』と室町末期に本願寺を中興した蓮如上人(白骨の御文章)と 宮本武蔵(五輪之書)のほかにはみられない」(真説宮本武蔵)」 (出典)司馬遼太郎『真説宮本武蔵』講談社文庫 (関連:蓮如上人の「白骨の章」) (質問):蓮如上人は、どんなことを教えられたのか? 蓮如上人が教えられたことは、親鸞聖人の教え以外にありません。 映画『なぜ生きる』~蓮如上人と吉崎炎上~ http://nazeikiru-eiga.com/ この映画では、蓮如上人が、親鸞聖人の主著『教行信証』の冒頭のお言葉を わかりやすく説明されています。 (関連:親鸞聖人の主著、国宝『教行信証』) 「『教行信証』全巻には大歓喜の声がひびきわたっている」 と文芸評論家の亀井勝一郎氏は、言っています。 「釣りバカ日誌」「マルサの女」「大病人」などの映画で活躍し、 親鸞聖人の映画「白い道」で監督を行った、三國連太郎氏はこう言っています。 「私が一番感動するのは『教行信証』の冒頭の言葉です」 その冒頭のお言葉が 『難思の弘誓は難度の海を度する大船』 です。 このお言葉は、あなたに大切なことを伝えられている 親鸞聖人からのメッセージなのです。

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『正信偈(しょうしんげ)』には何が書かれていますか?

(質問):正信偈(しょうしんげ)』には何が書かれていますか? (解答) 帰命無量寿如来 南無不可思議光 (きみょうむりょうじゅにょらい なむふかしぎこう) で始まります。 浄土真宗の門徒の方なら聞かれたことがあると思います。 無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつると読みます。 これは、親鸞聖人ご自身のことを書かれていますから、 親鸞は無量寿如来に帰命したぞ、 親鸞は不可思議光に南無したぞ、 ということです。 ここで、4つの仏教の専門用語が出てきます。 「無量寿如来」「帰命」「不可思議光」「南無」 「無量寿如来」と「不可思議光」は、 ともに、阿弥陀如来の別名です。 (関連:お釈迦さまと阿弥陀仏は、同じ仏さまですか?) 「帰命」と「南無」も同じ意味で、 救われた、助けられたという意味です。 正信偈の最初の二行は、言葉を変えて、同じことが繰り返されています。 親鸞は、阿弥陀如来に救われたぞ 親鸞は、阿弥陀如来に助けられたぞ どうして同じことを二回、書かれているのでしょうか。 それは、書いても書いても書き尽くせない喜びを表されています。 阿弥陀如来に救われた喜びは、限りなく大きいのです。 この二行から、正信偈は始まります。 そして 道俗時衆共同心 唯可信斯高僧説 (どうぞくじしゅうぐどうしん ゆいかしんしこうそうせつ) で締めくくられています。 道俗時衆、共に同心し、唯、この高僧の説を信ずべしと読みます。 道俗時衆とは、すべての人。 「皆の人よ、ともに親鸞と同じ心になってくれよ。 それには、ただ、この高僧の説を信じる一つだよ」とおっしゃったお言葉で、 高僧とは、親鸞聖人が尊敬しておられる七高僧のことです。 『正信偈』の120行は、最初の2行と最後の2行、この4行におさまります。   (質問):七高僧とは、どなたのことですか? (解答) 親鸞聖人は『正信偈』に、阿弥陀仏の本願を正確に多くの人に伝えられた方として、 7人の名前を挙げておられます。 インドの龍樹菩薩、天親菩薩。 中国の曇鸞大師、道綽禅師、善導大師。 日本の源信僧都、法然(源空)上人の7人で、 「これらの方がましませばこそ、親鸞は弥陀の本願に救い摂られることができたのだ」と、その功績を明らかにしておられます。   (質問):『正信偈』の「正信」とはどんな意味ですか? (解答) 「正信」とは正しい信心のことです。 正しい信心とは、正信偈の最初に繰り返し書かれている、 阿弥陀如来に救いとられて、本当の幸せになったことをいいます。 それ一つ、教えられているのが『正信偈』です。 親鸞聖人は『難思の弘誓は難度の海を度する大船』と譬えで 教えられています。 『難思の弘誓は難度の海を度する大船』の意味がわかれば、 正信偈の意味もわかります。

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親鸞聖人の主著、国宝『教行信証』

(質問) 親鸞聖人の『教行信証』とは、どんな本でしょうか (解答) 親鸞聖人90年の教えは、すべて『教行信証』に書かれています。 正式名称を『顕浄土真実教行証文類』といい、浄土真宗の「根本聖典」とか「御本典」といわれます。 聖人52歳ごろの成立といわれますが、その後も常に手元に置かれ、生涯、加筆修正された畢生の大著です。 今日、親鸞聖人といえば『歎異抄』を思い浮かべる人が少なくありませんが、『歎異抄』は著者不明で、聖人がじかに書かれたものではありません。ですから浄土真宗の教えを正確に知るには『教行信証』を物差しとしています。   (質問) 『教行信証』には、どんなことが書かれていますか? (解答) 『教行信証』は、「よろこばしきかな」で始まり、「よろこばしきかな」のお言葉で終わっています。 親鸞聖人の、書いても書いても書き尽くせない喜びがあふれているのです。 文芸評論家の亀井勝一郎氏も、 『教行信証』全巻には大歓喜の声が響きわたっている と驚嘆しています。そのほか『教行信証』を称賛する声は枚挙にいとまがありません。 親鸞聖人のお言葉には、大変な魅力、摩訶不思議な力がありますから、時代を超えて、多くの人が『教行信証』に魅了されるのでしょう。 『教行信証』を一読して、だれもが驚くのは、その引用文の多さです。 正式名称の『顕浄土真実教行証文類』に「文類」とあるように、「私釈」といわれる聖人の作文は少なく、そのほとんどが、経、論、釈の引用です。 経とは、お釈迦さまの説かれた一切経。 論とは、龍樹、天親など、菩薩といわれる方が書かれたもの。 釈とは、善導大師や法然上人などの高僧方の書物をいいます。 「文類」とは、それら古今のお聖教(仏教の書物)から要の文を集めたものということです。 「親鸞さらに私なし」が聖人の常の仰せでしたが、いかに私見(自分の考え)を交えず、正確にお釈迦さまの真意を明らかにされたかがお分かりでしょう。 『教行信証』の冒頭の言葉は、多くの人に知られています。 「釣りバカ日誌」「マルサの女」「大病人」などの映画で活躍し、 親鸞聖人の映画「白い道」で監督を行った 故・三國連太郎氏はこう言っています。 私が一番感動するのは『教行信証』の冒頭の言葉です その冒頭のお言葉が 難思の弘誓は難度の海を度する大船 です。 『難思の弘誓は難度の海を度する大船』の意味がわかれば、 『教行信証』すべてを理解することができます。   (質問) 『歎異抄』も有名ですが、どういう本なのですか? (解答) 今日、最も多くの人に読まれている仏教書として有名な『歎異抄』は、親鸞聖人のお亡くなりになったあと、約30年たって成立したといわれています。 著者はお弟子の唯円ともいわれますが、ハッキリしていません。 全18章のうち、1章から10章までは、 親鸞聖人のおっしゃったお言葉として書かれています。 それらを物差しとして、当時の異説を正そうとされたのが、 11章から18章です。 たぐいまれなる名文ですが、他力真実の信心と、親鸞聖人の教えをよく理解している人が読まないと、大変な読み間違いをするところが多いため、蓮如上人は「だれにでも読ませてはならない」と奥書に書き加えておられます。 (質問) 『教行信証』よりも『正信偈』の方が身近なのですが。 (解答) 「帰命無量寿如来」で始まる『正信偈』は多くの人に親しまれています。 浄土真宗の人にとっては、朝夕の勤行で拝読する最も身近なお聖教でしょう。 『正信偈』は、独立した書物ではなく、『教行信証』行巻の最後に書かれている文章を抜き出されたものです。1行7文字、120行の偈になっています(1行14字と数えた場合は60行)。 840字の『正信偈』は、『教行信証』6巻の内容をギュッと絞ったエキスですから、浄土真宗の教えは「正信偈」におさまっているといえます。 つまり、『正信偈』が分かれば、聖人90年の教えはすべて分かるということです。 (関連:『正信偈(しょうしんげ)』には何が書かれていますか?)

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浄土真宗で大事なお経は何ですか?

(質問):浄土真宗で大事なお経は何ですか? (解答) 「浄土真宗で大事なお経」と言われると、 「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)」で 始まる正信偈を思い浮かべる方もあると思います。 正信偈も漢字ばかりで書かれているからです。 (関連:『正信偈(しょうしんげ)』には何が書かれていますか?) 実は、正信偈はお経ではないのです。 お経とは、お釈迦さまの教えを書かれたものだけを言います。 正信偈は親鸞聖人の書かれたものですから、お経ではありません。 一口にお経といいましても、全部で7000巻余りあります。 (関連:お釈迦さまの説かれた「お経」「経典」「仏典」とは) その中で、特に大事なお経が3つあると、親鸞聖人は教えられています。 『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』 『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』 『阿弥陀経(あみだきょう)』 の3つです。 これを浄土三部経といいます。 浄土三部経には、阿弥陀仏のことが集中的に説かれています。 (関連:お釈迦さまと阿弥陀仏は、同じ仏さまですか?) 中でも親鸞聖人は、 それ真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。(教行信証) 真実の教とは、真実の経ということで、 真実の経とは、お釈迦さまの本心が説かれている経典という意味です。 7000巻余りのお経の中で、 お釈迦さまの本心が説かれているのは、 『大無量寿経』ただひとつであると、 親鸞聖人は、断言されています。 (質問):『大無量寿経』はどんなお経ですか? (解答) 『大無量寿経』は、略して「大経」ともいわれます。 『大無量寿経』は、上下二巻あります。 『大無量寿経』には、阿弥陀仏の本願が説かれています。 お釈迦さまは、 私がこの世に生まれてきた目的は、 阿弥陀仏の本願を説いて、人々を、本当の幸せに導く為なのだ、 阿弥陀仏の本願の説かれている『大無量寿経』は、 未来永遠に残り、多くの人を幸せにするであろう、 とおっしゃっています。 このようなことが書かれているお経は、他にはありません。 (根拠) 如来、無蓋の大悲を以て三界の矜哀す、世に出興する所以は道教を光闡し、 群萌を拯い恵むに真実の利を以てせんと欲してなり。 (大無量寿経上巻) 当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲を以て哀愍し、 特にこの経を留めて止住すること百歳せん。 (大無量寿経下巻) (質問):『観無量寿経』はどんなお経ですか? (解答) 『観無量寿経』は、略して「観経」ともいわれます。 「王舎城(おうしゃじょう)の悲劇」で有名な、韋提希(いだいけ)夫人へのご説法が記されています。 お釈迦さまの時代、マガダ国の王・ビンバシャラ王の妃であった韋提希夫人は、わが子、阿闍世(あじゃせ)によって、七重の牢に閉じ込められます。 この時、お釈迦さまは、「このたびは特に大事な話をしよう」とおっしゃって、大衆を前に、『法華経(ほっけきょう)』の説法をしておられました。 しかし、牢獄で苦しむ韋提希夫人の救いを求める声に、『法華経』の説法を中断して、韋提希夫人に、阿弥陀仏の本願を説かれたのでした。 お釈迦さまのご説法を聞いた韋提希夫人は、 苦しみから解放され、暗い人生が明るい人生にガラリと変わりました。 (質問):『阿弥陀経』はどんなお経ですか? (解答) 『大無量寿経』を「大経」というのに対して、『阿弥陀経』を「小経」ともいわれます。『阿弥陀経』には、阿弥陀仏と極楽浄土の様子が詳しく説かれています。 浄土真宗の方でしたら、一度は、聞かれた方もあるかと思います。 お経は、誰かの質問に答えられる形で説かれていますが、『阿弥陀経』だけは「無問自説の経」といわれ、お釈迦さまの問わず語りの説法なのです。 浄土三部経に説かれていることを、 親鸞聖人は『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』に明らかにされました。 「親鸞聖人の主著、国宝『教行信証』」へ